悪夢の始まり
エドガーから、生み出された魔物の弱点を聞いたネロは、暗い道を必死に駆けていた。枝分かれする道も、迷わず駆け抜けた先にある月明かりの漏れる影の隙間から躊躇わず飛び込んだ。
ネロが飛び出した先は、城塞外郭の広場のレナの隣だった。彼女の隣にはラシードとジョナサンがいて、視線の少し先には北の森へと出発したゼノとヴィンセントの小隊が見えた。
「エドガーから、魔物の弱点を聞いてきたぞ!魔晶石と心臓を破壊すれば完全に機能を停止するそうだ!そして、主犯は王弟グレゴールだとよ!」
ラシードは、ネロの言葉を聞くと僅かに驚き目を見開いていたが、ジョナサンは「ようやく動き出したか」と呟いた。そして、二人はお互いに顔を見合わせるとそれぞれの持ち場へと駆けていった。
レナはネロの背中に静かに触れると、やや緊張気味に尋ねる。
「……ネロ、フェリシア様は無事でしたか?」
「ああ!お姫さんはピンピンしていたぞ!あと、王弟のことは、エドガーとロイズが追っている!」
「──ガルヴァスは、大丈夫だったのですか?」
「俺が到着した時には、女王陛下も中庭への避難が完了していて戦闘も落ち着いている様子だったぜ」
ネロは前脚をぐぃーと伸ばし全身を解すと、身体をぶるりと震わせる。レナも黒豹を労うように顎を強めに撫でてやると、ネロはゴロゴロと気持ち良さそうに喉を鳴らした。ほんの少し休憩するとネロはまた立ち上がる。
「国王にも伝えにいく!その後、もう一度ガルヴァスへ行ってから、レナの元へ戻る!」
「分かりました。ネロ、気を付けてください!」
ネロはその巨体をレナへと擦り寄せると、彼女の滑らかな頬へ自らの頬をグリグリと押し付け踵を返す。そして、レナの影の中へと飛び込んで消えた。
「──私は、王妃様にお伝えしに行かなくては!」
レナは純白のマントを翻すと、王妃のいる寝室へ向かって駆け出した。
「ここは──北の森か?」
ちょうどその頃、グレゴールと共に転移魔法陣の中に入ったエドガーは、月夜も届かないほどに木々が鬱蒼と茂った森の奥にいた。
(グレゴールと同じ座標に転移できるとは思っていなかったが……メティスリア城からも少し離れていそうだな。)
「パルス・コンパス」
エドガーの掌では、紅蓮の炎を上げて燃え上がる矢印が自分の胸を指し示していた。エドガーは、目を見開いて驚いた後すぐに、幸せそうに頬を緩める。
(フェリシアが私を燃えるように愛してくれている──偶然だとは分かっているが、この矢印が私の心臓を指し示すとはな。)
フェリシアがいるのは北のガルヴァス──と言うことは、エドガーの胸を指し示す矢印は今、北の方角を教えてくれていた。
「メティスリア城は、ガルヴァスから南の方向に位置している。よし、このまま真っ直ぐに進むとしよう」
エドガーは、足元に落ちている自分の剣を拾うと前方の暗闇に向けて剣技を放った。
「エア・スラッシュ!」
──ズバァァァン! ゴォォォ!
勢いよく放たれた斬撃は、大木も下草も切り刻み巻き込みながら突き進んでいく。斬撃が通った後は、深淵の森の中にぽっかりと口を開けたような道を作り出していた。
エドガーは、自らが作り出した道を警戒しながら進んでいく。しばらく進んだところで、不快な匂いが漂っていることに気が付き足を止めた。
(魔物誘引剤の匂いだ!)
その匂いの正体に気が付くと同時にエドガーは大木の陰へと身体を滑り込ませ息を潜める。全方位を警戒していると、水分を含んだ音が断続的に聞こえてくる方角を見つけた。
気配を殺しその音の出所を確かめるために近寄ったエドガーは、8年前に見た恐怖の光景と同じ情景が、月明かりの森の奥に広がっている場面に出くわした。
──グゲェェェェ グチャグチャ ゴクンッ
魔物誘引剤に引き寄せられたスライム・イーターは、足元でうぞうぞと蠢くスライムを捕まえると、次々に捕食していた。エドガーが、魔物の数を把握しようと大木の陰から窺うと、視界いっぱいに広がっているのはおびただしい量の魔物の影だった。
(──っ!!)
エドガーは、初陣式の時の凄惨な悪夢を思い出し足が震え吐き気を感じていた。そんな自らの足を拳で乱暴に殴り、エドガーは鋭い眼光で前を見据えた──その刹那、身体が浮き上がるような猛烈な地響きが鳴り響く。
──ズドォォォォーーン!!
木々が倒れる音、小動物たちの逃げ惑う悲鳴、砂粒が地面へと降り注ぐ音──エドガーの視線の先、鬱蒼とした木々の間から立ち昇る砂煙の中にそれはいた。彼の記憶に最も強烈な恐怖と絶望を植え付けた超巨獣が姿を現したのだった。
「……タイタン・ベヒモス……」
エドガーは、全身から血の気が引き、視界がチカチカしているのに気が付く。月明かりでも分かるほどに、その顔面は蒼白になっていた。その場に縫い留められたように足が動かないエドガーの視界の先を、ゆっくりと前進していく超巨獣は真っ直ぐにメティスリア城を目指していた。
──ほんの少し時は遡り、ゼノとヴィンセントは、城塞外郭から出てすぐの北の森の入口付近に、倒れている大量の人間を発見して言葉を失っていた。
「──陛下、これは鎧の紋章から推測するにガルヴァスの紋章かと思います」
「……そうか。一体、何があったらこんな惨い傷を負えるのだ」
その全てが使用人か兵士のようで、男女問わず制服や鎧を身に着けたままだった。そして、全員の身体には何者かに噛み千切られたような傷跡や、鋭い刃物で斬り裂かれたような致命傷を負っている。
そして、そのすぐ近くではネロが言っていた通り明るい橙色に明滅する魔晶石が転がっていた。
「この魔晶石には、どんな効果があるんでしょうか?」
ヴィンセントの率いる小隊の若い兵士が魔晶石に触れた瞬間、意思を持ったかのように突然、彼の掌へと吸い付く。ヴィンセントがその不自然な光景に慌てて叫ぶ。
「何をしている!早く魔晶石から手を離せ!!」
「──うわぁぁ!!なんだこれ!!離れない!!」
若い兵士がパニックになって魔晶石を引き剥がそうとするが、魔晶石は彼の掌の中へと吸い込まれるようにズブズブと潜り込んでいく。
──ツプンっ!!
ついに魔晶石が掌の中に消えた若い兵士は、恐怖に満ちた表情を浮かべ、今にも崩れ落ちそうな足取りでヴィンセントへと近づいてくる。
「──副団長、俺どうしたら良いですか!?」
「待て!それ以上、動くな!何が起こるか分からない!」
「──ヴィンセント副団長……助けてください!掌から腕の中を伝って……何かが移動しているような……」
若い兵士の絶望的な言葉に、その場の全員が息を呑んで状況を見守っていると、ゼノの大きな影から黒豹が飛び出してくる。
「お前ら!!その魔晶石から離れろ!触ったら魔物にされるぞ!!」
ネロの発言を聞いた若い兵士は、絶望の表情でガクリと地面へ膝をつく。そして、腰の剣を引き抜くと「お世話になりました!」と叫び、自分の首へと剣を添えた。
「──やめろぉぉぉぉぉ!」
──ザシュウ!!
若い兵士は首を斬り付け、切り口から鮮血を噴き出し前のめりに地面へと倒れ込んだ。突然の出来事にその場の全員が動けずにいると、若い兵士の身体が激しく震え始める。
──ガチャ ガチャ ガツッ ガチッ
鎧が地面に擦れる不気味な音が響いたかと思うと、突然ピタリと動きを止めた次の瞬間──その肉体はゆらりと立ち上がると、笑顔を見せた。
「おぉぉぉぉつづづがれぇぇぇ……さざざさまででですぅぅうう!!」
「ちっ!まさかメティスリアの人間が魔物になっちまうとは──こいつの弱点は魔晶石と心臓を砕くことだ!!そうしない限り、活動をやめない!!」
ネロが叫ぶのと同時に、若い兵士は下半身だけ馬の足のように変異したことで生まれた、凄まじい脚力でヴィンセントへと飛び掛かる。しかし、若い兵士の腕を掴むと、ヴィンセントはその勢いを殺さず背負投げのようにして地面へと激しく叩き付けた。
──ガシャァァン!!
若い兵士の鎧の留め具が衝撃で外れ、彼が自ら付けた首の傷口の中に魔晶石が見えた。すかさず剣を抜いたヴィンセントは、心臓へと狙いを定めると躊躇うことなく剣を突き立てる。
「ぐわぁぁぁぁぁ!!だだだだすすすすげけげげてててぇぇぇぇ!!」
若い兵士が助けを請う叫びに、ヴィンセントが一瞬躊躇った隙を見逃さなかった異形は、ガバリと口を開くと鋭い牙を向ける。
──シュバッ
ネロが素早く若い兵士の首を刎ねる。それでも、兵士の魔物は手足を動かし自分を押さえつけているヴィンセントの剣を握り締めると、引き抜こうとしている。
「──今、楽にしてやろう。国のために犠牲となったお主の命を無駄にはしない!安らかに眠れ!」
ゼノは暴れ続ける兵士へと近寄り右足を上げた。そして、湯気の立ち昇る高熱を纏った足で傷口に埋まっている魔晶石を踏み抜いた。
──バギィィン!!
一瞬で砕け散り舞い上がった魔晶石の欠片が、ピクリとも動かなくなった兵士の身体へと降り注ぐ。
ヴィンセントは、険しい顔をすると静かに剣を引き抜いた。
「魔晶石には触れるな!人間に入り込む前に瀕死の彼らを救出して収容しろ──」
ゼノが指示をしている最中、強烈な地響きが起こる。そして突然、暗くなった空を見上げてゼノは絶句した。
「──タイタン・ベヒモス!!」
そこには、メティスリア王国には生息していない、月を隠すほどの巨獣が突如として出現していたのだった。




