第六十二話 太郎はハナコを選ぶの?
むかし、むかしのお話。
高天原の友人たちと別れ、
ツクヨミくんについてきたのに……
結局、ハナコは最後までついていくことができなかった。
ハナコはこの世界が、何よりも大切だったから。
朝の澄んだ空気。昼の鮮やかな景色。
燃えるような夕日と、静かな夜。
ずっと見ていたい、大好きな世界。
ツクヨミくんはその世界を「汚す」と言った。
……それだけは、許せなかった。
けれど、ツクヨミくんのことも大好きだった。
ストイックで、曲がったことが大嫌いで
……でも……だから、彼は堕ちた。
世界の一部――概念となった彼は、
二千年の間、ずっとハナコを呼び続けていた。
夢の中ではいつも、早くこちらへ
来るようにと誘惑される。
大好きな世界を壊したくない。
その一心で、ハナコは必死に耐えた。
いつの間にか、自分のことを名前で呼ぶようになり
言葉は幼くなり、精神は幼児化していった。
そうしなければ、心が保たなかったのだ。
そして今、――太郎に出会った。
自分が生きながらえるための
人間の欲を満たすための、くだらないキャンペーン。
太郎はハナコを選んだ。欲丸出しの、ただの人間。
けれど、彼は未だに手さえ繋いでこない。
それなのにハナコの世話を甲斐甲斐しく焼き
居場所を作り、一人の神様として
一人の女の子として扱ってくれた。
「追いかける恋」しか知らなかったハナコにとって
それは初めて知る「愛される喜び」だった。
近くに、太郎を好きな女の子がいた。
ひなたちゃん。
彼女は人間で、ハナコは女神。
圧倒的にハナコの方が綺麗。
それなのに……ハナコは、負けた。
太郎の嘘が、許せなかった。
……信じていたのに。
元々壊れかけていた心が、一気に崩落した。
大好きだった世界さえ、どうでもよくなってしまった。
たぶん、ハナコはもうツクヨミくんが好きじゃない。
二千年もネチネチとしつこいし
ハナコの好きなものを壊そうとするから。
でも、壊れた心で堕天するのは
ちょうどいい「逃げ場」に思えた。
もう何も考えなくていい。
世界が綺麗だったことなんて忘れて
全部汚れてしまえばいいんだ。
……そう思っていた。さっきまで。
それなのに、太郎は言った。
世界なんかより、ハナコが大事だ、と。
なんで?
世界がなかったら、太郎だって死ぬ。
そんなに弱くて儚い生き物なのに。
ハナコが散々いたぶって
壊れる寸前まで追い込んだのに……
訳がわからなくなった。
ツクヨミくんだって
ハナコより「理想」を選んだ。
ハナコだって
ツクヨミくんより「綺麗な世界」を選んだ。
それなのに……太郎は「ハナコ」を選ぶの?
神様たちの常識が、今、根底からひっくり返った。
呆然と立ち尽くすハナコの視界に
一人の少女が現れた。
ここにいるはずのない女の子……
白いワンピースはボロボロに裂け、足は裸足。
髪はぐちゃぐちゃで、体中が打撲と擦り傷だらけだ。
「……ひなたちゃん」
満身創痍のその子は、ハナコを見るなり
迷うことなく、ハナコの胸に飛び込んできた。




