◆第311話:獄炎少女が握りしめるもの◆
初めての特別講義が終わった夜――
泣き腫らした名残を隠すように、エーデルはいつもより騒がしく夕食を食べていた。
その後、居間で紅茶を啜りながら、ルゼリアはエーデルに頼みごとをしていた。
「マスター、私の部屋が欲しいです」
自身の部屋を要望する従士。
マスターは涙目になり、縋りつく。
「何が嫌なのじゃあ! わしゃ、もうルゼリア無しでは朝も起きられんのじゃあ!!」
ルゼリアの機微と気遣いは恐ろしかった。
起床時の湯浴みから始まり、食卓につけば、美味な朝食とコフを提供。
書斎で資料に悩めば、適切な書を即時見つけてくる。
合間を見ては、部屋の掃除に食材の補充を終わらせていた。
たった二日間の共同生活で、エーデルは骨抜きになっていた。
そんな優秀な従士が――部屋が欲しいと言っていた。
正直、愛想をつかれたと思ってしまった。
「言葉が不足していました。身体を動かせる部屋が欲しいのです、非公開で特訓をしたいので」
あまりにも狼狽しまくるエーデルの頭を撫でて、言葉を付け加えていた。
「ほっ……」
「なんじゃあ、安心したのじゃあぁ~」
ルゼリアの真意を聞いて胸を撫で下ろす。
「ついてくるのじゃ」
エーデルはそう言うと、居間を出て書斎へ、さらにその先の扉へ向かう。
塔の頂上の部屋は円形ですべてが横で繋がっていた。
ルゼリアは初めて入る部屋に足を踏み入れていた。
「ここは……」
一面、灰色の石の間であった。
「これでもわしゃは勤勉でのぉ、今でも時折修業しておるのじゃあ。ここは頑丈で防音、高位の魔法程度なら耐えうる結界も刻んでおる」
「わしゃのとっておきの部屋じゃあ。従士を案内するのは初めてかもしれんのぉ」
エーデルは特別な部屋だと言い放つ。
それは、ルゼリアへの信頼の証とも言えた。
「そうなのですか! そのような特別な場所を――」
「使うが良いのじゃ。今日の実習を打ち切った侘びとでも思うがいいのじゃあ」
エーデルはカラカラと笑う。
すっかり、いつもの賑やかな学長に戻っていた。
「ありがとうございます。では早速やってみたいことがありますので――」
と言いながら、エーデルを部屋から閉め出し、ガチャリと鍵を掛けた。
「……成長とは、少し寂しいのぉ。さて、わしゃも、もう少し書類を整理しようかのう」
講師とは学徒を成長へ誘い、見護る者。
一抹の寂しさを胸に、自身のすべきことへと歩んでいた。
* * *
「さて、まずは基礎ですね」
腰の魔導収納鞄から、一冊の本を取り出す。
『格闘術入門』と書かれていた。
「……私だって、悔しいのですよ」
「《獄炎爪》で肉薄はできました。ですが、あれは戦具と魔力で無理やり届いた一撃です」
「徒手の基礎がないままでは、意外性も持久力も育ちません」
本を少しだけ握りしめたルゼリアは、一拍置くと表紙をめくった。
入門書と言うだけあって、人属領の格闘術の種類が書かれていた。
それらを丁寧に読んでいくルゼリア。
「あ、マスターの戦闘様式はこれですね。速度に加え、一撃の重さ、何より軽い身のこなしで回避し続けての反撃」
「……やってみますか」
ルゼリアは本の挿絵通りに構える。
ぎこちない足の位置に、腕の高さ、それでもエーデルを思い描いて型を作る。
「森でのマスターの拳は凄まじかったですね。あれを真似る……」
目の前で岩石を幾度も打つ少女。
その悲哀のこもった拳の動きを、ルゼリアは止めることができずにずっと見つめていた。
それはエーデルにとって必要なことであり、ルゼリアにとっても大事なことであった。
シュッ!と、拳を打ち放つ。
微かに空を切るが、打ち込みが遅く、引き戻し時に型が崩れる。
それでも、と繰り返し拳を打つ。
まずは右手だけ――
ひたすらエーデルの動きを思い出し、打ち続ける。
三十分が経過しただろうか。
全身汗びっしょりのルゼリアは、床に座る。
鞄から水筒を取り出し、ゴクゴクと水分を取る。
「ふう~。ライナなら、もっとうまくできるんでしょうね……もっと近接戦の訓練をしとくんでした」
ルゼリアはライナとセディオスの剣術訓練を思い出す。
何度も負け、何度も立ち上がり、めげない妹分の姿を羨んだ。
そして感じた――それが嫉妬であることを。
「ふ、そうですね。ライナを手本に頑張りますか。それが今の私にできることです」
近接戦であればライナの方が上手。
身近だからこそ目標にしたくなかった、常に見ていたのはエクリナ。
だが――ルゼリアにはどちらも高見であることを自覚する。
息が整ったルゼリアは立ち上がる。
そして、姿勢を正し、拳を再度打ち込み続ける。
ライナは相棒だ。
だからこそ、前へ出る役目を無意識に預けていた。
「ふッ! ふッ!」
息を吐きながら拳を打ち続ける。
(ライナを前衛として頼りすぎましたね。それは甘えであり、安寧です)
(その先に――成長などありません!)
ルゼリアは心に火を灯す。
自身が超えるべき壁――それはライナ、セディオス、それともエクリナ?
頭に巡るは、自問自答。
「いえ、この学院にいるときは違います。まずはマスターからにしましょう!」
その発言が無謀なことは百も承知。
経験豊富な老獪の魔術師。そして、熟練の魔法と格闘術。
真っすぐでは勝てない相手。
「――だからこその意外性!」
拳を打ちながら、考えをまとめていく。
「でも意表は良いですが、まずは基礎ですね。私が弱すぎます!」
わざと声に出し、心に刻む。
そのたびに拳は速くなり、握る手は固くなる。
その手にあるのは"覚悟"――自身の弱さを認め、それでも立ち向かう心。
今のルゼリアで唯一優れるものはこれしかなかった。
ルゼリアの特訓は始まったばかりであった。
次回は、『8月16日(日)13時ごろ』の投稿となります。
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