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第六話

 

 此の地の果てで闇が笑う。

 険しき大地の奥の奥。過去に数多の勇気ある者が世界を破滅から救わんと赴き、一人残らず戻る者はいなかった、忌むべき領域。


 昏き地の中には、陰惨たる空気と共に青い仮面を被った主が禍々しき王座に背を預けていた。

 全身に纏った青と黒の意匠が凝らされた鎧は彼の者の姿の一切を秘匿し、仮面の上から覗かせる黄金の髪が闇を吸ってその輝きを薄くしている。


「最早諦めたと思っていたのだがな」


 仮面の奥から漏れ出る枯れた男性の声は愉快そうに。

 側に控える悪魔を彷彿とさせる魔物に一言二言伝えると、それは虚空に溶け消えた。


「だが、見つかった。もう『見つかってしまった』。どれだけの加護を受けていようともそれでは間に合うまい……まったくもって愚かな女神だよ」


 この世界に蠢く『何か』は、とっくのとうにルールなどに縛られた神がどうこう出来る領域を超えている。パワーバランスを整えようとした女神の行動は全て裏目になる様に動き、遂には加護――――あらゆるチートの一つや二つぐらいは『一切相手にならない』レベルにまで掌握した。


 この男が神々を憐れむのは決して不遜などではなく、事実を述べたに過ぎないのだ。


「折角なら楽しませてもらおうと思ったのだが……」


 彼はサイドテーブルに置かれたグラスを手に取る。

 血の様に赤く、夜の様に暗いその液体を空中で踊らせると、一息に飲み込んだ。


「残念ながら、今回も『勇者』殿の出番は無さそうだな」


 僅かに落胆、或いは失望の籠った声だけが、深き瘴気を放つ城の中で響いていた。


 ーーーーー


「さて、これで準備は出来たかな」


 日も傾き、黄昏が世界を照らす頃、ミューリとカイトは依頼を受けた酒場に戻ってきていた。

 しばらく保存食の日々に戻るにはあまりに味気なく、折角だからと装備の確認も含めて夕食を酒場で採ろうとしていたのだ。


「食料と野営道具……細々とした道具はあるけど、肝心の武器とか防具が本当に最低限だ」


 受け取った前金のほとんどを事前準備で消費してしまったが、その分短期的な旅ならば十分にこなせるであろう道具が揃っている。

 しかし、元々護身道具を持っているミューリはともかく、カイトの武器は粗末な鉄製のナイフであり、身を護る防具も拳より一回り大きい盾、木と皮で作られたバックラーという最小限の物であった。


 戦いの可能性は少なくとも、身を護るには不安が残る。

 カイトの不満を知ってか、呆れた表情を浮かべた彼女は諭す様に言った。


「キミ、剣は振った事があるかい?」


「そりゃあ、向こうじゃ授業で木刀ぐらいしか振った事はないけど……」


「じゃあ無理だね。素人に本物の剣は扱えないよ。扱いやすいナイフの方が百倍戦える」


 身の丈に合わない得物を振り回しても、戦いの助けにならないというのが彼女の持論である。

 ついでとばかりに懐から取り出した水晶を覗いた彼女はカイトの顔をじっと見ると溜息を吐いた。


「キミの剣術は3。そこらの剣術ごっこをしている子供にも負けている」


「そんな……」


 無情な宣告に、彼女がステータス数値の開示を行うこの水晶が野暮だと言った理由もカイトは分かった気がした。

 自身の能力や才能は分からないからこそ希望を持てる時もあるのだと痛感する。それと同時に、希望的観測の一切を否定出来るこの水晶は、本当に便利であると同時に社会に対してあまりに劇薬であった。


「結局は地道な積み重ねだよ。不満があるなら訓練でもしておくんだね」


 それに数値はただの指標で絶対じゃない、と彼女が語った所で、席に酒場の従業員が現れる。

 彼の手には作り立ての湯気が立ち、刺激的な香りを漂わせる肉塊の乗った皿が二枚。


「待たせたね、『チキンのスパイシーロースト』が2枚だ」


 目の前に現れた肉の塊に、カイトは思わず涎が垂れそうになる。

 向こうの世界とは違ってざっくばらんな盛り付けではあるが、その分ワイルドなまでに盛られた量は胃袋を刺激する。味も少なくとも保存食の硬いパンよりは何倍も良い筈だ。


「私もまともな食事は久しぶりだ。心が躍るな」


 それは目の前の少女も同じ様で、感情の起伏が少ない彼女であってもこの料理には頬を緩める。

 場も一度落ち着いた所で「いただきます」と手を合わせようとしたカイトは彼女は諫めた。


「それは今度からこっそりとするんだね。テンセイシャ特有の所作だよ」


「これもか……でも、向こうでは食事に感謝するのが普通なんだ。あんまり控えたくないけど」


「分かっているよ、その儀式は非常に素晴らしい心構えだと私も思う。だから『こっそり』と、ね」


 現代日本特有の食事の所作はこちらでも伝わっており、一定の支持を集める一方で転生者の悪名の高さと相まってあまり人前では推奨されない動作となっている。

 カイトは想像以上に面倒な世界だと思いつつも、自身の命や彼に関わっている少女を危険に晒す訳にはいかないと心の中で手を合わせる事にした。


 改めて、ナイフとフォークを使って肉を切り分け、一塊を口に入れると中に肉汁が広がる。

 辛みの伴うスパイスであったがそれがよりこの料理の旨味を引き立たせた。


「美味しい……!」


 出来たてだからか、最初の保存食によって心理的なハードルが下がっているのかは定かではないが、ともかく噛みしめる程に引き出される味わいは向こうの世界にも劣らない。

 じっくりと旨味を堪能すれば、ふわりと漂うスパイスの刺激的な香りが再び食欲を刺激する。


「確かに、この味は中々出会えないね。彼らに自信があったのにも頷けるよ」


「帰ってきたらまたここで食べよう。別のメニューも試してみたいしな」


「行く前にもう戻った後の話か。キミは楽観的だね」


 ミューリは呆れた様な笑みを浮かべる。普段から気を張っている様に見える彼女が見せた緩みが、初めてカイトにとってこの世界で『人間』と出会えた様な安心感を生まれさせた。


 良質な料理は自然と会話を進める助けになる。

 二人の楽し気な交流は食事が終わるまで続いたのであった。


 ーーーーー


 腹ごしらえをして外に出れば、既に天には月が輝いている。

 今まで不思議には思わなかったがこの世界にも地球と同じ様に太陽と月があるのだと思うと、カイトは不思議な気持ちになった。


「普通に考えれば、月や星が当たり前にあるのも変な話だよな。世界自体が異なるって言うのに、色々な要素が似通っている」


「逆に考えれば、世界を構成する最小の単位なのかもしれないよ。太陽や月、朝と夜という概念は、ね」


 宿の一室を借りた二人は、最低限の生活環境が整えられた部屋の中でそれぞれの寝具の上に居た。

 寝間着は無いが、身体を洗い流す施設が併設されており、多少はさっぱりとした気持ちで夜を迎える事が出来たのだ。


 しかし、腑に落ちない点があるとすれば。


「なんで君と一緒の部屋なんだ……」


「不服かな。けれど、二人で別々の部屋を借りるというのは金銭的な負担が大きいんだ。前金はそれなりにあったとは言え、多少の事を気にして散財すれば一瞬で無くなってしまう」


「それはそうかもしれないけれど、一応年ごろの男だぞ俺は」


 カイトの目から、月明りに照らされた彼女の姿が息を飲む程に美しく見える。

 それはやはり彼女の新緑を思わせる瞳が闇の中にあって煌々と輝いているように感じるからだろうか。

 己の心臓が自然と早くなっているのにも彼は気づかなかった。


「些末な事だよ。キミの世界ではどうだったか分からないけれど、そんな事を気にしていたらこの世界ではすぐに『死ぬ』よ」


 ミューリの言葉にカイトは反論の言葉を噤む。

 彼女の言う通り、この異世界では様々なリスクが常に付き纏う。特に神々に見捨てられた世界ならば猶更何が待ち受けているのか分かったものではない。


 転生初日という事で色々あったが、この先も決して気を抜いては行けないのだと改めて自身に喝を入れたカイトは寝具の上に転がった。


 暖かな光を放つ蝋燭を消すと、途端に世界が暗闇の中で静かになる。

 窓から差す月明りがいやに眩しく感じた彼は、ほのかに燻る眠気の中でずっと疑問に抱いていた事を口にした。


「……なんで俺みたいなやつの面倒を見てくれるんだ?」


 カイトは転生者である。

 この世界の事を深く知れば知る程に、現地の民からは忌み嫌われている者たちの一人。

 いくら彼が命を救ってくれた人だったからといって、右も左も分からぬ若者が一人立ち出来るようになるまで付き合ってくれる赤の他人などそうはいない。


 突然の問いは夜の風に流されて消えたと、彼が思った矢先。


「私が知っている人に、似ててね」


 ささやく様な彼女の声が響く。

 それは何処か寂しく、記憶を辿る様に揺らいで。


「今度は見捨てまいと……そう思ったのさ」


 この言葉を最後に、ミューリからの反応は無くなった。

 世間から見たらまだまだ自分は若造だとカイトは思っているが、彼女は見た目だけならそれよりも若い。そんな彼女がどれだけの人生の修羅場を潜ってきたのか。想像もつかない事に思いを馳せると、自然と目蓋が重くなっていく。


「おやすみ、ミューリ」


 束の間の安息を大切にしようと、カイトも意識を手放したのであった。


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