第六十五話 今までのハナコと、これからの私
あれから一週間が経った。
俺はハナコさんと二人、病院の待合室にいた。
両手は包帯でぐるぐる巻き、
足はガチガチのギプスで固められている。
それでも、今日でようやく退院だ。
ハナコさんは俺の足を見るたびに
辛そうな声で謝っていた。
……もう大丈夫なのに。
待合室のテレビでは
連日あの夜のニュースが流れていた。
一般の人たちは、あの神バトルなんて知るはずもない。
画面の中ではコメンテーターが
「局地的な隕石の落下ではないか」
とか言っていた。
……確かに、うちの神社の裏山には
デカい穴が空いちゃったもんな。
お見舞いに来た夢野が
「『隕石神社』に改名して参拝客を呼び込むっすよ!」
と鼻息を荒くしていたが、お断りだ。
隕石だけでは説明がつかない現象も多かったらしいが
警察の発表は「現在捜査中」。
そりゃあ、解決するわけがない。
まさか神様たちが喧嘩をしていたなんて
正直に言っても信じられるわけがない。
ハナコさんがテレビを見つめ、また顔を曇らせた。
自分が出した被害だという自覚が
ハナコさんを苦しめていた。
退院の手続きを済ませ
俺たちはひなたが来るのを待った。
今日は三人で一緒に帰る約束をしている。
「ハナコさん、もう気にしなくていいよ」
俺は、羽のなくなった彼女の背中を、そっと撫でた。
……よし、これは彼氏にしか許されない特権だ。
「でもぉ……ハナコのせいだしぃ……」
「確かに悪いことはしちゃったけどさ
これからはちゃんと『氏神様』として
この街を見守っててよ。
ウズメさんとも約束しただろ?」
幸いなことに、人的被害は軽傷者が数人で済んだ。
一番の重症者が俺自身だというのは、結構心の救いだ。
「……うん。ハナコ、頑張るねぇ」
俯いたまま、絞り出すように言うハナコさん。
……ちょっと空気が重いな。少し話題を変えよう。
「そういえばさ、ハナコさん。
入院中、ずっと隣の簡易ベッドで寝てたよね」
「うん。隣で寝るの、初めてだったねぇ……
少しだけ、離れてたけどぉ」
ハナコさんが、ようやく少しだけ表情を緩めた。
「……寝相。 悪いの治ったの?」
ハナコさんの寝相は破壊的だった。
それが怖くて、俺はこれまで押し入れで寝ていた。
……恥ずかしかったってのもあるけど。
「あ、あぁ……あれねぇ」
ハナコさんはバツが悪そうに視線を泳がせた。
「ハナコねぇ……今までずっと
夢の中にツクヨミくんが出てきてたんだぁ」
「えっ……そうだったの?」
初耳だった……
「うん。夢の中でねぇ……
ツクヨミくんが、ずっとハナコを誘惑してたのぉ
それで「嫌だよぉ」って抵抗してたからぁ……」
少しだけ眉をひそめて、彼女は過去を振り返る。
だが、すぐに顔を上げて明るく笑った。
「でもね。羽も輪っかも消えたでしょぉ?
もうツクヨミくんとは、本当にお別れできたんだよぉ」
その笑顔は、これまで見てきた
どんな表情よりも透き通り、安らぎに満ちていた。
……ふと、俺の中に拭いきれない疑問が浮かんだ。
「……あのさ、ハナコさん」
「なぁにぃ?」
「その……『ツクヨミくんの誘惑』
っていうのは、具体的にどういう……?」
俺の問いに、ハナコさんは一瞬で
顔を林檎のように赤くした。
「そ、そんなこと……言えないよぉ。バカぁ……」
――その反応……!!
俺は今、生まれて初めて
月讀命に対して、純粋な殺意が湧いた。
おいおいおい……何を誘ってやがるんだ、あの元カレ。
けしからん!実にけしからん!
今の彼氏は俺だっつーの……!
……いや、落ち着け。終わったことだ。
自分に言い聞かせて、心を鎮める。
冷静になれ、俺。
「あとねぇ……太郎くん」
「ん? どうしたの?」
「ハナコねぇ……もう一つだけ
内緒にしていることがあるんだよぉ」
ドキリ、心臓が跳ねた。
また何かショッキングな事実が
飛び出すんじゃないだろうな……
「ハナコねぇ。話し方とか
すごく子供っぽいでしょぉ?」
「……まあ、うん。そうだよね。それがハナコさんだし」
「これも、ツクヨミくんから逃げているうちに
心が変になっちゃってぇ……
こうなっちゃったんだけどねぇ……」
……そうだった。
彼女は二千年以上もの間
たった一人で耐え続けていたんだ。
さっきまでの嫉妬心が、ふっと影を潜める。
すると、ハナコさんが俺の耳元に顔を寄せ
熱い吐息と共に囁いた。
「――本当はね。もう、普通に話ができるんだよ?」
心臓が止まるかと思った。
ハナコさんがハッキリとした口調で
大人の女性として、真っ直ぐに俺に語りかけてきた。
「ねぇ? 太郎くんはどっちが好きかな?」
ハナコさんは少し顔を離すと、潤んだ瞳で俺を見つめた。
「今までのハナコと、これからの――私」
声の主を直視できない。
ハナコさんは顔を真っ赤に染めている。
たぶん、俺も今、同じ色になっているはずだ。
「ど……どどど、どちらが良いかと言われましても……っ」
あまりに大人びたハナコさんの破壊力に
俺はドギマギして敬語になってしまう。
ハナコさんは「ぷっ」と吹き出すように笑った。
「ハナコも、急だと恥ずかしいからぁ……
もうちょっとだけ、今まで通りにするねぇ」
「あぁ、うん……お願いします」
どっちのハナコさんも、たまらなくかわいい。
それを口に出して伝えればいいのに
俺は未だにハナコさんのペースに飲まれっぱなしだ。
「あとねぇ。寝相、治ったでしょぉ?」
「うん……そうだね」
「じゃあ、今日からは一緒に寝られるねぇ」
ニマ~っと、笑うハナコさん。
……ひなた、早く来てくれ!!
これからのハナコさんは
今まで以上に手強い女神様になりそうだ。
俺は心の中で、まだ見ぬ救世主の名を絶叫していた。




