◆第303話:マスターと従士の一日の始まり◆
「『特待従士』とは何ですか?」
「私が受けたのは"ただ"の入学試験のはずです。そのようなものは――」
ルゼリアは学徒としてジェンマギ学院に来ていた。
それが、名も知らぬ役目を負わされるのは不服でしかなかった。
「まあ聞くのじゃ。『特待従士』とは……え~と」
エーデルは手元にあった規定書を簡単に読み上げる。
「わしゃの身辺補佐・研究補助をする役目であり、弟子になる。これは学徒との兼任じゃがな」
「どうじゃ? つまらん講師より、わしゃの方が足りないものを教えてやれるぞ? それに久々の従士じゃ、やっとわしゃが楽になれる」
建前と本音をすべて言うエーデル。
隠し事などないという風であった。
「学徒で、弟子……ですか。確かに有益ですね、是非お願いします!」
ルゼリアは少し考え、正式に承諾する。
「では、ここに署名を書くのじゃ」
ルゼリアは言われるがままに自身の名を契約書に書いた。
「これで、わらべはわしゃの弟子じゃな。ひひひ、楽しみじゃなぁ共同生活は」
ルゼリアの署名を見て満足げなエーデルは気になることを口にした。
「?? 共同生活……どういうことですか!?」
「そのままの意味じゃが? ここに書いておるじゃろ、従士はわしゃの身の回りの世話もあるんじゃ。当然、朝から晩までわしゃと一緒じゃぞ」
当たり前のことのように話すエーデルは、契約書の文章を指さした。
「ここには"身辺補佐"と……資料整理や荷物持ちとかでは?」
理解できないルゼリアは聞き返す。
「そこに、わしゃの世話も含まれておる。わしゃ雑じゃからな、頼むぞ」
エーデルは意訳を伝えた。
「……ちなみに学徒ならばどういった待遇だったのですか?」
一応聞いてみる。
「そうじゃな……個室の寮住まいに、共同の風呂、三食の食事。まあ普通の待遇じゃな」
「従士の場合は、共同寝泊まり、一緒の湯浴み、わしゃと毎日食事。それと特別講義、実習付きじゃあ」
「どうじゃ、従士の方がいいじゃろ? 学徒どもは従士を目指す者も多いのじゃぞ?」
エーデルは、自身と一緒に住めることが光栄であるかのように伝えていた。
だが――
「……頑張るしかないですね」
なんとなく嫌な予感がしているルゼリアはポツリと言った。
部屋は荒れ放題で、当の本人は"雑"と自身を評価している。先の展開が読めるようであった。
「あ、それとじゃ。これからわしゃのことを"マスター"と呼ぶのじゃ。わしゃ、ルゼリアと呼ぶ」
慣習であるようにエーデルは伝えた。
「……マスター、ですか」
ルゼリアの声が、わずかに硬くなる。
その呼び名は、彼女にとって軽いものではなかった。
エクリナの背を追う、赤毛の少女には覚悟が必要だった。
「安心せい。ただの呼称じゃ、単に師が増えるだけじゃ。ルゼリアには元々それがおるようじゃな」
エーデルは軽く手を振った。
「ふむ……それならば、承知しました」
「マスター」
「おーおー、いい発音じゃ。これから頼むのじゃあ。今日はもう遅い、もう寝るのじゃ」
そう言いながら、ルゼリアが寝ているベッドに、もそもそと入り始めた。
「!! 一緒なのですか!?!?」
「当たり前じゃろ? ベッドはひとつじゃ、特注の大型ベッド。不足なしじゃあ」
驚く少女と気にしない少女。
エーデルは手を叩いて魔導ランプを消すと、眠り始めた。
「……エクリナ、申し訳ありません……」
ルゼリアはその夜、少しだけ涙した。
大切にしていた何かを、勝手に書き換えられたような気がしたからだ。
隣では可愛らしい白髪の少女が寝息を立てていた。
◇
翌朝――
魔術都市イグナメルで最も高い塔の窓に朝日が差し込む。
それは通常の家屋よりも早い訪れであった。
日差しに照らされ、まどろむルゼリア。
「ん……朝ですか……」
目を覚ますと、隣で寝入っていた白い少女はいなかった。
いや――反転して、足をルゼリアの体に乗せていた。
「……は?」
寝起きの赤毛の少女は、少々間抜けな声を出す。
「はあ~、寝相が悪いとは……見かけ通り、子供ですか……」
ルゼリアはベッドの端に頭を向けている学長を見やっていた。
「くか~~……がぁ!」
「げほ! げほ!」
突然せき込むエーデルは跳び起きた。
「……よく眠れたのじゃあ……あ? ああ??」
ベッドの中央にいるルゼリアと目が合う。
何故か疑問を己に投げかけていた。
「ああ……そうじゃったのお。従士にしたんじゃった……知らぬ子を寝床に入れたわけではなくてよかったのじゃあ」
聞き捨てならない言葉を吐く、破天荒な学長。
黙って見つめるルゼリア。
「そうじゃな、わしゃの一日でも教えるかのぉ。まずは……湯浴みじゃあ」
そういうと、ベッドを出てはフラフラと歩き始めるエーデル。
「ああ、待ってください!」
叫びながら、手近な布を身体に巻き、その背を追うルゼリアであった。
湯浴みの刻―—
浴場に入る二人。
塔の中とはいえ、十人は入れる大浴槽であった。
傍にある洗い場に腰かけるエーデルは、顔を下に向けていた。
「髪を洗うのじゃあ~~」
未だ寝ぼけている声で弟子に告げる。
「はあ~、仕方ないですね」
と言いつつ、丁寧に寝癖を解きながら揉み洗いしていた。
「んん!——」
「こ、これは……なんと心地よい~~」
ルゼリアの髪洗いに顔がとろけるエーデルは、吐息を漏らしていた。
「妹との湯浴みで、慣れていますので……」
常に髪を乱す妹分を思い出しながら慈愛の心で洗髪するルゼリアは、どこか諦めの顔であった。
「ほう、妹とな……神の子らしくないが、微笑ましいのおぉぉ」
適当な返しをする白き少女。
ようやく湯船につかる。
戦闘後の翌朝に入るルゼリアには、癒しのひと時であった。
「ふう~。身体のこわばりが癒されます」
湯につかりながら腕をもむルゼリア、それを横目でエーデルは見ていた。
「……邪な目つき……何か興味でも?」
「美しいものは大好きじゃあ。神の子の体の調律はさすがじゃのお」
少しだけスケベな目になったエーデル。
ルゼリアは身の危険を感じ、威嚇する。
「不埒な真似をしたら……灰にしますよ?」
「おーおー怖い怖い。楽しみはいずれじゃな……」
怯まない権力者は、恐ろしいことを言い放った。
湯浴みの時間は緩やかに過ぎ去った。
◇
朝食の刻――
「ここにあるものは適当に使うのじゃ」
本当に適当に指差すエーデル。
それを見て、学長専属の厨房を散策し始めた。
「主食のパンに、保存の肉、卵もありますね」
「これならば……」
数分後、食卓には美味しそうな朝食が並んでいた。
こんがり焼いたパン、目玉焼き、塩漬け豚を和えたサラダ。
そして、失われた塩分を補う、薄味の滋養スープ。
すべて健康に良い献立であった。
「おーおー、久方のまともな朝食じゃあ!」
そう言いながら、高速で手持ちの皿に取り分けると次々に口に運んだ。
「そんなに頬張らなくても、お代わりはありますよ?」
「なにぃい!!」
見た目通りの子供らしさに微笑むルゼリア、少しだけエクリナ気分であった。
誰かの一日を整えること。
それは、エクリナが毎朝していたことでもあった。
ルゼリアはその意味を、少しだけ身に染みて理解した。
いつも通りの献立はエーデルには新鮮であったらしい。
仕える相手が変わっても、整える意味は変わらない。
そのことが、少しだけ悔しく、少しだけ誇らしかった。
彼女が満足するまでお代わりは続いた。
「いかん……たべすぎたのじゃあ……」
膨らんだ腹を擦り、満足げな学長。
始まりの時間にして、終わりでもいいかと思っていた。
「それで、これから私はどうしたらいいですか?」
特待従士となったルゼリアは次なる仕事を求めた。
初めての従士の業務はまだまだ始まったばかりであった。




