◆第84話:波間に忍ぶ影◆
碧湾町エルシェイド。
その貸し切り浜辺でエクリナ一家は休息を楽しんでいた。
ルゼリアとライナは専用の板に乗り、初の波乗りを成功させていた。
ティセラとエクリナは、海に潜り色鮮やかな魚を追いかけ、見たこともない煌びやかな世界に浸っていた。
だが、ほんの一瞬だけ、小魚たちが同じ方向へ逃げるように散った。
エクリナは振り返ったが、水の奥にはただ青い揺らぎがあるだけだった。
ひとしきり楽しんだエクリナは、軽く濡れた髪を払いながら日傘の下に戻ってきた。
潮風の中に、どこか懐かしい海の匂いが混じっている。
「セディオス、我は少し疲れたぞ……」
「お疲れ様。ほら、水をどうぞ」
差し出された水筒を受け取り、一気に飲むエクリナ。
冷たい水が心地よく喉を潤す。
「……ふぅ、助かった」
彼女の視線が砂浜に向かう。
そこでは、ルゼリア、ライナ、ティセラが魔法を駆使して砂の城を作っていた。
ライナが砂を盛り上げ、ルゼリアが適量の水を見極めて固めていく。
ティセラは成型しながら結界で崩れないように補助していく。
見事な連携――城を造っていたはずが、城壁備えて要塞と化していた。
外壁には貝殻が並び、塔の先端には流木で作った旗まで立っている。
ライナがやりすぎたせいで、城門はなぜかエクリナより大きくなっていた。
「これで塔が完成ですね」
「おっきくしすぎたかもっ!? 崩れちゃわないかな!?」
「大丈夫。支柱にも結界魔法をかけましたから」
その朗らかな笑い声が、波の音と共に耳に届く。
「たまには館から離れてみるのも良いな……」
「ああ、皆の知らない一面が見られる……」
微笑みながら見つめてつぶやくエクリナ。
「まるで母のような目をしているな、エクリナ」
つぶやきに応えるように言うセディオス。
「なっ! どちらかと言えば、我は姉に近いのだぞ……」
水筒を指先で撫でながら、真面目に答えるエクリナ。
「はは、そうだったな」
セディオスは穏やかに笑った。
エクリナはそっと微笑み、隣のセディオスと視線を交わす。
「……良い眺めだな」
「そうだな。こういう日が、永遠に続けばいいんだが」
柔らかな静寂がふたりを包み込む。
ぐうぅ~とセディオスが腹を鳴らす。
「はは、昼時か。頼んでおいた昼食を受け取りに行ってくる。店の者は、この浜辺の奥までは入れない決まりらしいんだ」
「む……そうか。ならば仕方あるまい」
「ついでに少し歩いて、酔いも覚ましてくるよ」
砂を払いながらセディオスは立ち上がる。
「む……わかった。気を付けて行くのだぞ」
もう少し語っていたい気持ちを押し込みながら、エクリナは声を掛けた。
セディオスは軽く手を振りながら砂丘の向こうへ消える。
その姿を見送った後、エクリナはゆっくりと日傘の下に身を預けた。
エクリナは小さく息を吐いた。今日は休む日。
そう決めていたから、魔力感知の範囲もいつもより少しだけ狭めていた。
ふと、エクリナの耳に“かすかな低い唸り”のような音が混じった気がした。
しかし、次の瞬間にはもう、ただの潮騒しか聞こえなかった。
エクリナは薄く目を開け、沖を見た。
波は穏やかだ。
砂の城の前では、ルゼリアたちがまだ笑っている。
(……気のせい、か)
そう思った瞬間、潮風が心地よく頬を撫でた。
疲れた身体が、警戒よりも休息を選んでしまう。
「……ほんの少しだけ、休むとしようか……」
心地よい風が優しく髪を撫で、波音が子守唄のように響く。
まどろみの中、彼女の意識がゆっくりと沈んでいく。
──そのとき、沖の波間が一瞬だけ、違う色を帯びた。
白い飛沫の中に、わずかに“黒い影”が混じり、すぐにまた消える。
砂の城の周りに作った水堀へ、波が細く入り込む。
その水が、一瞬だけ黒く濁った。
「あれ? 今、変な色しなかった?」
「海藻でも混じったのでしょう」
ルゼリアはそう言いながらも、すぐに塔の補強へ意識を戻した。
その間にも、海鳥の鳴き声がかすかに途切れ、空気がわずかに重くなる。
浜辺を撫でる潮風の向きが、ほんの僅かに――変わった。
それは、何かが「近づいている」ことを、大海が告げているようだった。
──しかし、誰も気づかなかった。
海の中、ゆらりと蠢く異形の影。
それは潮の満ち引きに紛れ、音もなく浅瀬へ近づいていた。
波が寄せるたび、黒い筋が砂の下へ潜る。
波が引くたび、それはほんの少しだけ少女たちへ近づく。
無邪気な笑い声は、まだ途切れない。
その足元で、黒い影が静かに形を変えた。
次回は、『10月9日(木)20時ごろ』の投稿となります。
引き続きよろしくお願いしますm(__)m
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