◆第4話:エクリナが手に入れた景色◆
いつも通りの館の早朝。
紺のワンピースにエプロンの姿、ヘッドドレスまで整える。――これが今のエクリナの”戦闘服”であった。
今日も主セディオスのために目を覚ます。
朝陽が差し込む厨房で、エクリナは手際よく朝食の準備を進めていた。
「ふむ、この塩漬け豚の焼き加減……完璧であるな」
パンの焼き上がりと紅茶の蒸らしをぴたりと合わせる――それも、彼女にとっては当たり前の所作である。
香ばしい肉と焼きたてのパンの匂いが、静かな朝の空気にゆっくりと溶けていく。
朝食が整えば、ゆったり眠るセディオスを迎えに行く。
転移で部屋の前へ飛び、扉の前で一拍。ノックは三度。間合いも、呼吸も、決めている。
ベッドの傍らで目覚めの挨拶をする。
「セディオス、起きるがよい。我が朝食は逃げはせぬが、冷めるのは許されぬぞ」
まだベッドでまどろむセディオスの頬にそっと触れ、撫でて起こす。時折寝坊をすることがある主を、ささやくように起こせるのはエクリナの特権であった。
その口元はほころんでおり、愛おしいものを見る目であった。
食卓では、ティセラが新聞を読みながら紅茶を啜り、ルゼリアは黙々と書類の山に目を通している。
ライナは寝ぼけ眼でハチミツ瓶を抱え、スプーンを探してきょろきょろしていた。
ルゼリアは横目でそれを見て、無言でスプーンを差し出した。ライナは目を輝かせ、瓶からパンへとたっぷりのはちみつを掛けていた。
その中央に座ったセディオスを囲むように、いつもの朝の風景が並んでいる。
「王さまぁ~~~。朝からシチューでもいいと思うんだ……」
「却下である。朝からバチバチと紫電が溢れて、仕方がないやつだ……!」
実際、ライナの髪先には、寝起きだというのに小さな火花がパチパチと踊っていた。
そんな軽いやり取りを交わしつつも、皆はごく自然にテーブルを囲み、セディオスの隣には当然のようにエクリナが控えていた。
「うぬ、そのパンにはこの“エクリナスペシャル”を塗るがよい。蜂蜜とバターに、我が秘伝のスパイスを加えておいた」
家族の間で密かに評判の、自作の甘いペーストだ。
「……我が身をメイドとして仕える以上、この程度は当然の献身であるからな」
小さく、けれど確かに照れを含んだその声に、セディオスが笑う。
「美味い!!」
「なっ……! そ、そうか……ならば……我は誇らしいぞっ!」
こうして始まる、穏やかで、どこかくすぐったい朝。
それは最強の”元”魔王が選び取った、“今”という生き方だった。
朝食の片づけを終えると、館の回廊にエクリナの足音が響く。
布を片手に、窓のひとつひとつを丁寧に拭きながら、彼女は満足げに微笑んだ。
「この程度の手入れ、我にとっては呼吸の如しであるな……ふふっ」
磨かれた窓の向こうには、咲き誇る庭の花々。
エクリナは戸口を開け、朝露の残る芝を踏んで花壇へと向かう。
しゃがみ込み、枯れかけた花の根元に水を注ぎながら小さく語りかける。
「うぬたちも、主のために美しくあれ……それが、この我の願いでもある」
館に戻れば、次は書斎。
紙とインクの匂いに満ちた、セディオスの部屋だ。
セディオスが使っていたペンの位置が僅かにずれているのを見て、そっと元の場所に戻す。
「……うぬの癖も、もうすっかり把握しているぞ」
紅茶を淹れて盆に乗せ、静かに回廊を歩く。
途中ルゼリアとすれ違い、軽く会釈を交わす。
「お疲れ様です、エクリナ」
「うむ、今日も滞りなく勤めよ」
工房ではティセラが新たな魔導術具を製作し、庭の陽だまりではライナが気持ちよさそうにうたた寝している。
その一つひとつを確かめるように目を向けながら、エクリナは静かに歩む。
すべては、主のため、家族のために。
そして、平穏な生活、大事な時間を護るために。
「……今日も良い日であるな。我がそばにうぬらがいるのだから」
その小さな呟きは、誰に向けられるでもなく、確かな幸福を告げる調べのように、静かな館の空気へと溶けていった。




