花言葉
ジョナサンが亡くなってから3日後、フェリシアの魔力暴走によって破壊された彼女の部屋は、すっかり元通りになっていた。
その部屋の扉の前で、金髪の青年が神妙な面持ちで自分の手に握られている花を見つめていた。
ここに来る前、城下町の花屋へ立ち寄り『――婚約者の見舞いに持参したいのだが、何か良い花を見繕ってくれ』と、頼み用意したものだった。
用意された花は、細長いピンクの花弁が何枚も重なっている大きめの花で、それが四本だけ、黄色いフワフワしている薄い紙で包まれていた。その上からさらに赤いリボンが巻かれ、とても可愛らしい花束として完成されていた。
店主が花を厳選したのち――本数はいかがしますか?と、聞かれたため『そちらに任せる』と、答えたところ店主の女性が含みのある笑顔で頷いたかと思えば、上機嫌でこれを用意していた。
そして、受け取る際『花言葉はご自分で調べてくださいね』と念を押されて渡されたのだった。
(⋯⋯この花の花言葉は一体なんなのだろうか。そもそも、この花は何という名前なのだろうか⋯⋯)
エドガーは、フェリシアの部屋の扉の前で警備をしている兵士に声を掛けた。
「――フェリシア様のご様子を見に来た。代わりはなかったか?」
「エドガー様!ご苦労さまです!!フェリシア様が今朝、こちらの部屋に移られてから、特に異常はありませんでした!!どうぞ、お通りください!!」
そう答えた兵士が元気よく道をあけてくれた。この国では珍しい、漆黒の黒髪に赤い瞳の少年だった。まだ王城内の警備に配属されて日が浅いのか、やや緊張気味な様子だったが、エドガーと目が合うとさらに背筋を伸ばして見事な敬礼で見送ってくれた。
――コンコン
控え目にノックをしてから、静かに扉を押し開く。部屋の中は、落ち着いた色合いの家具で統一されているが、所々に奇抜な置物があった。
木彫りの土偶はやけに頭部が大きく、その目鼻は黒くポッカリと大きな穴が空いているだけだったり、白磁の陶器で出来ている三色の座り込んでいる猫は、前足を上げ「やぁ!」と挨拶をしているようだが、もう片方の前足は金塊を抱いていた。
「フェリシアらしいな」と、エドガーは思わず目を細め呟いた。
目の前のバルコニーへ続くほぼ一面ガラス張りの壁からは、穏やかな光が差し込み、そこからすぐ横にある豪勢なベッドの上に彼女はいる。
瞼を閉じてベッドへと身体を横たえていても、その風貌からは隠しきれない美しさが滲み出ていた。
「フェリシア様は、本日もまだ目を覚ましておりません」
エドガーに頭を下げた姿勢のままで、フェリシアの身の回りの世話をする侍女が告げた。
「⋯そうか。この花を飾ってくれ」
エドガーは、侍女へと花束を渡しフェリシアへと近付くと、ベッドサイドへ腰を掛けた。
(今回の魔力暴走では、途中でアンナ様が睡眠魔法を掛けている。魔力を使い切る前に眠りに落ちたはずだが⋯⋯)
そんなことを思いながら、フェリシアのキレイな髪の一房をそっと掌へ乗せた。絹のように細く柔らかい髪は、あっという間にエドガーの手を滑り落ちていく。慌ててしっかりと持ち直し、その白銀の毛先に触れるだけのキスを贈った。
「エドガー様から贈っていただいたお花は、フェリシア様のベッドボードに飾らせていただきます」
侍女が丁寧に飾った小振りな花瓶は、ガラスに繊細な彫刻が施されており、そこに生けられた花は鮮やかさを引き立てられ、より一層咲き誇っているように見える。花瓶の中心部には、花束に付いていた赤いリボンが蝶の形に結ばれていたが、これもまた全体をまとめあげる見事な働きをしていた。
「あぁ、ありがとう。⋯⋯この花が生き生きと咲いている間に、フェリシアが目を覚ますと良いんだが」
「⋯⋯きっとフェリシア様にも、エドガー様のお気持ちが伝わるはずです。この花に込められている意味も、きっと喜んでくださいますよ」
エドガーが侍女の方へ向き直り、重い口を開いた。
「不躾な質問で申し訳ないのだが⋯この花の名前と本数の意味を教えてくれないだろうか」
――まさか、ご存知ないままお持ちになられたのですか!?と、いう驚愕の表情を一瞬だけ浮かべた侍女だったが、咄嗟にその言葉を飲み込んで「これはガーベラという花でございます。本数の意味は、エドガー様がご自身でお調べになった方がよろしいかと」と、頭を下げ壁際へと戻っていった。
(あとで図書室にでも寄って調べてみるか⋯⋯)
ふと、上掛けからフェリシアの左手がはみ出ているのが目に止まった。薬指にはエドガーが贈った指輪が静かに光っていた。
――良かった。まだ着けてくれているのか⋯⋯。
と、ホッとしたのと同時に、その指輪の周辺の皮膚が内出血しているのに気が付いた。
――3日前にこの部屋へ来た時、バルコニーのティーテーブルの上が酷く散乱していたから、何事かと思っていたが、フェリシアがやったのだな⋯⋯。
その指先を労るように撫でる。そして、エドガーはその華奢な指先を自らの唇へとそっと押し付けた。
「――フェリシア、君の愛をこんな形でしか確かめられない臆病な俺を⋯⋯受け入れてくれるだろうか――パルス・コンパス」
囁きに呼応するかのように、エドガーの手の上に薄いピンク色の矢印が出現する。そして、矢印は真っ直ぐにエドガーの心臓の場所を指し示していた。矢印の輝きは、フェリシアの指にはめられた指輪にも反射し、全体を淡く輝かせている──かと、思うと矢印の消失と共に、タンザナイトの結晶の中へと吸収されるように消えていった。
――フェリシアの中には、まだ俺への愛が消えたわけではないんだな。
と、それだけで胸が一杯になる。
――チュッ⋯⋯
フェリシアの麗しい唇に触れたい気持ちを必死に堪えて、エドガーはゆっくりと立ち上がる。そして、フェリシアの顔をその両手で包み込み、抱き締めるようにして冷たい頬に敬愛のキスを贈った。
「⋯⋯うっ⋯⋯!!」
それと同時に、フェリシアが小さく唸り身を捩る。まるで何かから逃れようとしているかのようだが、その瞳は固く閉じられたままだった。しかし、エドガーの瞳には、フェリシアが先程より苦痛を感じているような表情に映る。両手が何かに耐えるようにギュウッと強く握り締められていく。
——ノクティスによって強制的に眠らされているんだ、悪夢でも見ているのかもしれないな、と心配そうにその白銀の髪を愛おしく撫でた瞬間だった。
——パチッ!
エドガーの指先を拒むように、フェリシアの身体から紫色の静電気が弾けた。
エドガーの指先から、ビリビリとした痛みと共に、フェリシアからの拒絶の気持ちが全身へ拡がっていく。
——フェリシア、君はやはり俺に対して魔力暴走を起こすほど激しい憎悪の炎を燃やしているんだな。またそうなってしまう前に、俺は部屋を出るよ⋯⋯。
エドガーは、目の前で小さく弾ける拒絶の雷電を悲痛な面持ちで見つめ、これ以上彼女の心を乱さぬよう、白銀の髪からそっと手を離した。
エドガーは、痺れの残る指先を握り込みベッドへ背を向けて足早に扉へ向かった。
「⋯⋯レナ、いつも通り何かあれば、すぐに知らせてくれ。それと、何か気持ちが落ち着く香でも焚いてあげてほしい。くれぐれもアンナ様の動きには警戒してほしい」
扉を出る前、エドガーは侍女の方へ向き直り、言葉を掛ける。
「かしこまりました。フェリシア様のこと、お任せください」
レナと呼ばれた侍女は、洗練された見事な敬礼でエドガーを見送るのだった。
――パタン
部屋の扉が静かに閉じられる。その直後、レナの耳に小さな溜め息が聞こえた。
「⋯⋯フェリシア様?」
レナの声に反応するように、フェリシアの両手が動き自らの顔を覆い隠す。
「⋯⋯いつからお目覚めだったのですか?」
「——頬にキスをされた時からよ」
「⋯⋯なぜ寝た振りをなさったのです?」
「——あの男の顔を見たら、殺してしまうかもしれないからよ!!」
フェリシアは、ガバっと勢いよく上半身を起こしエドガーの唇が触れた頬を、自らの手でゴシゴシと擦る。まだ少し頭がクラクラするのを感じて、額に右手を当てたところで、涙が溢れ出した。
「——だって、お兄様が⋯⋯っ!!」
レナは素早くフェリシアへ駆け寄った。
そして、フェリシアの身体を支え、ベッドボードへ寄りかかれるようにクッションを背中へ移動させる。
「⋯⋯あの男は、私を愛しているのではなく、この国の第一王女だから愛しているフリをして、お兄様に危害を加えたのよ!?それに、アンナを警戒しろだなんて⋯⋯!!彼の本性に⋯⋯どうして、私は気が付けなかったの!?」
フェリシアの感情の昂りと共に、静電気が弾けるようなパチッ!パチッ!と、いう小さな音が増えてきた。さらに、フェリシアの震える身体が薄い紫色の光を纏い始める。
レナは、これ以上刺激しないように、一拍考えてから——事実だけお伝えしますね、と前置きをしたうえで、言葉を連ねる。
「⋯⋯あのクソ真面目な⋯⋯いえ、失礼しました。あの誰よりも誇り高き崇高な精神をお持ちのエドガー様に、そのような器用な振る舞いがお出来になるとお思いですか?」
「⋯⋯⋯⋯それはっ⋯⋯」
レナの淡々とした物言いにフェリシアは、深く考え込んだ様子を見せたが、まだ混乱しているのかすぐに表情を曇らせてしまう。しかし、怒りや拒絶の紫色の光はほとんど消えていた。
「⋯⋯フェリシア様、一度色々な事を整理して考えてみませんか?私がお手伝いいたします」
——準備がありますので、フェリシア様はそのまま楽にしてお待ちください。
と言って、レナは部屋を後にする。その背中を見送っていると、ふと視界の端にピンクの何かがあることに気がついた。
「⋯⋯ガーベラ⋯⋯」
——誰かがお見舞いに持って来てくれたのかしら。とても綺麗に咲いているわね。
と、フェリシアは小振りの花瓶へと手を伸ばす。フェリシアが触れた微かな衝撃で、重なり合っていた花が揺れ、その全容が明らかになった。
「⋯⋯四本⋯⋯『あなたを一生愛します』」
フェリシアは胸の奥に、チリッ!とした痛みを感じた。
——きっと、エドガーが持ってきたに違いないわ。すぐにでも殺してやりたいほど憎いはずなのに⋯!
——でも⋯⋯この花言葉が彼の本心だって信じたい自分もいる⋯⋯!!
——コンコン
フェリシアが複雑な気持ちで花瓶を抱き締めていると、控え目なノックが鳴り、やや間があってからレナが入ってきた。手には香炉を持っており、彼女の入室と共に、サンダルウッドの甘くて少しスパイシーな香りが部屋へと漂ってくる。
「⋯⋯そのお花は、エドガー様が持って来てくださいました」
扉のすぐ側にある応接セットのローテーブルに、ゆっくりと香炉を置きながら、レナは言った。
「⋯⋯えぇ、そうかなって思っていたところよ」




