第4話:東條彩乃視点
Side:東條彩乃
私は幸せだったと思う。
少なくとも、昔は。
小さい頃は、お父さんとお母さんとお姉ちゃん。
四人家族だった。
毎日が穏やかで、平凡で。
でも、とても幸せだった。
家族で遊園地に行ったこともある。
すごく楽しかった。
お姉ちゃんはジェットコースターが苦手だったが。
それでも私が一緒に乗りたいと言うと、
「しょうがないなぁ。」
と笑いながら付き合ってくれた。
乗っている最中はずっと叫んでいたけど。
そんなお姉ちゃんを見て、お父さんとお母さんが笑う。
それを見て私も笑う。
お姉ちゃんも笑う。
幸せだった。
水族館にも行った。
イルカショーで、なぜか家族みんなで一緒に座っていたのにお姉ちゃんだけ大量の水を浴びた。
びしょ濡れになりながらも、お姉ちゃんは楽しそうに笑っていた。
私は何も気づかなかった。
その笑顔が、家族との時間を惜しむような笑顔だったことに。
動物園にも行った。
そこでもお姉ちゃんは笑っていた。
誰よりも幸せそうに。
――今思えば。
誰よりも無理をしていたのかもしれない。
ある日の夜。
寝る前にお姉ちゃんが聞いてきた。
『もし彩乃が辛い目に遭ったらどうする?』
私は深く考えずに答えた。
『逃げる。』
と。
翌朝。
お姉ちゃんは死んでいた。
自ら命を絶っていた。
残されていた遺書には、
『現実が辛いので逃げます。』
そう書かれていた。
後から知った。
お姉ちゃんは学校で壮絶ないじめを受けていたらしい。
その時になって、ようやく私は理解した。
昨夜の質問の意味を。
今でも夢に見る。
毎晩のように。
あの時、
「誰かに相談する。」
「助けを求める。」
そう答えられていたら何か変わったのではないか。
そんな後悔ばかりが頭を巡る。
だけど、今さら何も変わらない。
お姉ちゃんは帰ってこない。
そしてその日から、私の人生は変わった。
お父さんは酒に溺れた。
お母さんは心を病んだ。
夜になると悪夢を見る。
朝になれば家庭は荒れている。
そんな日々が続き――。
やがて両親は離婚した。
私はお母さんに引き取られた。
学校へ通いながら家事をして、お母さんを支えた。
友達を作る余裕なんてなかった。
中学時代はずっと一人だった。
それでも。
高校生になって少しだけ状況が変わった。
お母さんが再婚したのだ。
再婚相手は精神科医だった。
新しいお義父さんは優しかった。
学校では友達もできた。
少しずつ。
本当に少しずつだけど。
私は前を向けるようになっていた。
これから幸せになれるかもしれない。
そう思っていた。
なのに。
お母さんが事故で亡くなった。
悪夢はさらに酷くなった。
どうして。
どうしてなんだろう。
私は必死に笑った。
友達の前では元気なふりをした。
休んだ理由も風邪だと誤魔化した。
でも夜になると駄目だった。
眠れば悪夢を見る。
お姉ちゃんが死んだ日から、一度も例外なく。
それでも私は頑張っていたはずだ。
立ち直ろうとしていたはずなのに。
なのに――。
◇◇◇
「ふふ……ふははははは!」
お義父さんの笑い声が聞こえる。
「ついに上手くいった……!」
何が上手くいったのだろう。
頭がぼんやりする。
体が動かない。
声も出ない。
まるで身体だけが別人のものになったみたいだった。
「これでやっとできる。邪魔者もいない」
邪魔者?
何のこと?
ぼやける視界の中で、お義父さんがズボンを脱ぎ始める。
その瞬間。
全てを理解した。
――ああ。
そういうことなんだ。
私はこれから。
私はただ。
普通に生きたかっただけなのに。
家族と穏やかに暮らしたかっただけなのに。
どうしてこうなるんだろう。
彩香ちゃんは逃げられたかな。
もし彩香ちゃんまで巻き込まれたら――。
助けなきゃ。
でも体は動かない。
声も出ない。
何もできない。
ごめんね。
彩香ちゃん。
私のせいで巻き込んでしまって。
ちゃんと謝るから。
だから――。
どうか逃げて。
…………。
彩香ちゃんを巻き込んだ私がこんなこと思っちゃいけないのかもしれないけど。
どうして私ばっかり。
どうして。
誰か――助けて。
そう願った瞬間だった。
「オラァ!!汚い手で東條さんに触れるな!」
大きな声が響いた。
次の瞬間。
お義父さんが吹き飛んだ。
私の前に立っていたのは――
彩香ちゃんだった。
ああ。
かっこいい。
すごく。
すごくかっこいい。
王子様って、本当にいるんだ。
そんなことを思った。
その後のことはよく覚えていない。
気がついた時には病院のベッドの上だった。
安心したのだろう。
久しぶりに深く眠ったらしい。
そしてその夜。
私は悪夢を見なかった。
お姉ちゃんが亡くなった日以来。
初めてだった。
お母さんも。
お姉ちゃんも。
もういない。
お義父さんも逮捕された。
私は一人になった。
そのはずなのに。
不思議だった。
心には彩香ちゃんのことしかなくて。
「ふふ……彩香ちゃんか。」
思わず笑みがこぼれる。
「ちゃんとお礼しないとな。」
学校で探してみよう。
絶対に見つけてお礼しないと。
その目は彩香への執着に染まっていた。
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