◆幕間:家族たちの日常◆
森林の縁に佇む、かつて高名な魔導士が住んでいた館。
立地は緑風郷リマリスの郊外。小高い丘と森、澄んだ川に囲まれた穏やかな場所。
そこに、主セディオスと四人の少女が共に暮らしている。
エクリナが護る日常には、かつて共に戦った、かけがえのない“家族”の姿もあった。
とある日の昼下がり――
エクリナは献立を増やそうと、館にある書庫へと赴く。
ノックを三回行う。
入室前の礼儀。書庫管理者への挨拶も兼ねていた。
すると――ガタン! ダンッ! と騒がしい音が内部で響く。
「何かあったのか?」
「エクリナ、どうぞ――少し散らかってますが……」
そう言いつつ扉を開けるのは、赤毛の少女ルゼリアであった。
深紅の肩までの短い髪、緋色の瞳を湛えており、華奢な体躯と引き締まった表情が、彼女の“理知”を物語っていた。
蔵書の整理と管理を任され、書庫を自身の聖域としていた。
常に整理されており、整然としていたはずだったのだが――
机の周りには、本が五冊ほど落ちていた。
「……どうしたのだ?」
とエクリナが尋ねると――
「あ! 見つけました!」
ルゼリアは書架の影から現れたネコを柔らかな風のうねりで拘束していた。
黒い猫は、ニャアーーと不服そうに鳴いていた。
「……また、ネコが忍び込んでいました。片付けておきます」
そう言って猫を丁寧に抱き上げて撫でていた。
「良い手際だ。それに……こ奴では、いつもの焔は使えぬな♪」
エクリナはルゼリアの腕の中で遊ぶネコの顎を掻いていた。
気持ち良いのか、ぐるぐると喉を鳴らし始めた。
「最近、このネコはどうも私の読書時間を狙ってくるようです」
そう言いながらも、その目元はどこか和らいでいた。
「今日は如何されましたか? 献立のお悩みでしょうか?」
ルゼリアはエクリナが訪問した理由を看破していた。
それもそのはず。月に数度は書庫に通い、食卓を豊かにするのに勤しんでいたからであった。
「その通りだ、流石だな。何かあるか?」
「ええ、良い本があります。肉料理と……焼き菓子です」
ルゼリアはネコを外に逃がすと、机の下に落ちていた本を手にする。
埃を払い、問題ないことを確認すると、二冊を手渡した。
「うむ、読んでみるぞ。ちゃんと、作るからな」
エクリナは出来た書庫官を褒める。
ルゼリアは頬を染め、下を向いていた。
「お? 貸した写真機、ちゃんと使っているのだな」
「ええ……ネコが可愛いので写真を撮りためています」
ルゼリアは少しだけ視線を逸らし、机の写真機を撫でる。
「本にするつもりです。完成したら……お見せしますね」
館の本を読み込むうちに、自分でも作りたくなって写真集に着手していた。
かつて炎魔法を操り、“獄炎”のルゼリアとして恐れられ、全てを灰燼に帰していた少女。
今は静かなる知の管理者として、館を支えているのであった。
夕刻前――
館の門を元気よく開ける少女がいた。
その勢いのままに厨房近くに立ち寄る。
それに気づいたメイドが裏口から外へ出ていた。
エクリナの目の前には満面の笑みをした少女が、汚れた姿で立っていた。
青髪の娘、ライナであった。水色の髪が揺れ、ややつり目の瞳は獣のような勘を感じさせ、均整の取れた肢体にはしなやかな筋肉が宿る。
その肩には、汚れの理由となった獲物が担がれていた――
「王さま~! 今日はでっかいイノシシ獲ってきたよ! 夕ごはん、楽しみにしてるねっ!」
獲物を軽々と担いで帰ってくる姿は、まさに野生の化身。
蒼の髪が陽光を反射し、風を切るたびに雷鳴のような魔力のきらめきを帯びる。
「ついでに、キノコとかベリーもいっぱい取ってきたんだ。あ、これ毒じゃないよ! たぶん!」
「はあ~~。“たぶん”などという曖昧さを捨ててから持ち帰るんだぞ、ライナ」
ドサリと下ろされる毛むくじゃらを、観察するエクリナ。
切り裂かれた首元を注視していた。
自信満々な蒼の少女は胸を張って、おねだりをする。
「このお肉で王さまに、最高の夕飯を作ってもらうんだ~!」
「ふ、任せろ。血抜きも終わっているな、見事な切り口だ。今日の予定を変更してシチューにしてやろう」
エクリナはイノシシの見定めを終えると、皮を剥ぎ始めた。
「手伝うね! とりゃ!」
ライナはそう言うと、イノシシの首を豪快に切り落とす。横目で見やるエクリナは、前足を外し始める。
二人の解体合戦が始まっていた。
「リア姉もティセラも喜ぶかな?」
「無論だ。うぬが獲った肉なのだからな」
手を止めぬ二人は軽快に解体を続ける。
雷娘の笑顔と活力が、館に日々の輝きをもたらしている。
戦場を駆け抜け、“雷迅”と呼ばれた雷の申し子は、今や暖かな食卓の一角を守る、陽だまりのような存在となっていた。
ライナが帰ってくる少し前――
厨房では大型の術具が設置されつつあった。
小さな影が、工具を握り作業を進める。
金髪の童女——ティセラ。
金糸のように艶やかな髪は淡い色のリボンでまとめられ、落ち着いた佇まいを引き立てていた。
エクリナから頼まれた食材保管用の魔導術具をせっせと設置している最中だ。
「……昔は戦争のための術具ばかり作っていたのに、今は食卓を守るためのものを作っている、と」
軽く指先で文様の仕上がりをなぞり、ティセラは小さく笑う。
「……変わるものですね」
静かな声とともに、どこか誇らしげな微笑みがこぼれる。
魔導術具の調整を終えたティセラは、外の景色にちらりと視線をやる。
「近隣の動向は落ち着いています。でも――」
少しだけ言葉を濁してから、そばのエクリナに琥珀色の目を向ける。
「エクリナの傍で、必要なことを、必要なだけ。それが今のわたしの務めですからね♪」
ずっとそばにいるティセラは、これからもそうありたいと口に出していた。
「頼もしいぞ、我が親友よ」
その宣言に口元が緩むエクリナ。
すると――
「ん? ライナが帰ってきたな、出迎えてくる」
窓の外では、ライナがイノシシを地面へ下ろしていた。
「大物ですね……術具の設置、間に合ってよかったです」
エクリナは獲物を見定めるや否や、解体を始めていた。
ライナも加わり、その手はさらに速まっていく。
「あーー、早くしないと鮮度が落ちますね……解体が終わるまでに起動してしまいましょう」
二人に負けじと、設置作業の速度を上げるティセラであった。
「エクリナ、根菜類を収穫してきました。本日のスープも楽しみにしています――」
「ああ、解体中でしたか」
作業服の裾についた土を指先ではらいながら、ルゼリアはエクリナとライナの解体風景を見ていた。
繋ぎを着た赤毛の少女を見て、ティセラは微笑む。
「この術具なら、ちゃんと入りますよ。その野菜たちも、です」
「おお、これは素晴らしい文様! そういえば以前から設計してましたね……王は、喜ばれたことでしょうね」
ルゼリアは術具の出来栄えに感心し、ティセラはさらに笑顔になる。
「ふふ。勿論です♪ エクリナのため、食卓の術具ですからね♪」
かつては『魔哭神』の居城を守護する運命を課せられていた少女。
今は一家の護り手として、誇らしく微笑んでいた。
夕食刻——
柔らかな日差しが館を染める頃。食卓に、音が集まっていく。
本のページを閉じる音。獲物を下ろす鈍い音。工具を片付ける金属音。
その全部の中心にいるのが、エクリナであった。
食卓ではセディオスを囲んで、エクリナたち四人が席につき、談笑していた。
「今日の夕餉は我が自信作のシチューである。うぬ、感謝して食すがよい!」
胸を張って言いながらも、エクリナはセディオスの感想を内心そわそわしながら待っていた。
とろりと湯気を上げる鍋からは、肉と野菜の香りが食卓いっぱいに広がっている。
「これはうまい! 一段と腕を上げたんじゃないか?」
笑顔で褒められ、エクリナは思わず頬を赤らめる。
「当然だ! ルゼリアが丹精を込めて育てた野菜、ライナが仕留めたイノシシの肉、それをティセラの術具が新鮮に保ってくれたのだ――」「これらを合わせれば至高のシチューになるのは道理だ!」
すべてを我がことのように胸を張るエクリナ。
それはそうとして――家族の食は進んでいた。
「ん~っ! このお肉の柔らかさ、完璧だよ、王さま!」
ライナは口いっぱいに頬張りながら親指を立てる。
「この野菜の甘みを生かした味付け……病みつきになりますね」
ルゼリアは淡々と告げつつ、目元にはかすかな笑みを浮かべた。
「……焼きたてのパンにも合いますね」
ちぎったパンをシチューに浸しながら、ティセラも小さく微笑む。場は和やかな空気に包まれる。
「まだまだお代わりはあるからな、存分に食すがよい!」
こうして今日も、笑い声が静かに響く。
かつて世界に受け入れてもらえず、戦い続けた少女たちが、今はただひとつの卓を囲み、主と共に過ごしている。
静かで、賑やかで、あたたかな日々。
それが、彼女たちの“今”――そして、エクリナが護り抜く、ささやかで確かな幸福だった。




