第四十二話 人間らしさ
静かな部屋に髪をなでる微かな音、ベッドの上でルピナスに甘えられ膝枕をしながらクラルスは頭をなでる。ぼーっとルピナスの頭を見つめながら意識は別の方向に向いていた。
「お姉ちゃん大丈夫?」
「えっ? ああ、うん…大丈夫よ」
些細な変化だったがルピナスは機敏に感じ取っていた。起き上がると心配そうに抱き着く。
少し反省しながらクラルスはしばらく抱きしめると体を離してにこりと笑った。
「少し付き合ってくれない? 外の空気を吸いに行きましょう」
城の上階にある街を一望できるバルコニーにルピナスの手を引いて行く。風に髪を揺られながら無言で街を眺めるクラルスの真似をしてルピナスも手すりの間から街並みを眺めた。
「実はね…訓練についてレトゥムに忠告を受けて……このまま続けるか悩んでるの」
「危ないって怒られちゃった?」
「怒られたんじゃなくて心構えを確かめられたの。現実を知らないって訓練を見せてもらって…それで、続ける理由がうまく見つからなくて……」
ルピナスは背伸びをしてクラルスの頭を撫でた。
「無理しなくていいよ。前にね、中途半端な気持ちで武器は持つのは危ないってお父さんが言ってた…それでねお兄ちゃん街に出るようになったの。なんでって聞いたらね、守るべき人達がそこにいるからだって言ったの。知らないことのために力を出すのは難しいからって。でもお姉ちゃんは騎士じゃないから無理しなくていいと思う」
健気な様子の愛らしさにクラルスの気持ちは少しだけ和らいだ。
「一緒に街に下りない? レオンみたいに人の顔を見に行きたいの」
「うん」
悩んでいるのはシバ達も同じだった。処刑場に向かって走る最中も悩みを振り切れず、初めての感覚に戸惑いを感じていた。怪物になるという目指していたはずの未来と望まない結末、ここで得た物が良い事ばかりではないのか? その疑問をどうする事も出来ずに処刑場に到着した。
訓練場に出て老婆と訓練を始めたが覇気のない様子にほんの数分で呆れられ止められた。
「やめいやめい! なんじゃその態度は、全然身が入っとらん。そんなんじゃ意味ないわ」
シバ達は無言で武器を下ろし思い悩むその表情に老婆はため息をつく。
「そんなに効いたか? あいつの言葉が」
「僕たちは殺されるために強くなりたいんじゃない。人を殺してもなんとも思わない奴は向こうに大勢いた、そいつらを殺すためにはこっちだってそうならなきゃいけないと思ってたのに……どうして殺されるなんて話になるんだ!」
ローターの不満と虚しさのこもった声は行き場もなく彷徨った。
「あいつは諦めさせたいだけ……本気で考えてるわけない」
ファラベラはそう言うが声に自信はない。
「じゃからってやめるわけにもいかんじゃろう」
「わかってる。迷いたくなんかねぇ……」
弱気なシバ達になんと声をかけるか老婆も悩むが出てくる言葉はない。老婆自身もこの世の残酷さに気が滅入っていた。そんな戸惑いの空気の中にいつものように重苦しく刃のような雰囲気を纏いながらレオンが現れた。
「お前たち付いて来い。今日の訓練いい、ばあさんもだ」
何の用かもわからずに少し緊張気味に黙ってついて行くと王城の前で少女二人を迎え、シバ達はそれが姫達だとは知らず誰だと少し戸惑っていた。クラルスも少し驚いていたがすぐに納得した。
「彼らも? そう……それがいいわね」
二人だけの納得があり、レオンはこれから街を見て回ると告げる。シバ達は眉をしかめたが文句を言うつもりもなかった。何も指示することもなくただただ街を歩く時間、二組の視線は全く違うものに向き。見ているものの違いがはっきりと表れていた。クラルス達は人々に、シバ達はただレオンに注視し待っている。
にぎやかな声、活気ある人々の柔らかな表情。街は晴れやかであり、その鮮やかさをクラルス達は感慨深く見ていた。しかしシバ達にそれらは見えていない……ただの街、生ぬるいだけのどうでもいい街。
「お前たちこの街を見てどう思う? 来てからしばらく経つだろう」
「別に……平和でぬるい街ってだけだ。気に入ってるところもあるけどよ、飯もうまいし……でも、眩しいっつうか、目的がちげぇからよ。部外者って感じだ」
シバの返答は皆も感じている事だった。
「そうか……ならすべてが終わった後に戻りたいか?」
すぐに返せる問いではなかった、そもそもいるべき場所などどこにもないのかもしれない。シバ達はそんな思いすら浮かんだ。無言のままでいるとレオンは続ける。街の大通り、城から一直線に伸びている道で。
「もっと未来のことも考えるんだ。自分が幸せになる方法だ。戦いは幸福にはしてくれない、もっと人を見てみろ。あのアイス屋の店主も花屋の店主も誰かのために生きてる。お前がうまいと言った飯もそうだ、そういう意思がなければおいしい食事は作れない。お前たちにとっては不思議なことかもしれないがそれが社会を作ってる」
レオンは街道から見える光景を改めて指す。人々の表情の柔らかさはシバ達には未知のものだった、だがそれにも理由がある。レオンの言葉だけが視野を広げる唯一の綱。
「誰もが自分だけの幸せを追い求めたらこうはならない、平和の中の幸福ってのはみんな繋がってるんだ。誰かの幸福の上に自分の幸せがのっかってる、俺たちが今こうして平和でいられるのも先人たちの願った幸せの上にいるからだ。だから人を見ろ…人を見て自分の幸福を探すんだ。そうすればお前たちが生きていくことで生まれる幸せがあって、その先に続いて行く」
どくん、と胸を打つ感覚があって足が止まった。遠くを見る姿はなによりも明るく見え、強く感じたのは驚愕と痛み。
「だったらあんたの幸せはなんなんだ…他人ばっかり見て自分を見てねぇじゃねぇか」
「俺は……助けた人が幸せになってくれればいい」
何の雑念もなくそう言った。明るく見えた理由の正体が善性の純真さだと気づくとレオンへの尊敬とそんな生き方への不満が湧きあがってきた。
「自分の幸福なんて分かんねぇな……でもよぉ。進むべき道は見えたぜ、怪物にならねぇ道がな」
最も怪物に遠い人間が目の前にいるのならついて行けばいい。シバは振り向くと三人と顔を見合わせ気持ちが同じことを確かめた。
「訓練に戻るぜ!」
再び燃え上がった気合にレオンは戸惑って声が焦る。
「おい! そういう意味じゃ……」
するとファラベラが勝ち誇ったような声で言い返す。
「あたし達の目の前にいるのはあんた、だからあたし達の行動はあんたの影響」
もはや迷いのないシバ達を止めるすべはなく走り出す姿をレオンは見送るだけだった。
「自分から助言をやるなんて間抜けじゃな。まぁ、人生そううまい事行かんわ。どうなるかは分からんが、ワシも他人のために動く気分を味わいに行くかの」
老婆も軽やかな足取りで戻っていき、戸惑いが残る中でクラルスは疑問が浮かんだような表情でレオンを見ていた。
「あなたの言葉……とても懐かしいわ」
ルピナスの表情も驚きと寂しさを含ませ、だが懐かしさに喜びを感じほんの少し安らぎが見えた。
「お兄ちゃんみたい。ねぇ…どこから力が湧いてくるの? 私もお兄ちゃんやお父さんみたいに強かったらよかったのに……なんにもできない……」
レオンは慎重に……慎重に言葉を選ぼうとした。碌な言葉を持たないが何もできないままでいたくはない。だから緊張する心を抑えて、罪を償うチャンスを掴もうと声を震わせた。ほんの少しでも償えるならこの先どうなっても構わないと祈った。
「戦うだけが…強さじゃありません。心の強さだけで…自分の医療の腕を頼りに…厳しい場所に向かった人間もいます。人のために何かできることが強さなんです」
こんな言葉で勇気づけられるかだろうかと不安に怯えたがクラルスが手助けするように言葉を付け足す。
「あなたのお母様も医者だったはずよ、踏み出す気持ちさえあればその思いを受け継げると思う」
「お母さんが? そうだったっけ……なれるかな?…頑張ったら……助けてあげられるかな…お兄ちゃんたちを」
クラルスは笑顔でうなずいて背中を押す。
「うん、一人じゃないもの」
「大丈夫です……! きっと…大丈夫……ご家族も…その選択を喜んで…いますよ」
戸惑った言い方だったがルピナスは純粋にその言葉を喜び、ほんの少し笑顔が戻った。
「頑張って…みる。私がお母さんの代わりになれたら…続いていく…よね?」
言いながら不安になるルピナスに大丈夫とクラルスは抱きしめる。その様子に一人ではきっと勇気づけることもできなかっただろうと思い、レオンはそれ以上は口を挟むことをやめた。クラルスに任せるべきだと自傷しつつちらりと見るとクラルスは何かを聞きたっているような視線と目が合いレオンは思わず目をそらしてしまった。




