10 お嬢様の奴隷魔法
奴隷紋の主が頭を下げる。
俺にとって、頭を下げるのはごく当たり前だった。
顔を上げると、奴隷たちは驚いたかのように目を大きく開いていた。
「お嬢……」
大男は他の人たちと目を合わせ、力強く握りこぶしを振り上げる。
「皆、やってやろうじゃねぇか」
「ああ、でかいの楽しみにしてな」
「嬢ちゃんには敵わねぇな」
一頭いるだけでも十分だとは思うのだけど、やる気を見せてくれるのはいいことだと思う。
俺は拳を突き出し、ニカッと笑った。
「お、おい。お前ら正気か? 今のお前らは武器を持っているんだぞ? 絶好の機会だとは思わないのか?」
確かに、その剣を使って俺を攻撃しようものなら、奴隷紋による戒めが発動するだろう。
その僅かな間だけ苦痛に耐えることができれば……俺を殺す絶好の機会だと言いたいのだろう。
「ウロウロされるのも面倒なんで……命令です。そのままお座りをしてなさい」
彼女にとっては屈辱だと思う。
獣人である彼女を犬のように扱うことになるが、いくら自由にしていいと言っても、あんなことを言うのなら、自分がどうなるかを分からせるために命令を下した。
「ぐっ……こんな奴に」
命令を書き換えたことで、立っていた彼女に戒めが発動する。
うずくまったことでその効力がなくなり、彼女は俺を睨みつけていた。
奴隷紋は極力使うつもりはなかった。それは今でも変わらないし、あえてこんなことをするのにも理由がある。
奴隷たちは獣人を見ていた。そして、俺に敵意を向ければこうなる、と示しておく必要があった。
さっき「ちょうどいい」と言ったのは、このためだ。
この光景を前にして、ここに残りたくないと思う人が出てくるだろう。ならば、こんなことをする俺に尽くすことはない。
従うべき相手を分からせるだけの姑息なやり方。今、その行為が必要だと思うものの……とても気分の悪いことでしかなかった。
「後のことはお任せします」
再び彼らに軽く頭を下げて、用意されていたテーブルに足を向けた。
魔法を行使したことで気分が悪く、早く座りたかった。
「では、狩りの方々お気をつけて」
「おう」
ルビーに見送られ、屋敷の外へと歩いていく人影。
もし彼らが失敗をしたとしても、さっき選んだ四人が何かしらの食事を用意している。
今日うまくいかなくても、明日はもっと段取りして、その日暮らしから脱却できればいい。
最悪……彼らが戻らなかったときは、また色々と考えないといけなくなる。
「大丈夫です。彼らは帰ってきます」
もしかしたらあのまま帰ってこないと思っていたところを、ルビーに声をかけられる。
顔に出ていたのかもしれないな。
「だといいけどね。魔力不足かな、少し疲れた」
「ご立派でした。お嬢様」
いつの間にか隣にいたトパーズが、ビシッと右手を突き出す。どこで見ていたのか。それのどこが立派なのか教えてほしい。
ルビーにある程度指示を任せ、お風呂が完成すると、先に女性たちを優先して入浴させていった。
残っている奴隷たちは、腹を空かせて疲れているのか、芝生の上に寝転び空を眺めていた。
そんな光景を俺だけが椅子に座り眺めていた。
「こういうことは続いてほしくはないな。奴隷商人ってほんと神経が図太いよ。奴隷商人か……今更だけど、俺にそんなことが務まるのか?」
「お嬢様、言葉遣いが悪くなっております」
「ごめんなさい」
いつものやり取りに、いつものように頭を下げようとするが、一瞬力が抜けたかのようになってしまう。
ルビーが支えてくれたから、倒れることはなく背もたれに戻される。やはり子供の体だけはあるか……肉体的なことはどうすることもできそうにない。
「お疲れのようですね。お部屋に戻られますか?」
今だったらベッドの上でゴロゴロしたい。魔力の消耗と精神的な疲労があるからか、そう望めばルビーは部屋に案内してくれるだろう。
それでも、これ以上奴隷たちから目を背けるわけにはいかない。
「私はここにいるよ。それが役目だから」
「かしこまりました……」
土魔法で作られた、壁で囲っただけの吹き抜けのお風呂場からは、湯気が立ち上っている。
天井を塞ごうにも、なにせ土だから崩落しても困る。
そんな簡易的な風呂場でも、何人かの奴隷たちが嬉しそうに入っていく。
石鹸などは用意していたものの、あんな物で髪を洗えばその後がどうなるものか……何もないよりかはいいのだろうけど。
「ところで、ルビー。あの中はどうなっているのか見てみたいとは思わない?」
「お嬢様。覗きなんて……はしたないですよ。先ほどご自身で仰っていたではありませんか?」
ルビーの瞼が少し下がったような?
覗きとは本当に失礼な話だ。
「いやいや、違うからね? ここの管理者として、浴場が正しく使われているのか確認するのも立派な業務の一環ですよ」
「変態貴族」
中が気になるお風呂場を遮るように、少し怖い目をしたルビーが俺の前に立っている。
その視線から逃げるように、俺は目を横にそらした。
女性たちの体が気になるわけではなく、中がちゃんとしているかが気になっただけ。
それをルビーは何を勘違いしているのか……
「よろしいのですか? お嬢様?」
「誤解があるようだけど、それはちょっとズルくない?」
「私からは何とも」
俺が求めるのは、お人好しで馬鹿な奴隷商人。それはそれで面白いのかもしれない。
奴隷たちは虐げられるのが当たり前。
良いようにこき使われるのが当たり前。
だけど……俺の考えはただの偽善でしかない。
ここにいる奴隷だけでも、今のような表情ではなく、活き活きとした姿になってほしい。
これから先、どれだけ辛いことをさせてしまうのかわからないけど。
できることなら、皆が笑っていられるような生活が送れるように、俺は皆のことを考えて皆を使っていかないと……
「この後のご予定はどうされるのですか?」
「今はできることが少ないからね。とりあえず綺麗になることとお腹を満たしてもらうのが最優先だから。これからのことは明日の朝になるね」
やらなければいけないことは多い。何もかもができるとは限らないし、何を始めるにしても奴隷たちがまともに動けるようになってからだ。
この世界でうまくやっていくのも、何もかもが手探りに等しい。
「ルビーは、食堂の方を見てきてもらえる? 手伝う必要はないとは思うけど、困っているようだったら手を貸してあげて」
「かしこまりました。何かございましたらトパーズをお呼びください」
それほど大きな声でもなかったのだけど、その言葉が聞こえていたのかトパーズが両手を振って俺の方を見ていた。
一人になった俺は、庭に残っている奴隷たちを見ていた。
冒険者か……魔物を倒したりしてギルドとかいう組合から、歩合でお金を稼いでいる人たち。
子どもたちもいるし、どうしたものかな。
のどかな陽気と、色々と抱えていた問題もあり……あれこれ考えていたせいで、あまり寝てはいない。
だから……睡魔への抵抗も虚しく、そのまま眠ってしまった。
* * *
「お嬢様に……何をしているのですか?」
「子守唄を歌っているのよ」
ルビーが戻ってきた頃には、イクミはすっかり熟睡していた。ルビーがイクミの肩に手を伸ばすと、トパーズによって阻まれる。
「何をやっているのですか? お嬢様をベッドにお連れするべきです」
「だったら、それは私でもいいよね?」
ルビーは右手の握りこぶしを突き出すと、トパーズも同じように拳を繰り出す。
数秒間にらみ合いが続き……ルビーはゆっくりと拳を後ろへと下げていく。
トパーズは、笑みを浮かべ拳を空へと掲げる。
「じゃんけーん」
「ぽん」
勝ったのはルビーだった。
ルビーはイクミを抱きかかえるが起きる様子はなかった。
そのまま自室のベッドへと寝かせると、ルビーはまた広場に戻っていった。
「おかえりなさいませ」
「お、おぅ。お嬢は?」
「お嬢様は、今はお部屋で休息を取られております。では、調理場へ案内します」
たかが七人の元冒険者と思っていたルビーだったが、予想よりも多い獲物を捕らえてきたことに、驚きを必死に殺していた。
猪だけでなく、鹿が二頭。
ここにいる人数からすれば十分すぎる。それを見た奴隷たちの目に、少しだけ活力が戻り始めていた。
イクミの寝室まで聞こえてきた騒がしい声に、トパーズは窓から外を見下ろしていた。
「あれがお嬢様の奴隷。いや、下僕になるものか……これからどうなるのかしらね。イクミお嬢様」




