◆第294話:狂信者に捧げる歌◆
コツ、コツ、コツ――石畳に靴音が響く。
水都ヴェルミオラの昼は、今日も喧騒に満ちていた。
その人波を裂くように、リゼルは繁華街の奥へ進む。
やがて『海の家』の看板を見つけると、準備中の札など見えていないかのように扉を開けた。
扉の開く音に気付き、ナミスケが近づいてきた。
「お客さん、まだ準備中でやんす。開店は夕方に――」
ナミスケは子供のような姿のリゼルにも丁寧に対応する。
開店時間を伝えていると――
「わたくしは、リゼルと申します」
「歌姫を宿に招いて、わたくしのために歌を歌って欲しい。これでどうですか?」
リゼルは、ナミスケの言葉を遮り要件を伝える。
ズシリとした布袋を手渡した。
布袋は、見た目以上に重かった。
ナミスケが口を閉ざして中を確かめると、四角金貨がぎっしりと詰まっている。
一目で、店の一晩の話ではないと分かる額。
「これは、これは、貴族の方でやんすか。おひとりで交渉とは珍しいでやんすな」
柔らかな声色で話し始めるナミスケ。
「いつ頃向かわせるでやんすか?」
「夕方ごろでどうですか? 今日は店を閉めるといいですよ」
「水鏡宮の最上階、そこを取ってます」
リゼルは更に懐から四角金貨を五枚取り出して卓に置く。
一日分の補填金まで景気よく出す客にナミスケの機嫌は上々であった。
「へへ、承知でやんす。クリシュニアを一晩お使いください」
「ですが――ひとつだけ、お願いがありやす」
ナミスケはにこやかに笑いつつ、したたかに要求を出す。
その言葉にリゼルは、一瞬不服な顔をする。
「クリシュニアは、歌を聴かせるために向かわせる娘でやんす。どうか、その役目だけで勘弁して欲しいでやんす」
「お酌でも、お話し相手でも務めさせやす。ですが、それ以上は……どうか」
ナミスケはクリシュニアを心配し、頭を下げる。
「いいでしょう……では夕方に寄こしてください」
リゼルは微笑み、ナミスケの条件を承諾した。
元より、そのようなものに興味が無いリゼルにはどうでもいい内容であった。
「ありがとうでやんす! 念のため護衛を付けておきます。よい夜をお過ごしくださいでやんす」
ナミスケは商談成立と言い、さらりとクリシュニアに護衛を付けた。
リゼルは、店から立ち去る。
その口元は少しだけ吊り上がっていた。
◇
時が過ぎて――夕方。
水鏡宮の最上階、特級客室。
貴族しか泊まれぬ高級宿の一室で、リゼルは一人、ブドウ酒の入ったグラスを弄んでいた。
コンッ! コンッ! コンッ! と、扉を叩く音が響く。
扉前まで転移し、扉を開け放つと。
長身、栗色の長髪、豪奢なドレスを纏った女性が立っていた。
「あのあのあのあのあの! ク、ク、ク、クリシュニアです!!」
「こ、こ、今夜はよろしくお願いします!」
いつも以上に緊張しながら声を上ずらせ、懸命に挨拶をする歌姫。
その背後には武装した護衛が二人、油断なく控えていた。
「待ってましたよ、歌姫」
「護衛は外で静かに待ってなさい」
リゼルはにこやかにクリシュニアに言いつつ、護衛に命令する。
護衛に駆ける言葉は冷ややかであり、言霊で縛っていた。
屈強な護衛は音を立てずに扉の両隣に立って待機した。
テンパっているクリシュニアは、その異常さに全く気付いていなかった。
人見知りの歌姫はリゼルの機嫌を取ることに集中していたのであった。
「そこの椅子に掛けてください」
リゼルは歌姫の手を優しく引き、長椅子まで案内した。
手を触れられクリシュニアは紅潮していた。
(や、や、や、優しそうな人でよかった……が、が、頑張って歌わないと)
リゼルを横目で見て、安心するクリシュニア。
長椅子に座ると、リゼルはグラスを卓に置きブドウ酒を注いでいた。
「ふふ、簡単に会えてよかった。貴方の歌、楽しみにしてますよ」
微笑みながら言うリゼル。
「あのあのあの……ど、ど、どういった歌がお好みでしょうか?」
頑張って、リゼルの好みを聞くクリシュニア。
その言葉を待っていたとばかりに、口角を釣り上げてニタリと嗤う。
「そうですね……"魔核が活性化する『歌魔法』"がいいですね♪」
(え? 魔核――活性? うううう、歌魔法って言った!!)
想定していない、あり得ない言葉が聞こえた。
特に、“歌魔法”という言葉だけは、聞き間違えるはずがなかった。
それを知る者など、今の世に居てはならなかったからだ。
危険を察知したクリシュニアは、
「た、た、たたたた――」
「た、った、助けてーーーー!!!」と大声で叫んだ。
宿に呼ばれることは、これまでもあった。
だからこそ、クリシュニアは“歌だけで終わらぬ夜”を知っていた。
だからこそ、ナミスケはいつも護衛を付けていた。
だが――助けを求めるも扉は開かなかった。
「残念ですね。この部屋は空間魔法で囲ってます。声なんてどこにも漏れないですよ」
クリシュニアは恐怖を感じ、すぐさま立ち上がり扉へ駆けようとする。
「それに……操るのは簡単です」
「戻れ。そして座りなさい」
リゼルが静かに告げた瞬間、クリシュニアの足は扉の前でぴたりと止まった。
抗おうとしても、膝は勝手に向きを変え、元いた長椅子へと戻ってしまう。
「……ほう、貴方には通じるのですね」
リゼルは口端を歪め、低く笑った。
「……今度、エクリナにも試してみましょうか」
リゼルは顎を撫で、思案する声が漏れる。
口に出た名前に反応する歌姫。
「ええええ、エクリナ様に何するの!」
珍しく怒気をはらんだ声を出していた。
「そそそそそそそ、それになんで歌魔法って……」
「ああ、声に出してましたか。それにエクリナを知っているとは……これも縁ですね」
「わたくしは神造生命体、貴方とは同類です。試作躯体がまだ生きているとは、しかも歌魔法は非常に都合がいいのですよ」
リゼルは邪悪な笑みを見せる。
指をパチリと鳴らし、卓の上に転移すると座り直す。
そして、クリシュニアの眼前に顔を寄せた。
(!!! うううう、動けない、にににに、逃げないと!!)
リゼルが神造生命体であったことに驚く。怪しく嗤う顔から逃げしたかった。
しかし、言霊がクリシュニアの動きを制御していた。
すると――リゼルの口端から血が滴り始める。
「ん? いいところなのですがね……神造生命体相手に言霊は少し不利なようですね。実験出来てよかったです」
血をぬぐい、更に嗤うリゼル。とても満足げな顔であった。
卓にコトリと、小さな木箱――オルゴールを置き、蓋を開けた。
だが、音は奏でていなかった。むしろ、これから出る音を記録するようであった。
「では、歌いなさい」
「全力で、魔力を込めて。このわたくしの計画のためにね」
言霊が重ねられた瞬間、クリシュニアの喉は、拒絶より先に歌うための震えを帯びてしまっていた。
リゼルはゆっくりと嗤った。
その笑みは慈愛を装いながら、相手を道具としか見ていない。
かつて世界を破滅へ導こうとした、あの神を思わせる笑みだった。
歌姫は過去を思い出し、顔を引きつらせる。
歌は甘美で、力強く、そして哀しかった。
その一音一音が、誰かの救いではなく、破滅のために積み上げられていく。
水都の夜が更けるほどに、歌姫の声は静かな狂信へ捧げられていた。




