◆第309話:初めての魔法講義◆
ルゼリアが入学して二日目の早朝――
ドスン――
赤毛の少女は学長の踵落としで目が覚めた。
見事に腹に落とされており、鈍痛が響いていた。
「ごほ、ごほ……今度から少し距離を取りますか……」
尚も寝続けるエーデルを横目にベッドを這い出るルゼリアは、昨夜に準備していた『挑戦箱』を掲示板横に設置。
その後は、散らかっている学長の書斎の片づけを手早く終わらせる。
エーデル起床――
「マスター、起きましたね。湯浴みに行きますよ」
寝ぼけ眼の白き少女を脱衣所に案内し、脱衣を補助する。
「んあ~」とあくびを噛みながら、浴場に入ると洗髪を開始し、覚醒を促していく。
ルゼリアがバシャーッと、泡を流し終えるころには、エーデルは目が覚めていた。
「もう、髪を洗い終わったか……」
「ええ、湯船に浸かりますよ」
そう言いながら、エーデルを立たせて優しく引いていく。
その甲斐甲斐しい姿は介護のようにも見えた。
「ふう~~、ルゼリアは優秀じゃのう。二日目でこの手際、最高じゃな。まるで王様気分じゃあ」
皮肉でもなんでもなく、無意識に『王様気分』と言ってしまうエーデル。
それほどまでに素晴らしい対応であったと褒めていた。
「なるほど、その手がありましたか。今度、エクリナにも試してみましょう。きっと、たいへん愛らしい反応を――」
そこまで言って、ルゼリアは小さく咳払いした。
身体が温まった頃、浴場を後にする二人。
「ルゼリア、今日の服を選んでくるのじゃあ」
クローゼットには、白を基調とした奇抜な衣装がずらりと並んでいた。
ルゼリアはしばし無言になり、右から三番目を選んだ。
「……どれも同じに見えます」
「全然違うのじゃあ」
朝食の頃――
「今日は、オムレツ、野菜スープ、パン、果物を幾つか切りますか」
献立を決めると、次々と調理を開始していく。
エーデルが食卓に着くと、淹れたてのコフと届いていた新聞を出す。
亜人属領でよく飲まれている苦味が強い飲み物が好きなようであった。
「もう少々お待ちください」
そう言いつつ、朝食の盛り付けに入っていた。
「……凄いのぉ。ズズ――いい濃さじゃあ」
感心しつつ、新聞を読みながらコフを一口啜る。
ほどなくして――卓に朝食が並んだ。
「「いただきます」」
マスターと従士は同時に挨拶し、食事が始まる。
「今日もおいしいのぉ!」
オムレツの中にはひき肉が入っており、仄かにジューシーで味わい深かった。
パンは焼き立てでサックリとした食感、野菜スープはじんわりとコクが染み渡った。
「ルゼリア……花嫁修業でもしておったのか?」
エーデルの突拍子もない発言にカーンッ!と、スプーンを落とすルゼリア。
またからかうのですか?とばかりの形相をしていた。
「ご冗談を――まだ寝ぼけているようですね」
スプーンを拾い、食事を再開するルゼリア。
少しだけ冷たい目つきになっていた。
「ひひひ、すまんのじゃあ。あまりにも良い手際での、勘ぐってしまったのじゃあ」
「エクリナの補助をしていたら、身に付いたまでです。それにエクリナの方がもっとすごいのですよ?」
いつものことなので問題無いという言い方であった。
「……魔王に会うのが楽しみじゃな」
世界の表舞台からいなくなった魔王が、何をしているのかが少し気になるエーデルであった。
「ふう~、今日の朝食も満足じゃあ」
「さて、そろそろ一限目じゃな。見に行くかのう」
エーデルは時計を見て、いい頃合いだと言っていた。
「承知しました。どちらに行くのですか?」
その声にルゼリアは手際よく食器を流し台に置き、水に浸けた。
「初等科二年の講義じゃな。今日から魔法の基礎を教えるはずじゃあ、その視察じゃな」
エーデルは立ち上がり、ルゼリアはその背を追っていた。
九時――
初等科二年、魔法基礎講義。
エーデルはそっと扉を開け、ルゼリアを連れて窓際の空き席に座る。
視察は抜き打ちで行われるが、頻度が高いため講師も学徒も気にせず講義は始まった。
「今日から、諸君は二年生ですね。まずは、おさらいから始めます」
「これまでの一年は、魔法式の書き方、各文字の意味、魔力収束などを学んできたはずです」
講師を行うは、堅実主義のマセタ。
これまで学んできたことと結びつけながら、おさらいを開始していく。
「そもそも、魔法式とは魔法を成立させるための理論的設計基盤のことです」
「術者の思考領域において組成・展開される構築図であり、詠唱はその術式を外界へ定着させるための補助工程にあたります。すなわち、魔法式とは単なる手順ではなく、魔力の流動、属性配列、効果範囲、発現条件を規定する“魔法そのものの設計理論”と言えます」
マセタは長々しく説明し、黒板に書いていく。
それを若き学徒たちは、一生懸命に手帳に書き写していく。
(説明は正しいですが、長すぎて要点が掴めませんね。単純に”魔法の設計図”とでも言えばわかりやすいと思うのですが……)
ルゼリアは、内容の一言一句を聞き入れ、難しい言い回しに疑問を感じていた。
「次に術式です。これは魔法式を外部媒体へ固定・記録し、再現可能な発動機構として定着させたものです」
「主として魔導術具、魔法陣、刻印文様などに刻み込まれ、術者の直接的な演算を介さずとも、所定の条件充足によって起動することが可能です。すなわち術式とは、可変的な理論構築である魔法式を、恒常運用に耐える形で実体化・機構化した発動単位であり、発現条件、魔力流路、効果範囲、作動順序を固定化した“機能する魔法の記述体”であると言えます」
黒板に追加で、さらに長文を書きながら伝えていくマセタ。
学徒たちは、うなだれながらも頑張って書き写していた。
(なぜここまでわかりづらく説明するのですか? “魔法式を物体に刻んだもの”であり、少ない条件で発動が可能になる程度なのに……)
マセタの意図がわからないルゼリアは、手を顎に当て唸っていた。
その横顔をエーデルはニヤニヤと見ていた。
それからも簡単で難解な講義は続き、終了の時間が来る頃には学徒全員の頭から煙が見えるようであった。
マセタはこちらに会釈すると講義室を去っていった。
「さて、初講義お疲れ様なのじゃ。どうじゃったかのう?」
ルゼリアの反応が見たくてウズウズするエーデル。
「……とても……つまらないですね。あんな簡単な内容をあんなに小難しく言えるとは……」
「あれでは、誰も理解できずについていけなくなるのではないのですか?」
ルゼリアは素直な意見を学長に発した。
特待従士と言えど学徒には違いなく、講義内容に対しての反論は勇気がいる行動であった。
「正解じゃ、ここにおる皆が思っておるじゃろうな」
「ただ、内容は正しいのじゃあ。まあ、教科書通りともいえるがのう」
少しだけため息をつくエーデルは、少しだけ憂鬱そうだった。
恐らく、長らく抱えている問題であったのだろうと察してしまった。
「では午後は、わらべが退屈せん講義をしてやるのじゃ。題材は――ルゼリア、おぬし自身じゃ」
その言葉は講義室内の残る学徒たちにもしっかり聞こえていた。
少しだけ、ざわつき始めていた。
十四時頃――
午前中、学年や科を問わず講義を渡り歩いた二人だったが、ルゼリアの感想は一切変わらなかった。
それはそれとして、エーデルは特別講義を行うこととしていた。
二人は今、第三訓練場に立っていた。
観覧も兼ねているらしく、試験会場と同様に何段もの席が設置されていた。
そこに時間が空いた学徒たちがまばらに座っており、エーデルとルゼリアを見つめていた。
「……また公開ですか……」
常に視線を浴びることに慣れつつあるルゼリア、それでもため息は出ていた。
「特に隠すことではないからのう。それにルゼリアの弱点を知りたいと思う者も多いじゃろうて」
エーデルは笑いながら言う。
「それにこの軽装は……少し露出が多いかと……」
ルゼリアは学徒の集まり自体は気にしておらず、自身の姿を衆目に晒すことに抵抗を覚えていた。
その姿は半袖の薄着に、膝までの丈のズボンであった。
正面に立つエーデルも同じ姿であったのが、僅かな救いであった。
「これが動きやすいのじゃ。さて――講義開始じゃあ」
「まず、わしゃが思うルゼリアの弱点を言っていくのじゃあ」
その言葉が出た瞬間、観覧席の学徒たちは一斉に手帳を開き、記録の準備をした。
「まず、魔装の頑強さに頼りすぎじゃあ。魔法そのものが大軍向けの高威力というのもあり、耐えて放つことが多いようじゃのう」
「それゆえに戦略を練ることなく勝利してきた経験が柔軟さを欠けさせ、対人戦が特に苦手になっておるのぉ」
「簡単に言えば、実直な砲撃少女じゃあ」
ルゼリアの弱点を端的に言うエーデル。
それは入学試験で手合わせした結果であった。
「……おっしゃる通りです。私の炎は前線を焼き払い、幾度も味方の道を切り開いてきました」
「そして、頑強さがあったからこそ、立ち上がって反撃へ転じられたこともありました」
「ですが――その結果、たったひとりに肉薄され、死闘を演じ、辛くも勝利したこともあります」
ルゼリアは、魔王軍として担ってきた役割と、夜会での死闘を胸中でなぞった。
だからこそ、エーデルの言葉は痛いほど腑に落ちた。
エーデルとルゼリアから放たれる言葉を記録していた学徒は、自分たちは何を聞いているのだろうと考えていた。
それほどまでに、格の違う内容であった。
「……別に否定はしないのじゃ。今のことは反転すればすべてルゼリアの強みじゃあ、その手で護れたものも多くあるのじゃろうて。悲観するでない」
「さて、続きじゃあ。わしゃが思う成長させたいところじゃが――意外性と持久力じゃあ」
エーデルはルゼリアに足りないものをはっきりと告げた。
言葉を飲み、続きを待つ。
「まず格闘術を教えるのじゃ。対人戦、特に近接戦は苦手じゃろう? むしろそれを覚えることで意外性と対応力を養うのじゃあ」
「そして、低級と中級魔法による持久戦をできるようにすることじゃな。決め手は持っておるのだから、確実に勝てる頃合いを造るようにするのじゃあ」
「小さく削り、相手を動かし、最後に焼く。わらべが覚えるべきは、その順番じゃ」
具体的な内容を提案するエーデル。
ルゼリアが、それを受け入れるかどうかの返事を待っていた。
「そんなことでいいのですか? 魔法を更に高みにすることは――」
「もう十分巧みじゃあ、あれ以上はなかなか難しいのじゃあ。それとも、極大魔法の先でも目指したいのかのう? おすすめせんのじゃが」
赤毛の少女が放つ言葉に被せるように柔らかく否定するエーデル。
既に魔術師として高みに立っていると言い放った。
「極大魔法の先? そんなものが……いえ、今は必要ないですね……」
「承知しましたマスター。ご提案を受け入れます」
ルゼリアは頭を下げ、教えを乞うことにした。
エーデルは口角を上げ、満足そうな顔をする。
二人の講義を聞いている学徒たちは、一言一句を書き留めていくが、真に理解している者はそこにはいなかった。
午前の講義と同じ感覚を味わっていた。




