◆第2話:洗濯日和と買い物◆
とある日の昼前――
朝食の片づけを終えたエクリナは、館脇の洗濯小屋にいた。
通常の家では、洗濯といえば桶と板を使うのが通例だが、エクリナらが住む館は全く違った。
エクリナは小屋の樽へ、洗濯物を放り込み、石鹸粉を入れる。
そして、赤いボタンを押す。
すると――水が自動で注入されていく。
水が溜まると、バシャ、バシャと音を立てて樽が回転し始める。
樽は回転する角度を幾たび変えていき、汚れを落とすのに最適な挙動を見せる。
「便利なものだな。ティセラの発想には、いつも驚かせられる」
エクリナは、水音を立てて洗われている服を眺め、呟く。
この便利な道具、自動洗濯の『魔導術具』はティセラが製作したものであった。
エクリナとティセラは親友で、かつては戦場を共に駆け抜けた仲間でもあった。
戦場では武装を作り、今は暮らしを作る――昔も今も、頼もしい親友であった。
「今があるのは皆のおかげだな」
「……忌々しいことばかりだったが、それでも傍に皆がいてくれたことが我の救いだな……」
ひとりになると、朝の儀式で吐き出したはずの記憶が、ふいに顔を出す。
無機質な命令。鉄と血の匂い。
三年が経った今も、過去は心の奥から消えてはくれなかった。
物思いに耽っていると、ピーピーと洗濯術具から音が鳴る。
いつの間にか脱水まで完了し、その役目を終えていた。
「はあ~。いかんな……さて、洗濯の続きだ」
脱水された衣服をかごに入れ、庭へ向かう。
陽が暖かい。洗濯日和の陽気に気分が乗る。
「ふふふ~ん……♪ 我が手で干せばシワなどな~い、いつも家族は見栄え良し~♪……っと、よし」
エクリナは、良くわからない即興の歌を口ずさみながら服のシワを伸ばす。
先ほどの憂鬱は嘘のようであった。
自らの手で館を整えていくこと。その所作に雑念など入る余地はなかった。
白い洗濯物が風に揺れ、エクリナは優雅な手つきで一枚一枚を干していた。
「ふむ、シーツは直射を避けて影干し……セディオスの肌着は風通しの良いところに……」
物干し竿に布をかける動きすら、まるで舞踏のような美しさだった。
シワもヨレも許さない、熟練の一手。
主を想い、家族を想って、愛情を込めていた。
「……ふむ?」
遠く空を見上げた瞬間、魔力の乱れが空気を揺らす。
彼方から、何かが急接近してくる気配。
眩い光弾の尾が、青空の端をかすめ、こちらへ向かっていた。
「この館の元主は恨みも買っていたらしいな……」
機嫌よく洗濯物を干していたエクリナは、迫る凶撃に嘆息する。
「……まったく、洗濯物を穢すなど許しがたいぞ」
向かってくる光弾へ意識を向け、わずかに魔力を集中する。
「闇よ……切り裂け」
魔法名ですらないただの独り言。それと同時に、指先で小さく“パチン”と音を立てる。
二つの影が刃となって空へ飛び、飛来していた魔力の源へ向かう。
一つは光弾と空中で交錯し、ボンッと弾ける。舞い散る火花は、小さな花火のようだった。
二つ目の刃は放物線を描き、光弾を放った発生源へ向かう。
森の中で小さくドンと響き、獣たちが騒がしくなった。
庭を狙う追撃は来なくなっていた。
風が吹き、再び静寂が訪れる。
洗濯物に焦げ跡——なし。
「ふん、セディオスの洗濯物を護るがゆえに……この我が、手加減などするものか」
エクリナは軽く息をつくと、再び洗濯物を掴み、物干し竿に手を伸ばす。
そして何事もなかったかのように、さきほどの歌を口ずさみながら洗濯ばさみを手に取る。
その姿は、どこまでも優雅で――
誰よりも恐ろしく、美しかった。
その“いつも通り”を、館の上から見下ろしている者がいた。
セディオスの部屋からは、窓越しにその様子がよく見えていた。
「今日も平和だな」
変わらず優雅なエクリナが洗濯物を干す姿を眺めていた。
いつもと変わらぬその美しさに、セディオスはしばし見とれていた。
午後となり——
エクリナはセディオスとともに近くの街の商店街へと向かった。
石畳の通りを、ひときわ優美な雰囲気を放つメイド姿の少女が歩いていく。
「セディオス、こちらに新しい紅茶が入ったと聞いているぞ。ふふん、我が選びぬいた品で、またうぬを唸らせてやろう」
「ああ、楽しみにしているよ」
エクリナは、セディオスの傍らで軽やかに歩いていた。
日傘を差し、肩掛け鞄を持つその姿は、まさに『買い物を楽しむご主人とメイド』そのものであった。
街路の先を右に曲がると、目的の紅茶専門店が目に入った。
二人は仲良く入っていく。
カランカラン――と扉を開けると鈴音が鳴る。
来客を知らせる仕掛けであった。
「ああ、エクリナ様。お待ちしておりました。今日は主様もご一緒なんですね」
奥から出てきた、物腰の柔らかな女性は二人を見ると声を掛ける。
エクリナはこの紅茶店が気に入り、いつしか常連となっていた。
「こういったところで買っているんだな……いい店内だな」
店内の壁に所狭しと陳列されている茶葉の大瓶を見渡して、驚くセディオス。
棚は二段となっており、茶葉は産地別に置かれているようであった。
「ああ、週に二度は来ているな。いい紅茶は鮮度もこだわらねばな♪」
お気に入りの店を褒められて少し誇らしげなエクリナであった。
「この間お話していた茶葉、ちゃんと入ってますよ。試飲なさいますか?」
上品に話す店主は、エクリナと仲が良いようであった。
エクリナは笑顔で、応じる。
「ぜひ頼む」
館の外で見るエクリナの笑顔に、セディオスは顔をほころばせていた。
彼女が街に馴染んでいることが嬉しかった。
ほどなくして――
「うむ、良い香りに、ほのかな甘み。良い茶葉だな、これを一袋頂こうか」
「それと――折角だ。他の茶葉も見て良いか?」
エクリナは新たな紅茶に気を良くし、追加購入を検討していた。
「ええ、構いませんよ。こちらを奥で包んでまいりますので、主様とごゆっくりお選びください」
その言葉にエクリナは少しだけ頬を染め、反論しようとしたが、店主はそそくさと奥へ入っていた。
残された二人は互いの顔を見る。
セディオスは微笑み、エクリナはさらに照れていた。
「……そ、その棚が気になるな。見てみるぞ……」
メイドは照れ隠しに、目についた棚に近寄ると、年季の入った木製の踏み台を寄せ、二段目の瓶を確認していた。
セディオスはやれやれと苦笑し、その姿を見守っていた。
エクリナは手の届く瓶を開け、香りを確かめていると――バキッと音が店内に響く。
突然、足場の板が折れてしまった。
がくっと姿勢を崩す、銀髪の少女。
髪がふわりと浮かび、後ろへ倒れようとしていた。
それに気づいたセディオスはエクリナの背を支える。
だが――開いたままの瓶の口から飛び出す茶葉までは手が回らなかった。
不慮の事故とはいえ、大事な茶葉。
エクリナは"空間を操作"し、落下を僅かに遅らせる。
その隙に、一片残らず瓶へ戻した。
「エクリナ様、如何されましたか?」
異様な音に店主が戻ると――エクリナはセディオスに抱き留められ、両腕には茶葉の瓶を抱えていた。
「「「……」」」
「そういったことは、お戻りになってから――」
上品な店主は少し思案し、言葉を選びながら言及していた。
「いや、違うのだ! 踏み台を壊してしまってな……いかがわしいことなどないぞ!」
エクリナは頭をブンブン横に振りながら強く否定する。
だが、顔は真っ赤だった。
「店主! 踏み台は弁償する!」
「それと、この茶葉も頂こう――瓶ごとだ!」
抱えていた瓶を差し出し、諸悪の根源を買い取ることにした。
店主は頷き、品物を包むと笑顔で手渡した。
その帰り道――セディオスはエクリナの頭を撫でていた。
「……笑うでないぞ?」
「どれのことかな?」
「ぐぬぬ――もういい!」
セディオスは、子供のように拗ねるエクリナを宥めていた。
その可愛らしい表情さえ、彼には愛おしく感じられた。
メイドと主は、仲睦まじく館への帰り道を歩いていった。




