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第1話 蒼月の花の、秘密の趣味

「……“狼の牙に貫かれた契り”というのは、つまりどういう意味なのだろうか?」


 婚約者――ダリオ・クライドス様の落ち着いた低音が、静かな室内に響き渡る。


 わたしの肩が、びくりと跳ねた。


 息をひとつのみ込み、慎重に、慎重に言葉を選ぶ。


「……そ、それは……あの……直喩ではなく……感情の昂りを示す、象徴のようなもので……ございます……」


「象徴。つまり、牙で実際に傷をつけるわけではなく……比喩、ということだな?」


「……はい、そのような……意味合いかと……」


「それでは、“猛る槍”とはどういう意味だ?」


「……っ」


 顔が熱い。きっと今、わたしは耳まで真っ赤だ。


 そっと視線を伏せると、膝の上で重ねた手が、勝手にきつく握り合わされていた。


 言えるわけがない。


 それが殿方の身体の、とりわけ重要な“象徴”を意味しているだなんて。慎み深くあるべき侯爵令嬢の口から、そんな解説ができてたまるものですか。


 曖昧な返事でごまかすわたしの横で、ダリオ様はなおも大真面目に思考を巡らせていらっしゃる。


 ――どうして、こんなことになってしまったの……!


 わたしは今すぐ椅子から立ち上がって、窓から逃げ出したい衝動と戦っていた。







 わたし、サフィーナ・カレストリは、侯爵家の一人娘として十八の春を迎えたばかり。


 蒼い瞳に、柔らかな銀髪。気品ある佇まいと清楚な物腰から、周囲の方々には「蒼月の花」などと呼ばれている。


 ……自分で言っていて頬が痛いけれど、そう呼ばれているのだから仕方がない。


 幼いころから貴族の娘としての振る舞いを厳しく教え込まれ、学業にも礼儀にも一分の隙なし。舞踏会では常に穏やかな微笑みを絶やさない――「完璧な令嬢」。


 それが、世間から見たわたしだった。


 しかし、そんなわたしには、誰にも知られてはならない“裏の顔”がある。


 恋愛小説、とりわけ成人向けの獣人ラブロマンスをこよなく愛する、むっつり令嬢という一面だ。


 もともと物語を読むのは大好きだった。宮廷や貴族の恋愛物語にはじまり、歴史書、騎士譚、古代神話まで、多くの書を読み耽ってきた。


 けれど、いかに上品に飾られた活字とて、何十冊、何百冊と読めば、やがて心は飽きを覚えるもの。


 そんな折――十六の誕生日を迎えた頃、わたしは侍女のアンナに頼んで、“平民向け小説”をこっそり買ってきてもらうようになった。


 表紙の派手さや挿絵の奔放さには最初こそ驚いたけれど、それらはどれも新鮮で、上流の価値観では到底書けない、熱っぽくて情熱的な世界だった。


 ところがある日、アンナが持ち帰った本の中に、一冊だけ異質なものが混じっていた。


 それが、まさかの“濃厚ラブロマンス”だったのだ。


 そんなこととはつゆ知らず、わたしはいつものように読み始めてしまった。


 そして数ページ後――


「……っ」


 思わず本を閉じた手が、小さく震えていた。


 頬が熱い。心臓がどくどくと音を立てて跳ねている。


(こ、これは……まさか……)


 そう、そこに描かれていたのは、これまで目にしたことも耳にしたこともない、未知の世界。


 守られるように育てられた貴族令嬢が、決して触れるはずのなかった、あまりに刺激的な描写の数々だった。


 ――耳を甘噛みされながら、誓いの印を刻まれる乙女


 ――獣の爪に裾を裂かれ、あらわになる白い肌


 ――指先が首筋をなぞるたび、熱を帯びていく乙女の呼吸


 ……気づけばわたしは、誰にも見られぬよう布団の中で、頬を染めながらページをめくり続けていた。


 清楚な外見とは裏腹に、わたしの妄想は日に日に密やかに育ち、愛読書のジャンルは徐々に“濃いもの”へと変わっていった。


 もちろん、人に知られるわけにはいかない。


 婚前の令嬢たる者、常に慎み深く、心も身も穢れなきものであるべき――そんなことは、重々承知している。


 だからこそわたしは、表では冷静を装い、完璧な令嬢として振る舞いながら、影で本を読み耽る日々を過ごしていた。


 この秘密を知るのは、ただひとり。信頼のおける侍女、アンナだけ。


 昔からわたしの理解者である彼女は、紛れ込んだあの本を主が何度も読み返していることに気づくと、何も言わずに次の一冊を買ってきてくれるようになった。


 ……有能すぎて、たまに怖い。


 むっつり令嬢――それが、誰にも見せられないわたしの真の姿だった。



 ――そして、その秘密は。


 よりにもよって、婚約者であるダリオ様本人に、暴かれてしまうことになる。


 彼は怒るでも、呆れるでもなかった。


 ただ、あまりにも真剣な顔で、わたしにこう尋ねたのだ。


「“欲望を刻む牙”とは、どういう意味だ?」






はじめまして。岸根と申します。

小説家になろうに初投稿しました。

ここまで読んでくださりありがとうございます!


全5話、毎日更新予定です。

明日は、サフィーナの秘密の趣味がいよいよ婚約者にバレます。

堅物婚約者の真顔すぎる追及を、見守っていただけたら嬉しいです^^

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