爺やの過去
町の温泉は中心から外れた所にあった。
残念ながら男女は別々になっているが、入るのに料金などは必要なく誰でも自由に入っていいそうだ。
少し遅い時間なのか爺やと僕以外は誰もいない。
ゆっくり入れそうだ。それにしてもこうやって爺やと一緒に風呂に入るのも久しぶりだな。
「爺やも昔来た時に入った事があるのか?」
「そうですね。こちらの国でお世話になっていた時は毎日入っていましたね。筋肉痛や肩こり腰痛、さらに魔力の回復効果もございますので毎日入っておりました」
「そうなのか。爺やの昔話は聞いた事が無かったけど、どうしてこの国へ?」
「そうですね坊ちゃまにはお話ししたことがございませんでいたね」
「今から二十年程前の話ですが、当時の私は武者修行中で色々な国を訪ねては強い者と戦い腕試しをしておりました。お恥ずかしい話ですが当時の私は粗暴で強い者と戦う事以外の事を考えない者でした。実際に負けたことも無くふらふらと諸国を回っておりました所、リュノール王国に竜神流武闘術という武術があることを小耳にはさみまして、修得できないかとリュノール王国に向かう途中で人攫いに掴まっていた姫様をお助けいたしました。それが縁でこちらのリュノール王国でしばらくお世話になっていた次第です」
「なるほどねそんな縁があったのか。ところで人攫いって今じゃあんまり聞かないけど当時は多かったの?」
「そうですね。当時は人攫い専門のギルドがございましたので、人攫いは珍しい事ではございませんでした。リュノール王国を離れた後に私が人攫いギルドごと関わるものすべてを潰しました。意外に芋づる式に関係者が見つかりましたのでさほど苦労は致しませんでした」
「そ、そうなんだ……」
「習いたての竜神流武闘術の良い実験台にさせていただきました。ふふふ」
爺やは当時を思い出したのか不敵に笑う。
「そ、そうだったのか。けどなんでそこからグロリオーサ王国で僕の教育係に?」
「そうですね。当時の私は愛情、友情などの情を感じる心を無くしておりました。元々感情の起伏もあまり無い性格でしたし戦いにその様な心は必要がないと思っておりましたが、リュノール王国でお世話になっているうちにそういう感情を自分も感じる事が出来るようになりまして、ふと望郷の念に駆れたらのでございます」
「グロリオーサ王国に戻った後は広く募集されておりましたお城の執事の仕事に就くことができました。最初は失敗ばかりでしたが、徐々に信用していただけるようになりついには坊ちゃまがお生まれになった際に坊ちゃまの教育係として任命され今に至るわけです」
「そうだったのか……。それにしても情を感じる事が出来ないか……ちょっと今の爺やからは想像できないな」
「そうですね。私もあの頃の私には戻りたくないですね……」
「ちょっと感傷的な気分になってしまいましたね。あまり長風呂も体に毒と言いますしそろそろ城に戻って休みましょう」
「そうだなちょっと長風呂しすぎたな」
爺やの過去に何があって情を感じる事が出来なくなったのかはわからないが、僕と爺やを会わせてくれたリュノール王国には感謝しないとな。
少し肌寒い所為か自然と目が覚めた。
着替えると玄関の外に出てみる。昨日見た英雄の像も実は爺やがモデルと聞いた後ではなんとなく爺やに見えてくるから不思議だ。
目の前の竜人山の頂上は霧がかかっていて見えない。
そんな光景をぼーっと眺めているとメイドさんが僕を呼びに来た。
どうやらいつの間にか朝食の時間になったようだ。
「ごちそうさまでした」
「ティム殿はこの後どうされますか?」
朝食が終わるとクニヒコさんがこの後の予定を尋ねてくる。
「竜人山の道場を見学できればと考えておりました」
「そうでしたかそれでは私が道場までご案内いたしましょう」
「本当ですか! ぜひお願いします」
クニヒコさんと今後の予定を話し合っていると女王様が親書を持ってきてくれた。
「ティム殿約束の親書じゃ。王によろしくとな」
「ありがとうございます。そのようにお伝えいたします」
「うむ、ところでクニヒコやティム殿を道場まで案内するとな! わらわも付いて行こう!」
「残念ながら姫様は公務がございます。特に先日私が提出した書類の決裁を早くいただきたいのでよろしくお願いしますね」
「あの赤子の背丈位はありそうな紙の束に目を通せと言うのか……」
「二十案程ありますからね。しっかり目を通してくださいね! それでは皆様行きましょうか」
うなだれている女王様をよそにクニヒコさんと僕達は道場へ向かった。
つり橋を渡り道場への石段の所に着くと、石段のそばに窓のある箱があり箱の前後から木の棒が飛び出ている不思議な物が何台か置いてあった。
「うん? あんなものは来るときは無かったけどな」
「道場までの石段は女性陣にはかなりきついと思いますので駕籠という乗り物を用意いたしました」
「駕籠ですか?」
「あれの事です。あの箱の中に入っていただきますとうちの若い者が棒の前後を担いで道場のある頂上までお運びいたします。運ぶのはかなりきついですが若い者の修行になりますので、見学の方がいらっしゃった場合は駕籠で移動していただいております」
「なるほど、けれど僕はいい運動になりますので普通に登ります」
「私も……」
「私も久しぶりに登ってみます」
マリナと爺やはそのまま登るようだ。
「私とイーナさんは駕籠に乗せてもらいます」
「あんな石段登るの勘弁よ」
すでに駕籠に乗り込んだリリアとイーナさんが駕籠の窓から手を振っている。
「かしこまりました。そちらのお嬢様方を頼みますよ」
そうクニヒコさんが何処とも無く声をかけると、
へい! と竜人の若者がどこからともなく現れリリアとイーナさんの駕籠を担ぎに現れた。
箱の中は狭そうだがあの階段を自力で上る事に比べればどうという事は無いな。
そう思いながら階段を見上げるが先が見えない。僕も気合を入れないとな。
階段を上り始めると意外に疲れないことに驚く、旅をする中でいつの間にか基礎体力が上がったのだろうか。
「坊ちゃまもなかなかやりますな」
汗一つかいていない爺やがそんなことを言う。
「爺やこそ息も乱れていないし汗もかいてないぞ」
「ふぉふぉふぉ、伊達に年は取っておりませんからね」
普通年を取ったら体力は衰えていくんじゃ……さすがは爺や規格外だな。
「マリナもさすがだな。全然平気そうだ」
「にぱー……」
全体力の二パーセントしか消費していないという事ですか!? マリナも末恐ろしいな……。
クニヒコさんも文官なのにあまり疲れた様子が無い。
「失礼ですがクニヒコさんは文官なのに平気そうですね。日頃から鍛えているんですか?」
「竜人の国の者は基本的に物心がついた頃から竜神流武闘術の修行をしますし、竜人は元々身体能力が高いですのでこれくらいは朝飯前です」
「なるほど今も竜神流武闘術の修行をしているんですか?」
「成人を迎えた後は個人によって変わりますが私は時々体を動かす程度ですね。フジマルなんかは修行を続けていて今では師範の中でも飛びぬけて強いですよ」
「フジマルさん師範だったんですね。確かに強者の雰囲気がありますね」
「私としてはもう少し思慮深くなって欲しいところですが、真面目で真っすぐな奴ですよ」
そういいながらニッと笑うクニヒコさんを見ながら、クニヒコさんはフジマルさんの事を信頼しているんだなと思った。言葉の端々からその様な思いが伝わって来る。
「あれが竜神流武闘術の道場です」
竜人の国の紅門を小さくした門が見えて来た。
門の前にはフジマルさんが待っていた。
「皆さん待っていたでござる。ここからは拙者がご案内するでござる。クニヒコご苦労であったな」
「皆さんに失礼のないように頼むぞ!」
「任せるでござる」
胸をドンと叩くしぐさがフジマルさんらしくてなんだか和んだ。
「それでは私は城に戻っておりますのでまた後程お会いいたしましょう」
「わざわざここまでご案内ありがとうございました」
「いえいえお気になさらず国賓ですので当然です」
そういいながらクニヒコさんは元来た道を駆け下りて行った。




