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5

「電話が終わったら、一緒に食べようね」


ママがそう言って、電話に出た。


「うん」


 早く電話終わらないかな。

猫舌だから少し冷めたって食べやすくていいけれど、せっかくだから熱々のうちにグラタンを食べたい。


 ママのグラタンもオーブンからテーブルに運んだ。

テーブルの上には、僕の大好物だけが並んでいる。椅子に座って、電話が終わるのを足をぶらぶらさせて待った。

 


 ママはまだ受話器を耳に当てて、何かを話している。

すぐに終わると思っていたのに、長くなりそうだ。話し声が小さくて何を話しているのか僕には分からない。

分からないけれど、ちらちらと僕を見るママの顔が暗くなっていくのが分かった。


「ママ」


 不安になってママを呼ぶ。思っていたより小さくなった声は自分でも分かるくらい震えた。

 それでもママには聞こえたみたい。ママは僕のほうを見て、口に人差し指を当てた。


 「グラタン、冷めちゃうよ」


 思わず、独り言を呟いた。




 ガチャリ。


 ママが受話器を置く音がやけに大きく聞こえた。


「終わった?」


 ママに声をかける。

振り返ったママの眉毛がいつもより下がっている。嫌な予感がする。


「ママ、グラタン食べよ。今ならチーズも超長く伸びるかも」


 ママが何かを話す前に、早口で言った。ママが口を開いたら、楽しい時間が終わっちゃう気がした。


「ほら、こんな感じでビョーンって」


 両手を左右に広げて、おどけたようにいうとママが小さく笑った。

いつもと違う、困ったような作り笑いの笑顔だ。

 

 「カリスト、ごめんね」


 ママが僕の視線に合わせてしゃがみこんで、手を握ってきた。


 ママの目を見られない。

ママは僕の返事を待つことなく、話をつづけた。


「お仕事がね、急に入っちゃってすぐに行かないといけないの」

「仕事?また仕事なの」


 握られているはずの手の感覚が遠くに感じる。


「ごめんね、一人でご飯食べられる?」


 今日も、一人で食べなきゃいけない。


わざわざ質問しないでほしい。僕が何て返しても、未来は変わらないじゃないか。


 「僕の誕生日より、仕事が大切なんだね」


 声が震えないよう、喉から絞り出した。

言葉にすると現実が押し寄せてきて、視界が滲んでくる。


だめだ、泣いてるなんてバレたくない。目に力を入れた。


「ごめんね」

と繰り返すママの声が遠くに聞こえる。


「ごめんって言ってるけど、それほんとに思ってるの」


 握ってくる手が鬱陶しく感じて振り払った。

ママが何か言っているけれどどうでもいい。優しく言えば思い通りに行くと思っているのか。

いつまでも子供扱いするのも大概にしてほしい。


「いつも、いつも仕事ばっかで、僕より仕事が好きなんだね。そんなに好きならさっさと行ってこればいいじゃん」


 机にバンッと両手をつく。


テーブルに置いたクローバーが揺れた。いっそのこと瓶ごと倒れてくれればいいのに。


「ママなんか、大っ嫌いだ」


近くにあったミトンをママに投げつける。


呆気にとられたママを横目に、外へと飛び出した。




走って、走って、行く当てもないままレンガを蹴り上げて走る。


 知らない人の家から聞こえる「ただいま」という声や楽しそうな笑い声、全てが鬱陶しい。

町の光から逃げるようにただ足を動かした。


今までで一番早く走ることができているような気がする。冷たい夜の風が頬を撫でる。走れば走るほど、風が涙を乾かしてくれた。


「はぁ、はぁ」


 息が上がってくる。酸素が足りないのか頭がぼぅっとしてくきた。

それでも足を動かした。


「あっ」


 レンガの小さな段差に躓いて転んだ。


 膝と咄嗟に着いた両手の手のひらがジンジンと痛い。

 情けなくて、涙がこぼれた。地面に伏せたままの恰好から起き上がれない。


 「クソ、こんなはずじゃなかったのに」

 

 コツコツと誰かが近づいてくる足音が聞こえた。


 ママかもしれない。ママじゃなくても知っている人かもしれない。

 バッと逃げるように、また走った。


行き先なんて決まっていないのに。

町の音や光から遠く離れることだけを考えて、足を動かした。




気づくと、町はずれにある小さな丘の前に立っていた。頂上に大きな木が一本生えているだけの丘だ。


 走った後の上り坂は、息が苦しい。

擦り剝けた膝が痛くて、立ち止まりそうになるけれど、今は一歩でも誰もいないところに行きたかった。


 一歩、また一歩足を動かす。

丘上の木の幹に手をつくと、涙がまた一粒こぼれた。


 木に背中を預けて、崩れるようにしゃがみ込む。

三角座りして、腕に顔を埋める。こらえていた涙が溢れて、止まらない。


 ここには誰もいない。僕だけだ。


 落ち着くのか寂しいのか分からないけれど、泣くのを我慢しなくていい場所はここだけかもしれない。



「うぐぅ、うぅ」


 涙が止まらない。

木の葉がこすれる微かな音と僕の嗚咽だけが聞こえる。


 僕は一人だ、誰も僕のことなんて好きじゃない。


きっと、いや絶対そうだ。僕のことを好きな人がいたら、今ここに一人でいないはずだ。


 服が僕の涙を吸い込んでビタビタに濡れてしまった。パパが買ってくれた服に似ていて、お気に入りだったのに。


「パパ......。パパがいたら楽しかったのかな」


「会いたい」と声に出してみた。


そういえば、パパが死んでから初めて言葉にした。


家では言えない、ママが悲しむかもしれないから。


学校なんかじゃ言えない、みんなに心配されるから。


でも、ここには誰もいない。

何を言ってもいいんだ。そう思うと止まりかけていた涙がまたあふれ出してきた。

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