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月の光が弱くなり、柔らかい光が時計塔の中を満たしていく。
やっと男の表情が見えてきた。
意外にも男はボロボロの服には似合わない中性的で綺麗な顔をしている。
「ゴミがついていたぞ」
綺麗な顔からは想像がつかないようないたずら好きな顔で笑った。
「ありがと」
震える声でお礼を言うと、男は満足そうに頷いた。
「それにしてもゴミはついてるし、服はビタビタ、目が真っ赤で、ひどい見た目になってるぞ。少年」
男は腹を抱えて笑っている。
さっきまでの恐怖は忘れるほど、イライラしてきた。そんなに笑わなくてもいいじゃないか。
「しょうがじゃないじゃん、僕だっていろいろあったんだから」
「そうだよなぁ、先生に怒られて、ママと喧嘩して。誕生日なのにかわいそうだな」
にやにやと男は笑う。
「なんで、そんなこと知ってるの」
「俺はこの町のことならなんでも知ってるよ」
そう言って男は窓の外を眺める。
たくさんの家から溢れる光を見下ろして、男は目を細めた。
頭上の歯車の音がさらに大きく聞こえた。
「君のパパやママのことも、おじいちゃんことも、その前の先祖のことだって知っている」
男の見た目からは、そんな昔のことを知っているとは思えない。
「なんで」
純粋に気になって男に尋ねた。
「俺は、この時計塔の案内人だからだ」
案内人は横目で僕をみてそう言った。
「案内人?ってどういうこと」
「この町をいつもここから見ている。ずっと昔からな」
そういうと男が優しく笑ったような気がした。
「この町を見ているとだな、少年みたいな迷える子羊が時々時計塔に訪ねてくる」
案内人が窓の取っ手を掴む。
「その子羊を、この時計塔の力で現れる世界を案内する」
案内人が窓を勢いよく開けた。
強い風が時計塔内に吹き込んでくる。
「それが俺の仕事だ」
僕のほうをみて、にやりと口角を上げて男が笑った。
さっきまで暗い夜の町だった窓の向こうには、パステルカラーの空が広がっている。
ふわりと暖かく柔らかい風が頬を撫でた。
「へぇ~、なかなか可愛い夢を見るのだな。子供らしくていいじゃないか」
そう言って案内人は時計塔の外に窓から飛び降りる。
「えっ」
慌てて、窓の下を覗き込んだ。
案内人が黒い服をなびかせて落ちていく。
地面に着く直前でバサッと案内人の背中から白く大きな羽が生えた。
案内人は2,3回大きく羽を羽ばたかせると、僕の目の前まで飛んできた。
さっきまで穴だらけだった服は新品のようになり、髪も整えられていた。
「この世界の雰囲気に合うのはこれだと思わないかい、少年」
目の前で起きたことに頭が追い付かない。
人に羽が生えて、宙に浮いている。僕は今、夢を見ているのだろうか。
「おーい、いつまで口を開けたまま固まっているんだ」
「はっ、えっ。飛んでるっ」
生きてきた中で一番大きいかもしれない声量で叫んだ。僕ってこんな大きい声が出せたんだ。
「驚いてばかりだな、少年」
案内人はくるりと宙で一回転すると、僕に向かって手招きをした。
「ほら、少年もこちらにくるといい」
時計塔の下を見る。足がすくんでしまうほどの高さだ。
「どうやって、外に出ればいいの」
「ん~、羽で空を飛ぶ姿を想像するだけだ。ここは夢の世界だからな」
「夢の世界?」
「あー、まだ説明してなかったな」
案内人はそう呟いて頭を掻きながら続けた。
「ここは時計塔が見せる夢の世界。イメージしたことならなんでもできる」
「本当になんでもできるの?」
「そうだ。ただし心の底からできると思ったことだけな」
案内人はそういうと、もう一度手招きをした。
案内人みたいに羽で飛んでみたいけれど、怖くてできなさそうだ。
「空を飛ぶ......」
腕を組んで考えてみる。何かに乗るのだったら僕にもできそうだ。
「思いついたよ、案内人」
ずっと夢に描いていたことがここで叶いそうだ。自然と口角が上がるのが自分でも分かった。
案内人は目が合うと、深く頷いてくれた。
僕が思いついた方法は案内人にも伝わっていそうだ。なんでも知っているっていうのは本当なんだ。
少し高い位置にある窓に足をかけた。
不安定で高い場所で足が震えてしまう。
「ほら」
案内人が手を伸ばして支えてくれた。握ってくれた手は汗ばんでいるけれど安心する。
目をつむって深呼吸をする。
パステルカラーの空を泳ぐクジラを思い浮かべた。
ポップコーンが弾けるような音がして、目を開ける。
目の前に小さなクジラが浮かんでいた。
「僕にもできた」
思わず案内人を見上げると案内人はニヤニヤとしている。さっき頼りになると思ってしまったのが悔しい。
「なんでニヤニヤしているの」
少しムッとして案内人に聞く。
「いや、かわいらしくて少年によく似合ってるぞ」
そう言いながら、そっぽを向く案内人の肩が震えている。笑っているのはバレてるぞ。
「からかわないでよ」
支えてくれていた手を払うように離してクジラにまたがる。
「キュイー」
クジラがうれしそうに鳴いた。僕を歓迎してくれているみたいだ。
「よろしくね。クーちゃん」
そういいながら、クジラを撫でると「まかせて」というようにクーちゃんは潮を吹いた。
「少年、クーちゃんってなんだ」
案内人が口元を手で隠しながら聞いてきた。
「可愛い名前でしょ。クジラだからクーちゃんだよ」
「あー、安直な名前だな」
鼻で笑う案内人に、クーちゃんが怒ったように水を吹きかけた。
「うわ、なにするんだ」
正面から水を被った案内人が髪から水滴を垂らして、慌てている。
さっきまでカッコつけていたのに、今は全くカッコよくない。間抜けな案内人を見て、思わず吹き出してしまった。
「ははは。馬鹿にした案内人が悪いんだよ」
そういうとクーちゃんが「そうだそうだ」と言わんばかりに大きく頷いている。
「はいはい、からかって悪かったな」
案内人は笑い続けている僕たちを見て、大きなため息をついた。
「ついてこい、少年」
パチン。
案内人が指を一回鳴らすと、ふわりとした風が吹いて、案内人の髪と服が一瞬で乾いていく。
笑い転げている僕たちを横目で見ると案内人は一人で裾を翻して歩きだしてしまった。




