◆第86話:賑やかな夜の囁き◆
その夜、碧湾町エルシェイド内の別荘――
悪夢の昼を超えた四人は大浴場へ向かい、身体を洗っていた。
四人とも沈黙を貫き、まとわりつく何かを拭い落とすようにゴシゴシと布で擦っていた。
湯気の立つ洗い場に、しばらく会話はなかった。
ただ、布が肌を擦る音と、湯を汲む桶の音だけが響く。
ライナはいつもなら真っ先に湯へ飛び込むのに、今日は念入りに腕を洗っていた。
ルゼリアは無言で髪先をすすぎ、ティセラは自分の肩口を確かめるように何度も湯を流す。
エクリナだけは、王らしく平静を装っていたが、その手元はいつもより少し荒かった。
ひとしきり洗い終わると、浴室に入る。
湯につかり、今日の恐怖と怒り、恥辱を溶かしていく。
「う、う……ぐすん」
ライナは泣いていた。
これまで数多の獣を狩り続けている少女は、初めての仕打ちに何とも言えない感情になっていた。
「ライナ……」
その声に反応するように濡れた髪を撫でるルゼリア。
「エクリナ、大丈夫ですか?」
ティセラも泣くのをこらえてエクリナを気遣う。
「良い浜辺だったのだがな……どうしてあんなことに……」
エクリナは天井を見つめていた。
星空が眺められる大きな窓――別荘のおすすめの場所であった。
煌びやかな空を見ながら、心は沈んでいた。
ティセラ・ルゼリア・ライナは自然とエクリナに寄り添っていた。
心の奥底では癒しを求めていた。
無意識の行動であった。
湯面が小さく揺れる。
ライナがエクリナの肩に額を預け、ルゼリアはその反対側にそっと寄る。
ティセラは何も言わず、エクリナの髪先に残った潮を指で梳いた。
誰かが何かを言ったわけではない。
けれど四人とも、同じものを求めていた。
あれはもう終わったのだと、互いの体温で確かめたかった。
大浴場から出ると夕食が運ばれていた。
食卓に並べられた料理の中に、地元名物の蛸料理が一品――蛸のカルパッチョがあった。
丸皿の上に、美しく薄切りにされた蛸が並んでおり、透き通るような身。そして、香草と柑橘の香り。
料理としては、間違いなく上等だった。
だが、今日の四人にとっては違った。
あまりにも、昼の記憶を呼び戻す形をしていた。
「「「「…………」」」」
無言のまま、エクリナ・ルゼリア・ライナ・ティセラの四人が、ぬるりとした視線をセディオスに向ける。
そして次の瞬間、四人は無言のまま、目の前の蛸の大皿を
――ぬっ、と同時にセディオスへ差し出した。
その目には、惨事に間に合わなかったセディオスへの抗議の意を含んでいた。
◇
エクリナ、ルゼリア、ライナ、ティセラの四人は同室に宿泊し、寝間着姿でベッドに座っていた。
セディオスは別室で休んでおり、彼女たちは安堵と共に晩酌を楽しんでいた。
夜の部屋には、海の匂いを消すための香草が焚かれていた。
窓の外では波音が遠く、昼間の騒ぎが嘘のように静かだった。
卓には葡萄酒と甘い焼き菓子。
事件の記憶を笑い話に変えるには、少しばかりの酔いと気を許せる相手が必要だった。
「はぁ……今日は色々ありましたね……」
「ほんとだよ、あんな気持ち悪いの、二度とごめんだよ……」
ルゼリアがグラスを手にため息をつき、ライナも小さくうなずいた。
しばらくは、昼の惨事への文句が続いた。
触手が気持ち悪かった。砂が入った。海水を飲んだ。髪に粘液が残った気がした。
そして――セディオスが戻るのが遅かった。
ひとしきり言い終えると、ようやく部屋の空気が軽くなる。
そこで、ティセラがふとニヤリとした笑みを浮かべた。
「そういえば、エクリナ? 今日の騒動のときに言ってましたよね、“そこは、まだ触れられてはおらんところだぞ?”って」
「んなっ……!?」
エクリナがピクリと肩を震わせ、顔を赤く染めて振り向いた。
「そ、それは……っ、あのような状況で無防備に……っ! 我が意図とは違うぞ…っ!」
「へぇ〜? じゃあ、セディオスとは、まだ……なんですか?」
ティセラの声音には、どこか嬉しそうな響きが混ざっていた。
「う、うぬはっ……! 馬鹿なことを言うなっ……!///」
「ティ、ティセラ……その話題は……」
ルゼリアが止めようとしたが、口元が少し緩んでいた。
「え、なになに? 王さまとセディオスって、まだそういう感じなの?」
「とっくに、もっと進んでると思ってた……」
ライナが身を乗り出す。
「違う! 違わぬが、違う!」
エクリナは枕を抱えたまま、意味の分からぬ否定をした。
「どっちですか、エクリナ」
興味津々の赤毛の少女。
「うぬまで乗るでない、ルゼリア!」
「まあまあ、いいじゃないですか? で、どこまで進んで――」
顔を真っ赤にしているエクリナに、ここぞとばかりに確認するティセラ。
ルゼリアとライナは、その様子を葡萄酒を口に含みながら見ていた。
「エクリナの顔が真っ赤に……本当に変わりましたね……」
「この表情、初めて見たかも!」
「う、うるさいっ! 寝るぞっ、もう我は眠るっ!」
そう叫んで布団に潜り込むエクリナ。
賑やかで、かしましくも温かな笑い声が部屋に広がり、夜の静寂に溶けていった。
──こうして、最悪の一日の終わりは柔らかな笑顔と共に幕を閉じた。
今回で五章が完了です。
六章移行への準備回ということもあり、セディオスの再起を書いてみました。
セディオスは剣士でありながら、中年です。
魔力生成器官である魔核の減退だけではなく、肉体的にも衰えがあるようにしています。
私も中年なので、そこを被せているのかもしれません。
後半の水着回は、書いてみたかっただけです。
この先出せるビジョンが思いつかなかったので、早々に書いてみました。
次回は、『10月12日(日)13時ごろ』の投稿となります。
引き続きよろしくお願いしますm(__)m
ここまで読んでくださり、ありがとうございました!
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