乱入
──ドゴォォォォォン
研究室にいたロイズとルカは、頭上から響いてきた地響きのような轟音を聞いて動きを止めた。そして、ロイズは今まさに南側の回路に魔力を流そうとしているフェリシアの手を取り、慌てて作業を中断させる。
(──何故、アンナは研究室へ降りてこないんだ?何かがおかしい)
ロイズが不審に思っていると、研究室の天井から朱色の雫のような物が垂れていることに気が付く。それは少しずつ数を増やし、天井の至るところから次々と滴り落ちてくる。
「何ですか……これは?」
ルカが不思議そうに雫に手を伸ばすと、それは指先に触れた途端、瞬時に霧散し儚く消えていく。だが、机の上に落ちた雫は意思を持っているかのようにモゾモゾと動き周っていた──そして、まるで何かを探すように這い回るそれは、魔晶石を見付けると急に速度を上げた。
──バシュン!
魔晶石の前へと、咄嗟に伸ばしたロイズの掌にぶつかった雫は、跡形もなく消え去っていく。
「──ルカ!この雫の狙いは魔晶石だ!触れさせてはいけない!」
ロイズは、天井に全体に向けてヴェント・ソウラムを放つ。あっという間に天井のすぐ下にぶ厚い空気の層が完成する。それにより、染み出るように出現する朱色の雫は滴り落ちることなく、その場に留まっていた。
「兄上、ここには魔晶石が山のようにあります!触れさせるなと言われても──!!」
「……これは、きっと叔父上の仕業だ。この朱色の雫は叔父上の魔力なのだろう。僕の計画を逆手に取って、この城の周辺に魔物を溢れさせるつもりなんだ」
「では、一体どうするのですか!?ヴェント・ソウラムにも、時間の制限があるのですよ!」
ロイズは研究室を見渡してから、目の前の南側の回路の装置にそっと触れた。そして、目を閉じその壁へと祈るように額をつけた後、静かに言った。
「──ここを回路や装置もろとも破壊しよう。叔父上のやりたいように、させるわけにはいかないんだ。フェリシア様、ルカと一緒に地上へ行ってください。──ルカ、頼んだぞ」
「……分かりました。兄上も、すぐに地上へ来てください!」
ルカはフェリシアの腕を掴むと、一気に地上へ向けて駆け出した。長い階段を駆け上がっていると、背後から大きな爆発音が聞こえてきた。驚いて足を止め振り返ったルカの耳に、更にもう一度、先程より大きな爆発音が聞こえてくる。地面を伝って足の裏から響いてくる振動が、爆発の激しさを物語っている。
──グイッ
ロイズから『地上へ行け』と命令されたフェリシアの身体はただひたすらに上へ向かおうとする。ルカが研究室に気を取られて背後を振り返っている今も、虚ろな瞳で地上への階段を見つめる。そして、フェリシアが前へ進もうと動くたびに、彼女の腕を掴んでいるルカは身体を傾かせる。何度か繰り返した後、ルカは歯を食いしばりようやく地上を目指して歩き始めた。
フェリシアは、ルカがまた自分の腕を引き、前を歩き始めたことで悔しい思いをしていた。
(もう!ルカ!なんで研究室へ戻らないのよ!?三人でやれば、あの部屋の魔晶石くらい一瞬で破壊できたはずだわ!ロイズ様はアンナの婚約者なのよ!?私が一緒にいたのに、彼に何かあったら自分を許せなくなるわ!!)
フェリシアもルカも後ろ髪を引かれながら辿り着いた地上では、空から朱色の雫が止め処なく降り注ぎ続いていた。ルカが中庭に目を向けると、大木の豊かな葉が不自然に震え、時折、大木自体が動いているように見える。彼は、自分の目を疑い目を擦ってみたが、やはりそれは自分の意思を持って動いているようだった。
「フェリシア様!行きましょう!」
ルカがフェリシアの腕を引くが、フェリシアは頑なにその場を動こうとしない。無理矢理に身体を引いて前へ進ませて、すぐに階段を登り切った場所へ戻ってしまう。
(兄上が「地上へ行け」と言ったから──地上に出たところで指示が終わっているから、動かないんだ!)
ルカがどうしようかと悩んでいると、大木の陰からシリルが飛び出してくる──かと思うと、長い枝がしなりながら彼女を追いかけていく。シリルは、横から薙ぎ払うように迫る枝を、飛び退くことでギリギリ避けた先でルカを見つけて叫んだ。
「手伝ってください!アンナ様が、息をしていないかもしれません!私の力では、細い枝すら叩き斬れないのです!」
その言葉に弾かれるように走り出したルカの横を、更に上回る速度で駆け抜ける金色の影があった。
その金色の影は一瞬で大木の前へ来ると剣を構え、即座に斬撃を放つ。
「エア・スラッシュ!」
──シュバァァァン!!
彼が放った斬撃は、白い顔でグッタリしているアンナを締め付ける木の枝を全て両断すると、そのまま駆け上がるように大木を深く切り裂きながら上へと軌道を変える。
──バリィィィィン!!
大木から半分だけ顔を出している魔晶石を砕いた斬撃の勢いは衰えず、そのまま空へと駆け上がりやがて見えなくなった。
大木から解放されたアンナを優しく抱きとめたシリルは、柔らかい草の上へと寝かせ呼吸を確認する。やや弱々しくはあるが、少女の呼吸は止まっていなかった。
「アンナ様!今、治癒魔法をかけます!」
アンナの側へ駆け付けたルカが、治癒魔法をかけ始めるのを見て、シリルはホッと胸を撫でおろしていると彼女の耳に、怒気を孕んだ声が響いた。
「エドガー・クレイ!!!!」
シリルが驚いて顔を上げると、研究室へと向かう階段へと続く回廊──微動度にしないフェリシアの横に、煤で汚れた顔のロイズが肩で息をしながら立っていた。
「──お前は何故……突然、研究室に──僕の目の前に現れたのだ!?」
ロイズの叫びに首を傾げると、真っ直ぐにフェリシアへと近付きながら、彼女だけを見ているエドガーは答えた。
「私は、近衛騎士団を罷免された。そして、罪人としてガルヴァスへ転移させてもらったんだが……転移先の場所までは指定できなかった」
「──何故、現れてすぐに研究室を破壊した!?」
「破壊したのではない。あの部屋から出る扉には、内側から頑丈な鍵が掛けられていたからな。脱出するためには、吹き飛ばすしかないだろう」
フェリシアの目の前まで来たエドガーは、熱の籠もった瞳で彼女を覗き込む──が、美しく深い紫水晶の中には、怒りの感情すら芽生えていなかった。その違和感にすぐ気が付いたエドガーは、隣に立つロイズへと詰め寄る。
「──貴様!!フェリシアに何をした!!」
「フェリシア様には、この国の女神になってもらう」
「──何を意味の分からないことを!!」
「お前は一度、彼女に逃げられているんだろう?いい加減、諦めたらどうなんだ?」
「──貴様がアンナ様を利用して、フェリシアが勘違いするように仕向けたんだろう!!」
「エドガー・クレイ!!!お前が婚約などしなければ、僕は公私共に彼女と支え合って生きていけるはずだったのだ!!」
勢いで言い切ったロイズは、先程よりも荒い息を繰り返してエドガーを見ていた。そして、エドガーはというと、驚愕で目を見開いたかと思うと、溜め息をついて目を伏せて首を振り始めた。
「……自分のことばかりで、まったくフェリシアの気持ちを考えていない人間には渡せない。──まぁ、鼻から誰にも渡す気はないがな」
月明かりの下、空から降り注ぐ朱色の雫を反射する金髪は、フェリシアへの焦がれる想いを溶かし込んだように妖しく光り輝いて見えた。そして、その下からロイズを見つめる深い青の瞳は、彼の髪とは正反対の冷徹な侮蔑を含んだ色をたたえていたのだった。




