◆第81話:―王の静かな嫉妬―◆
その日の夕刻――
書庫の窓から漏れる陽光が和らぎ、やがて館の空気に夜の気配が混ざり始めたころ。
エクリナは静かに廊下を歩いていた。
「まったく……我が側近との訓練の日々。良きことではあるのだがな……」
腕を組み、不満げな顔であった。
ブツブツと何かをつぶやきながら、とある人物に会うため、回廊を進む。
一歩、また一歩。重厚な書庫の扉の前で足を止め、ノックの音が響く。
「セディオス。我であるぞ」
「どうぞ、入ってくれ」
返事を受け、扉を開けたエクリナは、書棚から何冊もの本を取り出して、机に並べているセディオスの姿を見つけた。
《ディスフィルス》に刻まれた魔法式の一覧、自身が使える魔法、それに対する考察。
そのどれもは、今の日常を護るための準備だった。
そこにいるのは、我が主ただ一人。
ルゼリアの姿はなかった。
「ふむ、うぬは最近、ルゼリアと随分と親しげであるな?」
エクリナの唐突な問いかけに、セディオスは少し驚いたように振り返る。
「そうか? 魔法研究の話で盛り上がっていただけだが」
「そ、そうであろうな……! そ、それなら良いのだが……っ」
エクリナは目をそらしながら、わずかに頬を染める。
何気ないやり取りの中に、ほんのりとした不満と寂しさが滲んでいた。
「我も……我だって、うぬと話したいことがあるのだぞ!」
感情を何とか抑えつつ、懸命に話を続ける。
「そうか。なら、今夜は俺の部屋で少し話そう。紅茶でも淹れるよ」
何気ない優しさ。
しばらく、夜の語らいができていなかったセディオスは埋め合わせをすると提案をしていた。
「なっ……! こほん…そうだな、まあ……少しなら、付き合ってやっても良いぞ……っ」
彼女の表情には、幼さと威厳の狭間で揺れる複雑な感情が浮かんでいた。
「それと……」
エクリナは小さく呟く。
「ライナとも、よく模擬戦をしておるのだな……。そっちでも楽しそうで……、ふん、うぬは我を差し置いて忙しいのだな」
まるで拗ねた少女のように話題を変え、さらなる追求をする。
(……我だって、うぬの隣に居たいのに……)
以前なら、午後になれば紅茶を淹れ、夜になれば他愛ない話を交わしていた。
今日の茶葉の香り。
新作の菓子の感想。
庭先の花の変化。
ライナが割った皿の数。
そんな些細なことを、セディオスはいつも静かに聞いてくれていた。
それが――ここしばらく途切れていた。
それほどまでにセディオスは必死だった。いつ来るのかわからない襲撃に備え、懸命に過去の自分を取り戻すべく励んでいた。
だが、エクリナは久しぶりの孤独を感じていた、感じてしまったのだ。
「違うよ。ライナとの修行も、皆のことを考えての訓練だ。エクリナや家族がいる"今の日常"を護れるようにしたいんだ」
「寂しい想いをさせてすまないな……」
セディオスは、飾らずにそう告げた。
「……っ、そ、そうか……。それなら、まあ……許してやらんでもないっ」
そっぽを向きながらも頷く魔王。
エクリナはそんなことは理解していた。
自慢の側近――ルゼリアとライナが成長し、セディオスは戦う力を蓄えている。
それは動きをみれば、すべて分かる。
だが、どうしても――誰より近いその男の口から、はっきりと聞いておきたかった。
セディオスは、素直になれないその声音の奥に、寂しさと愛おしさを感じていた。
「ありがとう、エクリナ」
「……ふん、礼などいらぬ。そもそも我が誘ってやったのだぞ」
館の静かな夜――
月光が差し込むテラスに、ふたりの影が並んで伸びていく。
心地よい風の中、湯の音が小さくなり、茶葉の香りが夜気にほどけていく。
セディオスがカップを差し出すと、エクリナはそっと受け取った。
「……中々だな。だが、もう少し蒸らすともっと良いぞ?」
「はは、俺が紅茶の淹れ方を教えたんだがな、いつの間にか超えられてしまったな……」
かつての旅。
その道中での唯一の楽しみは紅茶だけだった。
エクリナが興味を持ち、淹れ方を教えていた。今やそれがエクリナの習慣になっていた。
「ふふ。セディオスからは色々教わったし、すべて覚えておる。これからももっと教えてくれ」
「ああ、まだまだ世界を教えていきたいな。今度出かけるか……」
二人は紅茶を手に、身を寄せ合っていた。
少しだけ近づいたその距離に、微かな温もりが灯る。
それは、王と主が分かち合う――静かな幸福のひとときだった。
次回は、『10月5日(日)13時ごろ』の投稿となります。
引き続きよろしくお願いしますm(__)m
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