第50話 交わる記憶と真実 1
暖炉の火が静かに揺れる中、魔法使いはカップを手にしたまま、しばらくのあいだ何も語らずに四人を見渡していた。
その沈黙は決して気まずいものではなく、むしろこれから語られる内容の重さを、あらかじめ受け止めるための“間”のように感じられた。
やがて彼女は、ゆっくりと息を吐く。
「順番に話すわね。」
その一言で、場の空気がわずかに張り詰める。
「まず、あなたたちが一番気になっていることから。」
視線が、リリアーナとエリカの間を静かに行き来した。
「私は、リリアーナの母よ。」
それは、すでに分かっていたはずの事実。 けれど、次の言葉がすべてを覆した。
「そして同時に、エリカの母でもある。」
息が止まる。誰もが、その意味を理解するまでに数秒の空白を要した。
最初に反応したのは、リリアーナだった。
「え……?」
かすれた声が漏れる。エリカもまた、言葉を失ったまま目を見開いていた。
魔法使いは、変わらぬ落ち着いた声音で続ける。
「あなたたちは、年子の姉妹よ。」
一拍の間。
「リリアーナが一歳上の姉。そして、エリカが妹。」
その言葉が、確定的な事実として空間に落ちた瞬間。誰も、すぐには呼吸すらできなかった。リリアーナの指先が、かすかに震えている。アルベルトは何か言おうとして、しかし言葉を見つけられずに口を閉ざした。レオンでさえ、ただ静かに目を細め、状況を受け止めようとしている。
そしてエリカは――
(姉妹……?)
理解が追いつかないまま、ただその言葉だけが頭の中で反響し続けていた。
そんな四人の様子を見届けると、魔法使いは静かに話を進める。
「次に、私の力について話しておくわ。」
紅茶を一口含み、ゆっくりとカップを戻す。
「私は、あらゆる世界の現実と未来を、物語として把握することができる。」
その言葉に、エリカの肩がわずかに揺れた。
「ただし。」
少しだけ声の調子が変わる。
「未来は、ひとりの行動でいくらでも変わるもの。」
暖炉の火が、ぱちりと音を立てる。
「だから、それを他人に伝えることはできないの。予言として救いを求められても、必ずしもその通りにはならない。」
視線が静かに四人をなぞる。
「守れない約束をすることになるから。」
その言葉には、どこか過去への悔恨のような響きがあった。
「それともうひとつ。」
わずかに間を置いて、続ける。
「私は、記憶を書き換えることができる。」
その瞬間、エリカの心臓が強く打った。 まるで、何かを思い出しかけているかのように。
「エリカ。」
名前を呼ばれ、びくりと肩が跳ねる。
「あなたは、小さいころから絵本が好きだったわね。」
懐かしい情景が、ぼんやりと浮かぶ。色とりどりのページ。物語の中の世界。
「やがて、自分でも物語を書くようになった。」
その記憶は、確かにある。
「あるとき、気づいたの。」
魔法使いの声が、わずかに低くなる。
「あなたが書いた物語が、現実になっていることに。」
息を呑む音が、重なる。エリカの指先が、無意識に強く握られた。
「最初は偶然かと思った。でも違った。」
静かに、確信を込めて続ける。
「あなたの物語は、現実を形作る力を持っていたの。」
沈黙。
その重みが、ゆっくりと全員にのしかかる。
「あなたはそれを知らないまま、いろんな人に物語を見せていた。」
柔らかな声だったが、その内容は重い。
「その力に気づく者も、当然現れる。」
わずかに視線が揺れる。
「私たちは、それを恐れた。」
初めて、魔法使いのはっきりとした感情が滲んだ。
「このままでは、誰かが幸せになる一方で、誰かが不幸になる可能性がある。」
言葉を選ぶように、ゆっくりと続ける。
「そしてその結果を、あなたが恨まれる未来も見えた。」
エリカの呼吸が止まりそうになる。
「危害を加えられる前に、私たちは決断した。」
静かに、しかしはっきりと。
「あなたの記憶を書き換え、一時的に別の世界へ避難させたの。」
その言葉に、エリカの視界が揺らぐ。
「日本……。」
かすれた声が漏れる。魔法使いは、穏やかに頷いた。
「ええ。あなたが元いたと思っている世界。私たちも、そこへ何度も行き来していたわ。」
エリカの目が見開かれる。
「あなたを見守るために。そして、一緒に過ごすために。」
その言葉が、胸の奥に静かに落ちていく。思い出せないはずの記憶の隙間に、確かに何かがあった気がした。
「記憶は消したけれど。」
魔法使いは、エリカをまっすぐに見つめる。
「それでも、あなたは物語を書き続けた。」
その一言に、エリカの喉が詰まる。
「そして、その物語が、こうして現実となっている。」
静寂が、ゆっくりと降り積もる。誰も、すぐには言葉を発することができなかった。あまりにも多くの真実が、一度に突きつけられたから。
リリアーナは俯いたまま、震える手をぎゅっと握りしめている。アルベルトは目を閉じ、深く息を吐いた。 レオンもまた、珍しく何も言わず、ただ静かに状況を受け止めていた。
そしてエリカは。
(守って、くれてたんだ。)
混乱の中で、ひとつだけ確かな感情が芽生えていた。
怖かったはずなのに。理解できないことばかりなのに。
(お母さんも、お父さんも……。)
胸の奥が、じんわりと温かくなる。記憶はなくても、確かにそこにあったもの。
別の世界で過ごした日々。一緒にいた時間。それが、嘘ではなかったのだと分かる。
エリカはゆっくりと顔を上げた。その瞳には、まだ戸惑いが残っている。けれど同時に。小さく、確かな感謝の光が宿っていた。
「ありがとう。」
かすかな声だが、その言葉には確かな想いが込められていた。
魔法使いは、何も言わずにただ静かに微笑む。
暖炉の火が、やさしく揺れた。新たな世界は、まだ始まったばかりだ。




