◆第296話:騒然とする館の朝◆
技術都市フォルネアへの旅立ちから、ひと月余り。
エクリナ一家は、ようやく館の日常へ戻っていた。
遺跡都市の探索、外交の護衛、巨獣たちとの戦い。
短い旅路は、あまりにも濃かった。
それらは、隠居を望むエクリナにとって、また一つ良き思い出となっていた。
旅路の話で盛り上がる朝食の卓は、久方ぶりに穏やかな熱を帯びていた。
だが、紅茶の時間になった頃――。
カンッ!
エクリナの手から、ケーキを刺したフォークが落ちた。
唖然とする顔の先には、ルゼリア・ライナ・ティセラの真剣な面持ちがあった。
それを静かにセディオスは見守っていた。
「――今、なんといった?」
改めて聞くエクリナ。
耳に入った言葉が何かの間違いであることを願う声色をしていた。
「王、エクリナ。私は暫しの暇を頂きたいです。館を離れ、魔術都市に向かいます」
ルゼリアは端的に告げていた。
「もう一回言うね、王さま」
その言葉に振り向くエクリナ。
「僕はユヅランに行ってみたいんだ、そこでもっと強くなりたい」
ライナはエクリナと目を合わせ、覚悟をにじませていた。
「わたしもしばらく離れて、アークに住もうと思います。新型ゴーレムの製造に取り掛かるためです」
心配そうに眉を寄せながらも、ティセラは自身の希望を伝えた。
三人はそれぞれ、書状をエクリナに差し出した。
なおも呆然とするエクリナ。
恐らく、これまで見せたことのない――狼狽する表情をしていた。
手がプルプルと震え、顔を強張らせていた。
「――我が愛する者たちよ……我のことが嫌いになったのか? それともこの生活が――」
それはもうかつての魔王や、王と親しまれるいつもの姿ではなかった。
一つ一つを確かめるような、迷子になってしまった少女のように儚い顔であった。
「違います! 誤解されないでください!」
「落ち着いて聞いてよ~。王さま!」
「わたしも、もちろん愛してますよ!」
初めて見るエクリナの絶望した顔に必死に声を掛ける三姉妹。
そこに――
「エクリナ、まずはちゃんと話を聞こう。な?」
隣にいるセディオスはエクリナの頭を撫でながら抱き寄せた。
「セ~ディ~オ~ス~………ぐすん……」
もはや限界というばかりのエクリナは涙目となり、なんとか泣くのだけは我慢していた。
なおも頭を撫で続けるセディオス。
ルゼリア・ライナ・ティセラは立ち上がり、エクリナへ寄ると抱きしめていた。
「大好きです、愛してます。私の王はエクリナしかいませんよ……」
「泣かないでよ王さま~~。でも、今のままじゃ僕弱いままなんだ……」
「転移扉でいつでも戻れますから……そんな顔しないでエクリナ」
それぞれが愛する王に声を掛け、なだめる。
それはひと時続いた。
◇
「こほん……すまなんだ、皆。突然の……発言でな……」
まだまだ取り乱しているエクリナ。
セディオスは落ち着かせるために頭を撫で続けていた。
「訳を聞かせてくれ……今のままではダメなのか? リゼルなんぞ、我らならいつでも返り討ちに――」
エクリナは涙を拭きながら、言っていると――
「それは流石に厳しいかと思います」
ルゼリアは王に対してきっぱりと言い放った。
「なッ! いや……そうかも……しれぬな……」
今は傷の癒えた胸元を擦るエクリナ。
夜会での死闘を思い出していた。
「フォルネアに行った時のこと覚えてる? 色んな戦具に、色んな魔法、知らないことばかりだよね……」
ライナは思い出話をする。己が無知であることをやんわりと伝えていた。
「リゼルの計画が何なのかは掴めませんが……やれることはやったほうがいいと思いました」
ティセラは核心を突くように言う。
「すべてはこれまでの日常を護るためです。王がいて、セディオスがいて、皆がいる日常」
「そのためにはもっと強くなる必要があります」
ルゼリアはエクリナの涙を拭い、頬をなでた。
それはこれからも共に在りたいという誓いでもあった。
「だ、そうだ……今回の旅で縁が広がったのも事実だな」
「イーサリに……カンダチ道場……ヴァレンシア……それぞれに充てられた内容だな」
セディオスは三人の話を聞き、後押しするように書状の出先を伝えた。
「そうか……縁か……」
「成長するきっかけにはよいかもしれぬな……」
ようやく平静を取り戻したエクリナは三つの書状の内容を読む。
どれもルゼリア・ライナ・ティセラのためになることが書かれていた。
エクリナは一度だけ深く息を吸った。
震えていた指先を握り込み、涙の奥に、王としての光を戻す。
「わかった、行ってくるがいい」
エクリナは気丈な笑顔で送り出すことにした。
その涙を溜めた顔を見て、三人にも涙が出てくる。
たった三週間の別行動でも寂しかったのに、次は一人きり。
それほどまでに家族の絆は強くなっていた。
「ただし、条件がある」
エクリナは真剣な面持ちに切り替えた。
ゴクリと唾を飲み込む三人。
「週末は必ず帰ってこい。共に食事をし、土産話を聞かせてくれ」
「それが我からの命令だ」
三人をまとめて抱き寄せ、家族の契りを口にするエクリナ。
「「「はい! もちろん!!」」」
ルゼリア・ライナ・ティセラは元気よく返事をした。
例え遠くでも帰る場所がある三人――魔王エクリナはいつでも待っているという宣言でもあった。
それからは旅の支度が始まった。
いつもの旅装束に、《瞬装環アペリオ》、《次元重層収納ミディア・アーカイヴ》、そして館の転移扉へ一時的に接続できる《旅道板キーポート》を大事にしまっていた。
それぞれの道へ。
けれど、帰る場所は一つ。
三姉妹は、魔王エクリナの待つ館を背に歩き出した。




