企み
夕食を取り終えたアンナは、ロイズとルカ、そして人形のようなフェリシアと共に研究室へと向かっていた。
ロイズは、夕食の席に来る時もフェリシアに寄り添い、その手に愛おしそうに触れ、熱っぽい視線を向けていた。ルカも、フェリシアの様子を常に気にして、何かあればすぐに駆け付けては、熱い眼差しを送っている。アンナは、その様子を見てメティスリアでの既視感を覚えた。
(ロイズ様。お姉様を独り占めしないって約束……忘れてないですよね?)
アンナは、三人の後ろを黙って歩きながら夕食の席でロイズから説明された、どうにも腑に落ちない作戦を思い出していた。
(ロイズ様は、『確実にこの作戦を成功させるためにお姉様に魅了魔法をかけた』と言っていましたけど……本当にそうなのかしら?)
アンナは前を歩くロイズの背中をじっと見つめるが、やはりその身体はフェリシアにピタリと寄せられており、目の前を歩く二人が婚約者同士だと言われても納得してしまうほどの距離感だった。
アンナはすっきりしない気持ちのまま、中庭に面した回廊までやって来ると、ふと昼間にグレゴールに一泡吹かせてやった大木の根元に目を留めた。そこには月の光を浴びてキラキラと輝く銀色の羽が落ちている。
「──お姉様の羽だわっ!ロイズ様、先に研究室へ向かってください。私は羽を拾ってから行きます!」
アンナは三人と別れて、中庭へ入ると月明かりを頼りに大木を目指す。そして、安堵の表情で銀色の羽を拾い上げようとした瞬間、羽から紫色の静電気のような小さなスパークが弾けた。アンナが驚いて目を丸くしていた──その刹那、少女は大木の裏から伸びてきた腕に肩を掴まれると、そのまま乱暴に幹へと身体を押し付けられてしまった。
強かに打ち付けた背中の痛みに顔を顰めながら、顔を上げるとそこには不敵に微笑むグレゴールがいた。
「──先ほどは見事な演技だったよ、アンナ嬢。さて、先ほどお前は、その羽を見て『お姉様の』と言っていたが……フェリシア様は変化の薬を飲んだのだな?」
「……だとしたら、何なんですか?」
「良い事を教えてやろう。私は、あの薬を使用した者が『ガルヴァスの者としか触れ合えなくなる』誓約魔法を付与した──もっと言えば『ロイズを信頼している者しか触れられない』という誓約だ」
アンナは、はっとして足元の羽を見る。アンナが近くにいるからか、羽は僅かにパチパチと放電を繰り返しているようだった。それを見たグレゴールは、満足そうに高笑いを始める。
「あっはっはっはっ!!──お前、あんなに余裕そうだったのに、この短時間でロイズを信頼することができなくなったのか!?」
「──グレゴール様、あなたはこの羽に触れるのですか?」
アンナはビクともしない身体を動かすことを放棄して、グレゴールへと視線を向けた。その瞳は「どうせ、貴方も触れないんでしょ?」と言いたげに、挑発的な色を宿していた。
グレゴールはアンナの言葉に盛大に顔を歪めたが、アンナから手を離すと、開き直ったように夜空に向かって叫び始めた。
「私は、ロイズを王にするつもりはない!!あいつの作戦は、まさに今夜失敗に終わる!そして、この国は、私の物となるのだぁぁぁ!!!」
彼の魂の叫びが中庭にこだまする。グレゴールの自信に満ちた佇まいに、違和感を覚えたアンナは恐る恐る問い掛ける。
「──何を企んでいるのです?」
「どうせ、アリシア様以外の人間はこの城に残らないからな。冥土の土産に教えてやろう。地表近くにあった魔物の魔力の籠められた魔晶石は今、この城の至る所に配置してある」
「……まさか!!城内であの悍ましい魔物を作るつもりですか!?」
「なんだ──アンナ嬢は見ていたんだね」
グレゴールの瞳が妖しく光り、あの悍ましい魔物の誕生を思い出したアンナは全身に寒気が走り身震いする。
「──人間に魔晶石が入ったら、どんな魔物が産まれるか……見てみたくはないか?」
「そんな事、倫理的に許されるわけがないですっ!!」
グレゴールはアンナの言葉を無視して、両腕を空に向けて伸ばすと自らの魔力を解放した。空高く打ち上がった朱色の大きな魔力は、空中で砕け散るように分かれたかと思うと、一気に血の雨のように城へと降り注ぐ。
ギラギラとした瞳をアンナへと向けたグレゴールは、自らのの魔力が振り注ぐ中ゆっくりと少女へと近付く。いつの間にかその手には、黄色の魔力が籠められた魔晶石が握られていた。黄色の魔晶石の上に朱色の魔力がぶつかる度に、僅かに色味が変化しながらやがて明るい橙色になった。
「さぁ、アンナ嬢。おまえを人間が魔物になる第一号にしてやろう!!」
アンナは恐怖で動けず、ただグレゴールを睨むことしかできない。ついに魔晶石が明滅を始めたと思った瞬間だった。
──カキンッ!
グレゴールの手の上の魔晶石は弾き飛ばされ、グレゴールの後方へ勢いよく転がっていく。衝撃を受けた手を押さえながら、男が忌々しげな声を上げた。
「──シリル、王弟に向かってこの態度は不敬に当たるぞ」
「お言葉を返すようですが、王位継承順位第一位であるロイズ様の婚約者様を危険に晒すこともまた、不敬に当たります」
闇夜に紛れるような漆黒のポニーテールを揺らして大木の葉の中から二人の間へと降り立ったシリルは、アンナを背後に庇うようにして立ち直す。そして、スラリと無駄のない動きでグレゴールへと剣を向けた。
「くっくっくっ……魔晶石は、砕くまで生きている!今に、この城内が恐怖と悲鳴に満たされ、静けさを取り戻した頃には魔物の巣窟となっていることだろう!!」
「おいおいおい!王弟の口から出たとは思えない、とんでもねぇ不気味な話じゃねぇーか。グレゴール様、完全に悪役ムーブっすよ?その言葉」
グレゴールの後方で激しく明滅を繰り返す魔晶石を足蹴にしているタイロンが、やれやれといった様子で立っている。彼は、グレゴールが自分を振り返ると同時に、足に力を入れて魔晶石を踏み抜いた。
──バギィィン!!
「──っと、これでアンナ様が魔物第一号になることは、なくなったな!!」
タイロンは得意気に言うと、ナックルを着けた拳を構える。砕けた魔晶石を見たグレゴールは、なんとも忌々しげな顔をしたが、何も言わず未だに自身の魔力が降り注ぐ空を見上げる。
「グレゴール様、ロイズ様への反逆罪で拘束します。抵抗などせず投降してください」
シリルとタイロンが警戒をしたままジリジリとグレゴールとの距離を詰めていく。その時、シリルの背後にいるはずのアンナが苦しそうな声を上げた。
「──うぅ!」
慌てて振り返ったシリルの目に飛び込んできたのは、大木が意思を持ったようにしなやかに動き、枝を使ってアンナを自らの幹へと縛り付けている光景だった。大木の幹には顔らしき窪みも出現しており、その額にあたる部分には魔晶石があった。
シリルがアンナの方へ駆け出した隙を見逃さなかったグレゴールは、タイロンに向けて魔法を発動する。
「──ブラッド・フレア!」
ドロリとした血の塊のような溶岩の塊が、タイロンを目掛けて飛んでいく。その塊から垂れた溶岩が触れた地面は、一瞬で溶けるとドロドロとした液体になり、やがて蒸発していった。格闘派のタイロンには、どうやっても不利な状況だったが、彼の顔には焦りも恐怖もなかった。
タイロンは深く腰を落とすと思い切り息を吸い込み、ナックルをはめた拳を地面へと叩き付けた。
「グランド・ナックル!!」
──ドゴォォォォォン!!!
タイロンの拳がぶつかった地面は、放射線状にひび割れ一気に舞い上がる。そして、タイロンの前に幾重にも連なり盾のように広がった。その石や土でできた盾に触れるたび、ジュッと、大きな音を立て水蒸気を発生さながら進んでいく溶岩は、次第にその音を小さくしていく。そして、ついにタイロンに届くことはなく、パラパラと冷え固まった塊と濃い水蒸気を残して消滅した。
「──それくらいの魔法で、俺を倒せると思ってもらっちゃあ困るぜ!!──って、グレゴール様は!?」
水蒸気が落ち着いた時、タイロンの目の前にいたはずのグレゴールはいなくなっていた。グレゴールを見失って完全に慌てているタイロンへ、シリルが檄を飛ばす。
「タイロン!城の中です!グレゴール様を追ってください!」
──ガツッ ガッ ガッ
タイロンが城へと走り込むのを横目で見ながら、シリルは大木の魔物へと連撃を放っていた。しかし、彼女が放つ剣技はどれも、頑丈な樹皮によって弾かれてしまう。
(私の剣技と相性が悪い──!!)
アンナは、胸部と下腹部を太い枝によって締め付けられ呼吸がままならないのか、次第に顔色が青白くなっていた。
──その頃、メティスリア城の転移の間には、エドガーとゼノ、そしてレナがいた。
発動していない転移魔法陣のすぐ前に立つエドガーに、ゼノは三種類の制限の輪を見せていた。
「罪人用の転移装置を使用するには、制限の輪をはめるのが決まりなんだ。隷属の首輪なら、お前の行動に影響が出ることはないだろう──エドガー、死なずに戻って来い」
「勿論です。必ず、戻ります」
──カチリ
ゼノによってエドガーの首には黒い首輪がはめられた。それと同時にエドガーの背後で魔法陣がブォンと音を立てて起動する。エドガーは、魔法陣の中央へ立つとゼノの後ろに控えているレナに視線を向けた。
「──もしもの時は、頼んだぞ」
それだけ短く言うと、エドガーは魔法陣から瞬時に消えたのだった。




