第36話 【デーモンケンタウロス】
ついた場所は廃墟となった教会だった。
上級騎士たちは黙々と教会へ進んでいく。怖くないのだろうか。デーモンケンタウロスは確実に騎士を殺せる実力がある相手だ。怖さを隠しているのか、それとももう麻痺しているのか。
先頭の上級騎士が扉をくぐった瞬間、ギギギギギという不快な音が外まで響いた。直後、古びた木製の扉が粉砕され、中から上級騎士が吹き飛んできた。
「敵発見!!教会を囲め!」
今回の遠征隊長、グエゴ隊長の号令が飛んだ。グエゴ隊長はワンドさんの弟子の一人で、実戦経験も豊富だと聞いている。俺たちは素早く教会を円形に取り囲み、内部の様子を監視した。吹き飛ばされた上級騎士は医療班が回収し、治癒を施してすぐ復帰するとのことだった。
包囲してから2分後、古びた教会が突如として内側から爆散した。飛び散った木片や石の破片が俺たちを襲ったが、鍛え上げた肉体と鎧が受け止め、負傷者は出なかった。
爆煙が晴れると、教会は跡形もなく消えていた。剥き出しになった地面の中央に、それは立っていた。
ケンタウロスの体躯——上半身が人間、下半身が馬。しかし通常のケンタウロスとは明らかに異なる。全身の皮膚に黒と赤が混じった禍々しい紋様が浮かび上がり、その眼は爛々と赤く輝いている。これが悪魔の力を借りたケンタウロス——デーモンケンタウロスだ。
「ほうほう、餌が来たのか……!」
低く、粘りつくような声で言った。
グエゴ隊長が素早く周囲へ合図を送る。魔法を扱える上級騎士たちが詠唱を始め、「始めッ!」の声と同時に炎・氷・雷・風、様々な属性の魔法を一斉に連射した。
デーモンケンタウロスは「良いねぇ!」と笑いながら風のように魔法の雨を躱し、すれ違いざまに近くの騎士一人の頭を掴んだ。次の瞬間、背骨ごと引き抜いた。
絶叫する間もなかった。
デーモンケンタウロスはその騎士の体を掴んだまま、引きちぎられて空洞になった首から血をごくごくと飲み始めた。血が顎を伝い、地面に滴る。
直視できなかった。それでも別の騎士が冷静にデーモンケンタウロスの背後へ回り込み、【雷撃斬】を叩き込んだ。渾身の不意打ちだ。しかし結果は——皮膚を浅く切り裂いただけ。しかもその傷口は数秒で塞がっていった。再生スキルだ。
グエゴ隊長の表情が硬くなった。
即座に最大火力のバレットへ合図を送る。バレットがデーモンケンタウロスへ向かって突進すると、デーモンケンタウロスは振り返りバレットの右手をがっしりと掴んだ。
「握力勝負だ。坊や」
その隙に俺たちは背後から攻撃を仕掛けた。しかしスキルを使わなければかすり傷すら負わせられない。何度斬りつけても、傷は瞬く間に塞がっていく。
「君は他の人より少し力がありそうだけど……所詮、人間だな」
「何をッッッ!」
バレットが全力で押し返そうとするが、じりじりと後退させられていく。背中が反り始め、骨が悲鳴を上げているのが側から見ても分かった。そしてバレットの抵抗も虚しく、その巨体が折り畳まれるように地面へ叩きつけられた。
グエゴ隊長が動いた。指揮官が自ら前線へ出るなど本来あってはならないことだが、もうそんな余裕はなかった。
グエゴ隊長の剣はデーモンケンタウロスの皮膚を深く切り裂いた。今までで一番深い傷だ——しかし再生が追いつく。傷口が目に見える速さで塞がっていく。
「ほぉ……少しは楽しませてくれるか」
前脚が薙ぎ払われ、グエゴ隊長の体が宙を舞った。受け身を取ったが、立ち上がった足がわずかに震えている。
俺も連撃斬+瞬撃を全力で叩き込んだ。48連撃もの雷の如き攻撃が皮膚を削り続けるが、再生速度が上回る。削っては塞がる、削っては塞がる。完全に無意味だ。
「政宗!退くな、押し込め!」
グエゴ隊長の叫びに応じ攻撃を続けるが、騎士の数は確実に減っていた。薙ぎ払われて木に激突した者、岩に背中から叩きつけられて動かなくなった者——四方から浴びせ続けた総攻撃も、デーモンケンタウロスの動きを鈍らせることすらできていない。
「そろそろ本気を出してもいいか?」
全身の紋様が赤黒く輝き始めた。
直後、デーモンケンタウロスの動きが変わった。さっきまでとは別次元の速さだ。俺も斬り込んだが、弾き返された衝撃で右腕がしびれて剣を取り落とした。
残っている騎士はもう数人しかいない。
「……終わりか?」
デーモンケンタウロスが俺を見下ろした。蹄が地面を踏む音が、やけに大きく響く。
剣を拾い直して立ち上がったが、足が震えている。成長倍率があってこれだ。俺にできることは、もうない——
「あー、こんなとこにおったんか。探したで」
のんびりした声が、廃墟の向こうから聞こえた。
全員が声のした方を見た。
そこに立っていたのは、異様な体格の男だった。全身を覆う筋肉の量が、普通ではない。服の上から見ても、腕も胸も首も、見たことのない隆起をしている。首に巻いた金のチェーンが夕日を受けてギラリと光った。
「マッスル将軍……!?」
グエゴ隊長が掠れた声で言った。
後から聞いた話では、マッスル将軍はルミナスの牙の中でも別格の存在として知られているらしい。通称・筋肉王。正式名称はマッスル将軍。俺はその名前すら知らなかった。
「ちょっと待ち、報告の前に一個片付けてええか」
そう言いながら、マッスルはゆっくりとデーモンケンタウロスの前へ歩み出た。
デーモンケンタウロスの雰囲気が変わった。さっきまでの余裕が消え、全身に緊張が走っているのが見て取れる。
「貴様……何者だ」
「誰やろなぁ」
マッスルは構えも取らず、ただそこに立っていた。
デーモンケンタウロスが動いた。全力の突進だ。前脚で地面を砕きながら加速し、頭の角を正面に向けて激突しようとした——その瞬間。
マッスルが片腕を前に出した。
ドゴン、という音が腹の底まで響いた。
デーモンケンタウロスの突進が、止まっていた。片手一本で、完全に。
「あっそ」
掴んだ角を軸にそのままデーモンケンタウロスを持ち上げ、地面へ叩きつけた。地面がえぐれ、砂埃が舞い上がる。
デーモンケンタウロスが立ち上がろうとした瞬間、マッスルの拳が胴体へ叩き込まれた。
鈍い爆音と共に、デーモンケンタウロスが数十メートル吹き飛んだ。廃墟の残骸を次々と薙ぎ倒しながら、ようやく止まった。
再生スキルが発動しようとしている。紋様が光り始めた。
マッスルはその前に踏み込んで、もう一発叩き込んだ。
今度は音すら遅れた。
デーモンケンタウロスは地面に深くめり込み、二度と動かなかった。紋様の光も、ゆっくりと消えていった。
沈黙が広がった。
「よし、終わり。グエゴ、報告あんねんけど今ええか」
マッスルは振り返って、何事もなかったように言った。
誰も答えられなかった。グエゴ隊長も、俺も、全員が同じ顔をしていた。
俺たちが総力を尽くして削れなかったものが——3発で終わった。
「……強すぎる」
誰かが呟いた。それが全員の総意だった。




