第2話 婚約者に、バレました
わたしには婚約者がいる。
名は、ダリオ・クライドス。
二十六歳の若さで王国騎士団団長を務める彼は、クライドス公爵家の次男にして、冷静沈着を絵に描いたようなお方だ。
とはいえ、この婚約は両家が取り決めたもの。侯爵家の一人娘であるわたしの家に、公爵家の次男であるダリオ様が婿入りするという、典型的な政略結婚――のはず、だった。
少なくとも、わたしはずっとそう思っていた。
ふたりのあいだに、恋愛感情らしきものは見当たらない。会えば丁寧に言葉を交わすものの、もともと会話が得意ではない者同士、いつも数分と経たずに沈黙が訪れる。
無言の時間は、正直、居心地が悪い。
けれどきっと、あの方も同じ気持ちなのだろう――そう思うことで、わたしは少しだけ心を落ち着けていた。
本来であれば、今日はダリオ様と顔を合わせる約束の日だった。
だが、朝になって微熱が出たわたしは、両親の過剰な心配により面会を取りやめ、屋敷に医者まで呼ばれる騒ぎになっていた。
当の本人はというと、そこまでの体調不良ではなく、むしろ静かに新作小説を楽しめる絶好の機会に、胸を躍らせていたのだけれど。
(今日の新作は……ふふふ)
うきうきと本を手に取った、まさにその瞬間。
使用人から、唐突な知らせが届いた。
「クライドス様がお見舞いにお越しです」
あまりに急な訪問。通常であればありえない。
……けれど、今日の面会を一方的に断った手前、文句など言えようはずもなかった。わたしは慌てて身なりを整え、ダリオ様を自室へお通しした。
「……大丈夫か」
「はい、おかげさまで……もうずいぶん楽になりました」
あたりさわりのないやり取り。しかしそれきり、言葉は続かない。
(……もし獣人に例えるなら、夜の森に潜む黒狼……牙も毛並みも、誰よりも威厳に満ちていて、けれど誰にも懐かない――)
いけない、うっかり妄想に深く沈みかけていた。
そのとき、不意に彼が口を開いた。
「君は、本が好きなのか」
「ええ、本は……好きですが……」
そう答えかけて――わたしは、血の気が引いた。
ダリオ様の視線の先。そこにあったのは、わたしがさきほどまで抱えていた“あの”一冊――『獣人伯爵の夜伽は檻の中で』だったのだ。
(なにか言わなくては……なにか……!)
「どういう本か、見せてほしい」
「えっ、あっ、ま、待ってください、それは――っ」
止める間もなく、本は彼の手に渡り、無造作にページがめくられていく。
(ばれた……終わった……こんな慎みのない女、婚約破棄。むっつり令嬢と噂され、社交界にもいられず、最後は修道院行き……)
「“欲望を刻む牙”……とはどういう意味だ?」
「……はいっ?」
……今、なんと?
「そっ、それは……いわば情動を濃縮したような、表現上の装飾とでも申しましょうか……」
(……いける。いけるかもしれない……!)
「これは平民の流行を知るための、いわば資料として……」
「なるほど。君は勤勉なんだな」
……勤勉。
この状況で、まさかの賞賛。頭が混乱してくる。
だがそれも束の間、ダリオ様はさらに追い打ちをかけるように言った。
「では、俺にもこの本の内容を教えてくれないか」
その瞬間、わたしは本気で天に祈った。
どうか高熱にうなされて、このまま意識を手放せますように、と。
……祈りは届かなかった。
憎らしいほどに、意識ははっきりしていた。
明日も21時に更新します。全5話です!




