第47話 影と断片 2
エリカの手の中にある、一枚の紙。そのわずかな切れ端を、まるで壊れ物でも扱うかのように見つめながら、彼女はしばらく言葉を失っていた。
「エリカ?」
静かに呼びかけたのはリリアーナだった。その声音には、先ほどの戦闘の緊張がまだ残っている。
「それは何?」
問われて、エリカはようやく顔を上げた。
迷いがあった。言うべきか、隠すべきか。どちらかと言えば、恥ずかしさの方が勝つ。けれど、ここまで来て、もう誤魔化せる状況ではないことは、自分でもはっきりと分かっていた。
一度、息を整える。そして、覚悟を決めるように言った。
「私が書いていた物語のノートの、切れ端です。」
その場の空気が、わずかに変わる。
アルベルトとレオンも、はっきりと反応を見せた。
「物語……?」
アルベルトが眉をひそめる。その視線を受けながら、エリカはゆっくりと続けた。
「はい、私が書いていた物語です。」
そこからは、もう止めることはできなかった。
日本という国から来たこと。
もともとは平凡な生活を送っていたこと。
十四歳の頃、趣味で物語を書いていたこと。
そして――
「そのノートを読み返しているうちに、気がついたら、この世界にいてメイドとして働いていました。」
静かに、しかしはっきりと語る。
「リリアーナ様も、アルベルト様も最初から知っていました。」
一瞬だけ言葉を区切る。
「なぜならお二人は、私が書いた物語の登場人物だったからです。」
沈黙が落ちた。風の音だけが、かすかに耳に届く。アルベルトは驚いたように目を見開き、しばらく何も言えずにいたが、やがて小さく息を吐いた。
「なるほど......。」
その一言には、困惑と、しかしどこか納得したような響きが混じっていた。
「どうりで……」
続けて、レオンが口を開く。
「メイドにしては、ずいぶんと雰囲気が違う気がしていましたが、そういうことだったんですね。」
軽く笑いながらそう言うが、その目は鋭くエリカを見ている。
「外から来た人間と聞けば、腑に落ちます。」
アルベルトも静かに頷いた。
「確かに。どこか、他の者とは違う空気を感じていた。」
二人とも、驚いているようには感じる。だが、拒絶しているわけではなさそうだった。
それだけで、エリカの胸は少しだけ軽くなり、安心した。
「隠すつもりはなかったのですが、なかなか言い出せずに失礼しました。」
小さくそう呟いたあと、手に持っていた紙へと視線を落とす。
「問題は、これです。」
その切れ端には、確かに自分の筆跡で文字が記されている。
あの頃、何も考えずに、ただ好き勝手に書いていた物語の一部。
「これが、どうしてここにあるのか。」
エリカの声には、隠しきれない不安が滲んでいた。
「黒い影と、関係があるのでしょうか。」
その問いに、誰もすぐには答えなかった。
代わりに口を開いたのは、リリアーナだった。
「全く関係がない、というわけではないのかもしれないわね。さっきまではその断片はなかったもの。」
視線が、先ほど影が消えた場所へと向けられる。
沈黙が続いていたその空気を少しだけ和らげるように、レオンが肩をすくめて笑う。
「しかし、面白いですね。」
「面白い、ですか?」
エリカが思わず聞き返すと、レオンはあっさりと頷いた。
「ええ。だって――その物語に、僕は登場していなかったのでしょう?」
一瞬の間。
「それなのに、こうしてここにいる。」
少しだけ楽しそうに笑うその表情は、どこか余裕すら感じさせる。
「となると、僕は予定外の存在ということになりますね。それか、逆にあなたの物語が予定外の存在なのか。」
その言葉に、エリカは思わず言葉を失う。
(たしかに……)
本来、自分の物語には存在していなかった。なのに今、この世界には確かにいる。
それが何を意味するのかは、まだ分からない。そしてレオンの言うとおり、私の物語がこの世界を作ったのではなく、この世界に私の物語が入ってきたのかもしれない。
いずれにしろ、確実にこの世界の何かが変わっている。
「やっぱり、魔法使いに聞きたいです。」
エリカははっきりと言った。
「あの人なら、何か知っているかもしれない。これまでも何度か相談しましたし。」
その言葉に、リリアーナはすぐに頷いた。
「そうね。私も行くわ。」
迷いはなかった。
「明日、二人で向かいましょう。」
そのやり取りを聞いていたアルベルトが、静かに口を開く。
「ならば、私も同行する。」
その視線は真剣そのものだった。
「今回の件は、もはや他人事ではない。」
さらに。
「僕もご一緒しますよ。」
レオンが自然に言葉を重ねる。
「またあの影が現れた場合、戦力は多い方がいいでしょうしね。」
その口調は軽いが、その判断は極めて合理的だった。
こうしてエリカ、リリアーナ、アルベルト、レオン。
四人で、再び魔法使いのもとを訪れることが決まった。
エリカは手の中の紙を、ぎゅっと握りしめた。




