◆第23話:引っ越し、それは新たな日常への扉◆
“緑風郷リマリス”の外れ、かつて高位の魔導士が住まっていた古館にて。
静けさを取り戻した広間には、しかし、ほんのわずかに緊張の気配が漂っていた。
「……というわけで、街の新聞にまで取り上げられてしまった以上、今のままでは少々都合が悪い」
肩に触れないほどの銀糸の髪に碧眼を宿す、誇り高き元魔王エクリナが、静かに告げた。
テーブルの上に広げられた紙面には、**《謎の閃光と爆発音、目撃多数――魔王再来か!?》**という煽情的な見出しが踊っていた。
紙面によれば、郊外で起きた魔法衝突の余波が広範囲に観測され、目撃者の中には「空が裂けた」「古の災厄の再来だ」と騒ぎ出す者まで現れたという。
記者の筆はさらに過去の”神の侵攻”にまで言及し、「もしや“滅びを嗤う者”の残滓か」といった不穏な憶測まで書き立てている。
紙面を静かに畳むと、エクリナは家族の面々に向けて宣言した。
「このままここに居を構えることは、避けるべきだろう。我らの生活の場を、もっと人目の届かぬ場所に移す。――つまり、“引っ越し”だ」
「……そうなるとは思ってました」
燃えるような深紅の短髪がわずかに揺れ、緋色の瞳を持つルゼリアが小さく息を吐いた。
その横顔には、確かな反省の色が滲んでいた。
「……本当にごめんなさい……」
左右非対称に切り揃えられた水色の髪と鋭い瞳を持つライナが、申し訳なさそうにつぶやく。
健康的で快活な彼女も、この時ばかりは声を沈めていた。
「ふむ、やむを得まい。街にまで影響が及ぶとは私も予想外だった」
エクリナが腕を組み、やや神妙な面持ちでうなずく。
「とはいえ、単なる転居ではなく、空間ごと館を移すのですから、魔力負担は相当ですよね?」
柔らかな金髪を大きなリボンで束ねた小柄な少女ティセラが穏やかに問いかけると、エクリナは静かに目を閉じ、口を開いた。
「本来ならば我が《空間魔法》で一括転移するが――今回は範囲が広すぎる。我一人では無理がある」
「でしたら、補助用の術式を組みましょう」
ルゼリアが即座に提案する。「局所展開型の多重補助陣式で、空間圧縮を制御すれば、魔力負担を分散できるはずです」
「補助魔導術具は私が造ります。転送式と扉術式の基礎は、もう手元にありますから」
ティセラがすかさず補足する。
「設置作業は僕に任せて。館の周辺くらい、走り回るのは慣れてるから」
ライナが元気よく拳を握る。ようやく、いつもの調子が戻ってきたようだ。
そんな彼女たちのやり取りを、無骨な短髪と逞しい体躯を持つ戦士セディオスが、落ち着いた眼差しで見守っていた。
「――その前に、まずは腹ごしらえだよ。みんな、ちょっと気を張りすぎだ。あったかいスープと焼きたてのパン、準備できてるからな」
彼が厨房から戻ると、湯気を立てる具沢山のスープと香ばしいパンが整然とトレイに並んでいた。
「ありがとう、セディオス!」
ライナがぱっと笑顔を見せて席につく。
「……はい。食事は確かに、思考を整理するために必要ですね」
ルゼリアも腕を組んだままスープの香りに目を細める。
「さすがセディオス、完璧なタイミングですね」
ティセラが感心したように言うと、彼は少しだけ頬をかきながら笑った。
「引っ越しって、きっと気力も体力も使うだろ? だからこそ、みんなが少しでも落ち着けるようにって思っただけだ」
エクリナは、ふっと小さく笑みを浮かべ、言葉を紡いだ。
「……ありがたい。では、腹を満たし、力を合わせてこの館と共に新たな居住地へと移ろうぞ!」
「――了解です」
「任せて!」
「頑張りましょう」
「みんな無理しないようにな」
こうして、魔王一家による前代未聞の“引っ越し”計画が始動した。
ただし、物理的な移動ではない。空間魔法と魔導術具による、大規模な次元転移。
その名も――「《転環位相〈ディメンション・リアロケート〉》、と名付けましょう」
ルゼリアが静かに口にしたその名が、新たな日常の幕開けを象徴していた。
――その日、魔王一家の“日常”は、また一つ姿を変えることとなった。




