◆第75話:刻まれる悔悟の刃◆
翌朝――
陽が昇るよりも早く、セディオスは静かに目を覚ました。
肩から腰にかけて筋肉が硬直し、呼吸を深く吸い込むだけでわずかに胸が軋む。
昨日の訓練の余韻は、まだ鮮明だった。
(……あの動きについていけなかった。たかが模擬戦で、だ)
かつては数百の魔哭神兵を斬り伏せてきた己が――
今や、一人の少女……いや、一人の“戦士”として成長したライナにすら翻弄されている。
「未熟じゃないな……ただ、俺の力が不足しているんだな……」
ベッドから這い出ようとすると、手足がしびれていた。
少しだけ体を動かせば、肩は上がらず、右腕の筋は痛み、脚は棒のように重かった。
「はは……少しの本気を受けただけで身体が軋んでいるか。あの頃はもっとライナと打ち合い、魔法すら切っていたのに、この様とはな……」
ゆっくりと肩を回し、筋を伸ばしていく。
自身の脚をもみ、強張りを取っていく。
全身の筋肉痛――実感したのは久々のことであった。
それほどに、ライナとの本気ではない模擬戦は熾烈であった。
「これも衰えか……」
言い訳をする気はなかった。
ただ、今の現実を静かに受け入れるしかなかった。
* * *
そのころ、屋外の訓練場では、ライナが木剣を振っていた。
「う~ん……昨日のセディオス、ちょっと様子が変だったな」
《魔斧グランヴォルテクス》の重みを思い出すように腕を振りながら、彼女は静かに呟く。
「でも……手加減するのって、失礼だし……」
迷いを含んだまま、ライナはひたすらに木剣を振り続けた。
額から滴る汗を拭いもせず、振り下ろすたびに土埃が舞い上がった。
「いつもは……こんなふうに、流れるように……」
ライナは誰かを相手にしているように、木剣を振り始める。
これまで学んだことを詰め、セディオスの型を模し、感覚を研いでいく。
それは粗々しくも、立派な騎士剣技であった。
「セディオスなら……こう動く! こう斬る! こう捌く!」
弟子入りしたわけではないが、剣を教えてもらうのは楽しかった。
そして、セディオスの強さに近づく自分が誇らしかった。
しかし――学ぶほどに、昨日の手応えの軽さが胸に引っかかる。
昔のセディオスは、きっとこんなものではなかった。
だからこそ、昨日の物足りなさが胸に残っていた。
「セディオスのために僕ができることは何だろう……」
迷うほどに剣筋が鈍る。それでも振るい続ける。
斬り上げ、引き戻し、踏み込みからの体重移動――セディオスが何気なく見せていた動きは、真似してみるとどれも洗練されていた。
「難しいな……まだまだセディオスには遠い。もっと、強いセディオスが見たいな……」
「うん、そうだ! 僕が強くなってやる気を出してもらおう。そうしたら、何かが変わるかもしれない……」
決意を新たに秘め、ライナは剣を振るう。
その姿には、真剣さと優しさの両方がにじんでいた。
少しだけ、迷いが切れた気がした。
朝食の時間――
食堂で顔を合わせたふたり。
「おはよう、セディオス!」
「おはよう、ライナ。……昨日の模擬戦だが、ありがとう。おかげで見えてくるものもあった……」
挨拶のあと、セディオスは素直に切り出した。
「う、うん。あの……僕は真剣に戦っただけだよ……」
ライナは珍しく、たどたどしく、遠慮しがちに言った。
セディオスは首を横に振り、穏やかに微笑んだ。
「いいんだ。昨日の一太刀は、ちゃんと届いていた」
「俺も、もっと強くなりたいと思えたよ」
「じゃあ、また訓練しようね! 今度は魔法との連携も試してみたいな!」
その言葉に目を輝かせるライナ。
「……ああ、望むところだ」
セディオスの瞳にも、闘志が戻る。
離れた場所でそれを見ていたエクリナが、そっと呟いた。
「ふふ……やれやれ。我の側近は頼もしいな。……そして、我がセディオスもな」
そうつぶやくと、朝食を卓に並べ始めた。
◇
午後――
セディオスは書庫の棚を眺め、拾い読みをしては選別を繰り返していた。
「何か使えそうな文献は……」
そうつぶやくと、横合いから装丁の傷んだ本を差し出された。
いつの間にか隣にいたのはルゼリアだった。
「真剣勝負の対策ですか?」
ルゼリアはセディオスを見やって言った。
「この本なら、セディオスの求める内容が載っています。他にも有用そうな本を探していますから、少しお待ちください」
微笑むと、持っていた本を渡した。
「……すまないな。気を遣わせたか。よく、俺の欲しいものがわかったな」
セディオスはルゼリアから古びた一冊を受け取る。
「セディオスの一番の課題は、今の魔核での魔力操作です。使用魔法自体を見直すことも肝要かと思いまして」
「本は読んでこそ価値があります。王のためにも頑張ってくださいね」
ルゼリアはそう告げると、本棚の影に潜っていった。
「ありがとうルゼリア」
赤毛の背に礼を言うと、近くの席に腰かけ本を開く。
渡されたものは古めかしい魔法理論の文献であった。
目を通していくと古びたページの隅に、かつては目に留めなかった補助魔法の章があった。
ページをめくる指先には、静かな熱が宿る。
(力を取り戻す……いや、今の俺に届く術を積み上げるしかない。まだ、やれることはある)
「やはり、そこに目を付けましたね」
ルゼリアは正面の椅子に座ると、探し出した二冊をセディオスの前に置いた。
「こちらも役に立つと思います。セディオスは、身体強化を使ってないように見受けました」
ルゼリアは鋭く問う。
かつての戦い、先日の戦い、昔と今を思い返してもそのような節を感じていなかったからだ。
「そうだな……これまではそんなものに頼らなくても問題無かったからな。だから知らないんだ……」
苦笑しながら、自身の鍛錬の不足を反省していた。
「身体に通う魔力が多い方は、通常の動きだけでも十分に補えてしまいますからね。知らなくても当然です。ですが、今のセディオスには大事な魔法になりそうですね」
ルゼリアは説明しつつ、身体強化魔法を進めた。
「ああ、そうだな。今の俺にもできる魔法……身体強化を試してみるか」
セディオスは小さく笑った。
「ライナの本気に報いるためにも、まずは勉強だな」
窓の外では、訓練場へと向かうライナの背中が見えた。
その姿を目にしながら、セディオスは思う。
――かつての己、そしてこれからの己。
その狭間に交わる未来を見据えながら、彼は静かにページをめくり続けた。




