◆第23話:引っ越し、それは新たな日常への扉◆
『緑風郷リマリス』の外れ、かつて高位の魔導士が住まっていた古館にて――
エクリナらが暮らす館。
森の縁から爽やかな風が吹き、少しだけ荒れた庭を抜けていく。
そのような心地よい空間で――エクリナ・ティセラ・セディオスは窓の縁に隠れていた。
三人は厨房内で息を殺していた。
セディオスが、時折庭を眺める。視線を向けてはすぐに引き戻す。
それを幾度も繰り返し、あるものを見ていた。
それは――浮遊する球型術具であった。
庭にいてはいけないものが、一基だけそこでウロウロとしていた。
庭の端にある小屋に近づき、ティセラ特製の自動洗濯術具をじっと見つめているところであった。
「……久々に見たな……あいつは戦場にしかいないんじゃないのか?」
隣で気配を消している二人に小声で話しかける。
「まさか、ここまで来るなんて……わたしたちの憎き鎖です。もう、あの頃に戻るなんて……絶対に嫌です……」
ティセラは少しだけ体を震わせ、拒絶反応を出していた。
かつての戦場、居城で意思なく動いていた神の術具。
それが、目と鼻の先の距離にいる。それだけで忌まわしかった。
「地下に置いてあったあ奴らの動力源を破壊したはずだが……何故だ?」
「追っ手が来ぬように気を付けていたはずだが……」
エクリナは城を出る際に、念のためとして城の地下にある動力施設を破壊していた。
脱出を急いでいたこともあり、破壊しきれてはいなかったが、それでも城の機能を半減させるには充分であった。
「で、どうする。壊すわけには……いかないな……」
破壊を提案しようとして、エクリナとティセラは同時にセディオスの袖を引いた。
ここで壊せば、この館にいることを認めると同意義であったからだ。
「ティセラ……魔力感知はどれくらいだと思う? この距離ならば――」
「ええ、今は庭の端。中級魔法発動をする程度ならば、発動者の位置まではわからないはずです」
エクリナとティセラは窓の縁から顔を出すと、目配りをする。
球体が自動洗濯術具へ視線を向けている隙を狙い――
「よし――ならば……」
「ナハト・シンフォニア。遠くへ舞え――」
エクリナは手をかざすと、闇刃を四つ庭の空へ放つ。
わざと浮遊する術具もそばを通り、森の奥へと飛び去って行った。
ピ、ピピ―――
奇妙な音が球体から出ると、目玉を動かすように〈ナハト・シンフォニア〉の軌跡を追う。
追跡するようにフヨフヨと浮かび上がり――シュンッ!と、転移していた。
「「「ふうぅぅ~~」」」
エクリナ・セディオス・ティセラは、深いため息をつく。
その顔には少しだけ安堵が浮かんでいた。
「何とかなりましたね……」
「エクリナの魔法に救われたよ……」
セディオスとティセラは安心して、立ち上がる。
「一時しのぎだな……対策をせねば――」
エクリナも立ち上がり、手元にあった新聞を一瞥する。
先ほどの球体以外にも問題が出ていた。
それも併せて対策すべく、セディオスとティセラへ相談を持ち掛けた。
三人だけの密談が始まっていた。
◇
静けさを取り戻した館には、ほんのわずかではあるが、緊張の気配が漂っていた。
それは敵襲の気配ではない。
“見られた”という事実が、じわじわと館の空気を締め上げていた。
広間にて、五人が集まっていた。
「……というわけで、街の新聞にまで取り上げられてしまった以上、今のままでは少々都合が悪い」
肩に触れないほどの銀糸の髪と碧眼を持つ、誇り高き『元』魔王エクリナが、静かに告げた。
テーブルの上に広げられた紙面には、『謎の閃光と爆発音、目撃多数――魔王再来か!?』という煽情的な見出しが踊っていた。
こういう記事が出れば、次に動くのは野次馬だけではない。
警備兵、魔導院の監察、そして“賞金目当て”の探索者たち――。
彼らは噂の熱が冷める前に、必ず足跡を嗅ぎに来る。
紙面によれば、郊外で起きた魔法衝突の瞬間を『緑風郷リマリス』中で観測されたらしい。
目撃者の中には「空が裂けた」「古の災厄の再来だ」と騒ぎ出す者まで現れたという。
記者の筆はさらに過去の”神の侵攻”にまで言及し、「もしや“滅びを嗤う者”の残滓か!?」といった不穏な憶測まで書き立てている。
「しかも――先ほど、来襲者も現れた……我らも知っておる球型術具だ」
そのエクリナの言葉に、ルゼリアとライナの目が見開く。
『球型術具』。その響きは懐かしくもあり、腹立たしくもあり、もう出会いたくない代物であった。
それが、先ほど現れたと告げられ、事の重大さを噛みしめていた。
紙面を静かに畳むと、エクリナは家族の面々に向けて宣言した。
「このままここに居を構えることは、避けるべきだろう。我らの生活の場を、もっと人目の届かぬ場所に移す。不要な騒ぎは、日常を蝕む毒であるからな。――つまり、“引っ越し”だ!」
ルゼリアは視線を落とし、指先でカップの縁をなぞった。
「……そうなるとは思ってました。私たちのせいでも、ありますから」
その横顔には、確かな反省の色が滲んでいた。
ライナは唇を噛み、いつもの勢いを無理に押し殺すように肩をすくめた。
「……本当にごめんなさい……街の人まで巻き込んじゃって……」
左右非対称に切り揃えられた水色の髪と鋭い瞳を持つライナが、申し訳なさそうにつぶやく。
健康的で快活な彼女も、この時ばかりは声を沈めていた。
「ふむ、やむを得まい。街にまで影響が及ぶとは我も予想外だった」
エクリナが腕を組み、やや神妙な面持ちでうなずく。
「この館に住んで三年だ。それなりに愛着も出ておるし、今更荷物だけの移動は時間が掛かるであろう。その間に人間たちに来られるとどうなるやら……」
「ゆえに、引っ越しは――」
エクリナは一度だけ、広間の梁と床を見上げた。
まるで屋敷そのものに命じるように。
「この館丸ごとで行う!!」
高らかに宣言するエクリナ。
「「!?」」
ルゼリアとライナは驚いた。
「館丸ごと……って、それ……担いで運ぶやつ!?」
ライナが素で言い、ルゼリアが即座に首を振る。
「物理移動ではありません。“座標ごと切り離して”転移させます」
横のティセラが方針を端的に告げる。
「……切り離す……? 家を……?」
「理論上できなくは無いですが……」
ルゼリアは知識を総動員して唸る。
「え! できるの!?」
ライナはエクリナとルゼリアを交互に見て驚く。
「事前にセディオスとティセラには、“館ごと転移する”腹案だけ伝えていたのだが――」
「実際可能だ。《ヴェヌシエラ》に記録されている”空間断絶”と”空間転移”を応用すれば難しくはないな」
エクリナは魔盾盤を持ちながら語る。
「とはいえ、空間ごと館を移すのですから、魔力負担は相当ですよね?」
柔らかな金髪を大きなリボンで束ねた小柄な少女ティセラが穏やかに問いかける。
「負担だけではない。制御を誤れば、館が欠ける・ねじれる、もしくは地面と噛み合わぬのいずれかだろうな」
エクリナの声は静かだが、冗談の余地はなかった。
静かに目を閉じ、続けた。
「いつもならば我が魔力で転移するのだが……今回は範囲が広すぎる。我一人では無理であろうな」
あっさりと認めるエクリナ。
「でしたら、補助用の術式を組みましょう」
ルゼリアが即座に提案する。
「局所展開型の多重補助式で、空間断絶を制御すれば、魔力負担を分散できるはずです」
「補助魔導術具は私が造ります。《ヴェヌシエラ》の解析で転移術式の基礎は、もう手元にありますから」
ティセラがすかさず補足する。
「設置作業は僕に任せて。館の周辺くらい、走り回るのは慣れてるから!」
ライナが元気よく拳を握る。
ようやく、いつもの調子が戻ってきたようだった。
そんな彼女たちのやり取りを、無骨な短髪と逞しい体躯を持つ剣士セディオスが、落ち着いた眼差しで見守っていた。
「その前に、まずは腹ごしらえだ。みんな、ちょっと気を張りすぎだな。あったかいスープと焼きたてのパン、準備できてるからな」
彼が厨房から出てくると、湯気を立てる具沢山のスープと香ばしいパンが整然と盆に並んでいた。
「ありがとう、セディオス!」
ライナがぱっと笑顔を見せて席につく。
「……はい。食事は確かに、思考を整理するために必要ですね」
ルゼリアも腕を組んだままスープの香りに目を細める。
「さすがセディオス、完璧なタイミングですね」
ティセラが感心したように言うと、彼は少しだけ頬をかきながら笑った。
「引っ越しって、気力も体力も使うだろ? だからこそ、みんなが少しでも落ち着けるようにって思っただけだ」
エクリナは、ふっと小さく笑みを浮かべ、言葉を紡いだ。
「……ありがたい。では、腹を満たし、力を合わせてこの館と共に新たな居住地へと移ろうぞ!」
「了解です」
「任せて!」
「頑張りましょう」
「みんな無理しないようにな」
こうして、魔王一家による前代未聞の“引っ越し”計画が始動した。
ただし物理的な移動、それも空間魔法と魔導術具による、大規模な空間転送移動。
「この世の記録にない転移型引っ越し、名称が必要ですね。その名も――『ディメンション・リアロケート』、と名付けましょう」
ルゼリアが静かに口にしたその名が、新たな日常の幕開けを象徴していた。
――その日、魔王一家の“日常”は、また一つ姿を変えることとなった。
その変化が、新たな出会いと波乱を連れてくることなど、まだ誰も知らないままに。




