少女と針子
「──何よ、あれは……」
とてつもない地響きにより黄昏の塔全体が激しく揺れ、崩れるのではないかと覚悟していたメルドラは、鉄格子のはめられた窓の外、塔からは少し距離のある森の中に見たこともない大きさの魔物の姿を見付けて息を飲んでいた。
「あの魔物、山が動いてるみたいに大きい──もしかしなくてもこっちに近付いて来てる!?やばっ!早くここから逃げなきゃじゃん──っ!!」
メルドラは、唯一の出口である扉へと慌てて駆け寄りドアノブに手をかけた。しかし、自らの細い手首に光る金輪を見ると諦めたように手を下ろした。
(──そもそも、あたしは敵国の捕虜なんだから。この扉から自由に出入りできないし、ましてや、逃げられるわけもないんだった。)
静かに窓際にある椅子へと腰掛ける。窓の外を諦めたように見ていると、森の中から騎馬隊が戻ってくるのが見えた。隊列も組まず、慌てているようにバラバラに飛び出してくる。
(あの巨獣だけじゃなく、他にも森の中に何かがいるの!?)
窓に張り付くようにして眼下を見ていると、騎馬隊や兵士を追うように、不気味な動きの人間が続々と這い出てくる。
「うげぇ……何あれ。マジで気持ち悪っ!」
メルドラが窓から視線を逸らすと同時に、何かが真横にある窓にぶち当たる激しい音がして、少女はビクリと身体を震わせた。
──バンバンバンッ!!
「メェェェェルルル……ドォォォォォォララララさまぁぁぁぁあああ!!」
その声に聞き覚えのあったメルドラは、勢いよく窓を振り返る。
「──ひぃっ!!」
そこには、メルドラが孤児院からガルヴァス城へと連れて来られた時から、成長する度に彼女の服を縫い続けてくれた針子のヒルダがいた。彼女は鉄格子にしがみつき、皺々(しわしわ)の手を鉄格子の隙間から差し込み何度も狂ったように窓を叩いている。
「──ヒルダッッ!!」
メルドラは内側から窓に張り付き、ヒルダの瞳を覗き込む。重い瞼の下から覗く瞳は輝きを失い、白濁した球体がはまっているだけに見えた。
メルドラは、目の前の老婆が自分の知っている人物の姿をしているだけの、全くの別物だと理解する。そして、絞り出すような声でヒルダへと語りかける。
「ねぇ、ヒルダ──あたしが結婚する時には、とびきり素晴らしいドレスを仕立ててくれるって……約束したじゃない──!」
──バンバンバンッ! バンバンバンッ!
「すすすすんぽぽぽぽうううう……ををををを!!」
ヒルダの奇行を止める術も思いつかず、メルドラはただ部屋の内側からヒルダを見つめ、彼女の変わり果てた姿に涙を流し続ける。
──カチャカチャ! バァン!!
「メルドラ!こちらへ、いらっしゃい!森にタイタン・ベヒモスが現れたの!一緒に逃げるわよ!」
鬼気迫る表情で飛び込んできたのはクレアだった。寝間着のまま、髪が乱れるほど急いで来てくれた彼女は、メルドラのいる窓の外に異形の老婆を見つけて息を呑む。しかし、メルドラの顔が涙でぐしゃぐしゃなのを見ると、クレアは全てを理解したようにぐっと奥歯を噛み締める。そして、静かに、しかし足早にメルドラへと近づく。
──カチャ ガチャン! カチャ ガチャン!
クレアは何も言わず、メルドラが着けている制限の輪を次々と外していく。そして、全て外し終えるとそっと少女を抱き締めた。
「──大丈夫。貴女の自由を奪うものは何もないわ。思うままに生きなさい」
メルドラはゴシゴシと涙を拭くと、覚悟を決めた瞳で窓の外に目を向ける。
「誰かに命令されたからじゃない。あたしが、やりたいから──あたしが望んでいることを……やるよ!!」
メルドラは、クレアから身体を離すと窓の向こうのヒルダと向き合うように立つ──次の瞬間。
──パリィィィン!
メルドラは鉄格子の隙間を狙って自らの両腕を突き出した。割れた窓ガラスが少女の腕を傷つけるが、気にせずそのまま腕を伸ばせる限界まで外へ突き出した。
「──ヒルダ……可愛がってくれて、ありがとう!……っ今、助けるから!」
「けけけけけけっっっっこんんんんん──!!」
メルドラは、鉄格子ごとヒルダの身体をきつく抱き締める。ヒルダはメルドラの身体が近くにきたことで、大きく口を開き噛み付こうとしているが、鉄格子に阻まれてガチガチと激しい音を立てるだけだった──その刹那、メルドラが掌から轟々と唸る炎を生み出した。
──ゴォォォォォォォ!!
鉄格子も硝子さえもグニャリと溶かすほどの高温の轟炎を全身に浴びたヒルダは、暴れることも、叫ぶこともしない。先ほどまでの狂人ぶりが嘘のように大人しくメルドラの轟炎に焼かれていく。
──ジュウッ!
ドロドロに溶けた鉄格子や硝子がメルドラの腕や顔に付き、そのきめ細やかな肌をも溶かしていく。
メルドラは苦痛で顔を歪めるが、それでもヒルダを抱き締める腕を緩めることはなく、むしろ更にきつく抱き締め続ける。
そして、二人の間に隔てる物がなくなった瞬間──ヒルダは最後の力を振り絞るかのように、両腕をメルドラへと振り上げた。
「──メルドラ!!」
ヒルダが轟々と燃え盛る腕を振り上げたのを見たクレアが、最悪の事態を想定して慌てて手を伸ばすが、想像したような事態は起きなかった。
──ギュウッ!
ヒルダは振り上げた両腕をメルドラの背中へ回すと、鋭い爪を突き刺すのではなく労るように抱き締め返したのだった。そして、メルドラの顔に出来た火傷の痕をそっとなぞると、少女の肩を力一杯押し返した。
「──ヒルダ!!待って!!」
メルドラが慌てて手を伸ばすが、ヒルダの身体は轟炎に焼かれながら落ちていく。その最中、ついに老婆の身体は燃え尽きハラハラと灰を撒き散らして消えていく。最後に残った魔晶石は月の光を浴びながら、流れ星のように地面へと落ちると、星屑を飛び散らせ消滅した。
「──どうして、ヒルダはただの針子なのにあんな化け物みたいになったの?もしかして、身体から出てきた魔晶石が──原因?だとしたら……誰かがヒルダの命を利用したってことだよね!?」
メルドラは怒りに震えながら、窓がなくなり壁にポッカリと開いた穴から眼下を見下ろしている。
その視線の先では、続々とガルヴァスの使用人や兵士たちが、奇妙な動きで森から這い出してきていた。そして、メルドラのいる黄昏の塔に体当たりをしたり、よじ登ろうとしている者も何人か見える。
「──メルドラ!早く逃げましょう!安全な場所に避難してから、今後のことを考えれば良いわ!!」
「王妃様だけで避難して!あたしは──ガルヴァスのみんなを眠らせてあげなきゃ!ヒルダと同じように利用されたまま、訳も分からず攻撃されて、傷付けられて苦しむなんて……そんなの絶対にダメだよ!!」
──シュタッ!!
メルドラは身軽な身のこなしで窓だった場所へと飛び上がる。そして、両手に夕陽のような赤々とした轟炎を纏う。
「じゃあ、いってきます!!」
メルドラはクレアを振り返り、それだけ言うとあっという間に外へと飛び出して行く。クレアが窓だった場所へ慌てて駆け寄り、眼下を見下ろし叫ぶ。
「──メルドラーー!必ず戻りなさい!待っているわ!!」
轟炎を両腕に纏ったメルドラが、長い赤髪のツインテールを揺らし地面へと舞い降りていく姿は、まるで空から不死鳥が舞い降りたかのように幻想的でいて、どこか憂いを帯びた光景だった。




