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「電話が終わったら、一緒に食べようね」
ママがそう言って、電話に出た。
「うん」
早く電話終わらないかな。
猫舌だから少し冷めたって食べやすくていいけれど、せっかくだから熱々のうちにグラタンを食べたい。
ママのグラタンもオーブンからテーブルに運んだ。
テーブルの上には、僕の大好物だけが並んでいる。椅子に座って、電話が終わるのを足をぶらぶらさせて待った。
ママはまだ受話器を耳に当てて、何かを話している。
すぐに終わると思っていたのに、長くなりそうだ。話し声が小さくて何を話しているのか僕には分からない。
分からないけれど、ちらちらと僕を見るママの顔が暗くなっていくのが分かった。
「ママ」
不安になってママを呼ぶ。思っていたより小さくなった声は自分でも分かるくらい震えた。
それでもママには聞こえたみたい。ママは僕のほうを見て、口に人差し指を当てた。
「グラタン、冷めちゃうよ」
思わず、独り言を呟いた。
ガチャリ。
ママが受話器を置く音がやけに大きく聞こえた。
「終わった?」
ママに声をかける。
振り返ったママの眉毛がいつもより下がっている。嫌な予感がする。
「ママ、グラタン食べよ。今ならチーズも超長く伸びるかも」
ママが何かを話す前に、早口で言った。ママが口を開いたら、楽しい時間が終わっちゃう気がした。
「ほら、こんな感じでビョーンって」
両手を左右に広げて、おどけたようにいうとママが小さく笑った。
いつもと違う、困ったような作り笑いの笑顔だ。
「カリスト、ごめんね」
ママが僕の視線に合わせてしゃがみこんで、手を握ってきた。
ママの目を見られない。
ママは僕の返事を待つことなく、話をつづけた。
「お仕事がね、急に入っちゃってすぐに行かないといけないの」
「仕事?また仕事なの」
握られているはずの手の感覚が遠くに感じる。
「ごめんね、一人でご飯食べられる?」
今日も、一人で食べなきゃいけない。
わざわざ質問しないでほしい。僕が何て返しても、未来は変わらないじゃないか。
「僕の誕生日より、仕事が大切なんだね」
声が震えないよう、喉から絞り出した。
言葉にすると現実が押し寄せてきて、視界が滲んでくる。
だめだ、泣いてるなんてバレたくない。目に力を入れた。
「ごめんね」
と繰り返すママの声が遠くに聞こえる。
「ごめんって言ってるけど、それほんとに思ってるの」
握ってくる手が鬱陶しく感じて振り払った。
ママが何か言っているけれどどうでもいい。優しく言えば思い通りに行くと思っているのか。
いつまでも子供扱いするのも大概にしてほしい。
「いつも、いつも仕事ばっかで、僕より仕事が好きなんだね。そんなに好きならさっさと行ってこればいいじゃん」
机にバンッと両手をつく。
テーブルに置いたクローバーが揺れた。いっそのこと瓶ごと倒れてくれればいいのに。
「ママなんか、大っ嫌いだ」
近くにあったミトンをママに投げつける。
呆気にとられたママを横目に、外へと飛び出した。
走って、走って、行く当てもないままレンガを蹴り上げて走る。
知らない人の家から聞こえる「ただいま」という声や楽しそうな笑い声、全てが鬱陶しい。
町の光から逃げるようにただ足を動かした。
今までで一番早く走ることができているような気がする。冷たい夜の風が頬を撫でる。走れば走るほど、風が涙を乾かしてくれた。
「はぁ、はぁ」
息が上がってくる。酸素が足りないのか頭がぼぅっとしてくきた。
それでも足を動かした。
「あっ」
レンガの小さな段差に躓いて転んだ。
膝と咄嗟に着いた両手の手のひらがジンジンと痛い。
情けなくて、涙がこぼれた。地面に伏せたままの恰好から起き上がれない。
「クソ、こんなはずじゃなかったのに」
コツコツと誰かが近づいてくる足音が聞こえた。
ママかもしれない。ママじゃなくても知っている人かもしれない。
バッと逃げるように、また走った。
行き先なんて決まっていないのに。
町の音や光から遠く離れることだけを考えて、足を動かした。
気づくと、町はずれにある小さな丘の前に立っていた。頂上に大きな木が一本生えているだけの丘だ。
走った後の上り坂は、息が苦しい。
擦り剝けた膝が痛くて、立ち止まりそうになるけれど、今は一歩でも誰もいないところに行きたかった。
一歩、また一歩足を動かす。
丘上の木の幹に手をつくと、涙がまた一粒こぼれた。
木に背中を預けて、崩れるようにしゃがみ込む。
三角座りして、腕に顔を埋める。こらえていた涙が溢れて、止まらない。
ここには誰もいない。僕だけだ。
落ち着くのか寂しいのか分からないけれど、泣くのを我慢しなくていい場所はここだけかもしれない。
「うぐぅ、うぅ」
涙が止まらない。
木の葉がこすれる微かな音と僕の嗚咽だけが聞こえる。
僕は一人だ、誰も僕のことなんて好きじゃない。
きっと、いや絶対そうだ。僕のことを好きな人がいたら、今ここに一人でいないはずだ。
服が僕の涙を吸い込んでビタビタに濡れてしまった。パパが買ってくれた服に似ていて、お気に入りだったのに。
「パパ......。パパがいたら楽しかったのかな」
「会いたい」と声に出してみた。
そういえば、パパが死んでから初めて言葉にした。
家では言えない、ママが悲しむかもしれないから。
学校なんかじゃ言えない、みんなに心配されるから。
でも、ここには誰もいない。
何を言ってもいいんだ。そう思うと止まりかけていた涙がまたあふれ出してきた。




