◆第88話:歪みゆく平穏◆
朝食の後、いつものように家事を分担して片づけを進めていた。
エクリナはキッチンで食器を洗い、ルゼリアは廊下の掃除、ライナは洗濯物を干し、ティセラは工房で術具の調整を行っている。
「ふむ、実に順調である」
洗い物を終えかけたエクリナは、ふと手を止めた。
皿の表面に映った自分の姿――その“映り込み”が、まるで水面に石を投げたように波打ち、ひと呼吸の間だけ形を崩した。
「……う〜む、汚れが落ちておらぬのか?」
そう独りごちて、もう一度皿を見直す。
だが、そこにはいつもどおりの――銀糸の髪と碧眼を持つ、自分の姿が映っていた。
(……気のせいか?)
その違和感は、皿の水滴と共に静かに流れ落ちていった。
◆
午後、皆で街へ出かけることになった。
近頃は転移扉の拡張により、時折こうして家族で外出するのが習慣になっていた。
賑やかな通りに並ぶカフェのひとつで、五人は円卓状のテラス席に腰を下ろす。
ティセラは相変わらず、外出用の服に小さなマントを羽織り、品よく座っていた。
その隣で、赤い短髪を後ろで跳ねさせたルゼリアが、真剣な表情でメニューのカロリーを確認している。
「……この甘さ、バランスがやや偏っていますね。糖分が……」
「ちょ、ルゼリア! 今日はそういうのなしにしましょう!」
ルゼリアの真面目さに、ライナは思わず吹き出しそうになった。
ライナはセディオスとスイーツの感想を言い合い、ふとにっこりと笑ってスプーンを構える。
「これおいしいよ! 王様!」
差し出されたスイーツに、エクリナは少しだけ戸惑った。
だが、恥ずかしそうに笑いながら、それを口に運ぶ。
「……おお、これもうまいな」
「でしょ!」
それを見ていたセディオスが、静かに頷いて笑う。
逆立つ茶髪と寡黙な眼差し――普段は無口な彼も、こういうときには表情が柔らかくなる。
「夕飯も、この街で食べていくか?」
「うむ、たまの外出だしな。……気になる店もある」
「それは楽しみです」
「いいと思います!」
ルゼリアとティセラも、微笑を浮かべて同意した。
◆
「では私たちは買いたいものがあるので別行動にしましょう。十八時にお店で集合ということで」
そう提案したティセラは、さりげなくルゼリアとライナを引き連れて立ち上がる。
「気を使われたか……」
「そうらしいな」
エクリナとセディオスは、静かに顔を見合わせた。
「……まあ、たまにはな……良いであろう……」
頬をわずかに赤らめ、視線を逸らすエクリナ。
「時間があるし、少し観光しないか?」
「うむ。この街にはあまり来ぬからな」
「ああ、では――出発だ」
セディオスがさらりとエクリナの手を握る。
その手は、大きくて、温かかった。
エクリナもゆっくりと握り返し、言葉にせぬ想いを込める。
二人は連れ立って、夕暮れの街を歩き始めた。
夕陽が街路を染め、二人の影が一つに重なる。
――その影が、次の瞬間、ほんのわずかに“ずれた”ように見えた。




