黄昏の塔
「あー……こんな生活してて、いいのかなー……」
時は遡り──エドガーたちがメティスリア城に到着する前、赤髪の少女メルドラは、メティスリア城の黄昏の塔にいた。
堅牢な石造りの黄昏の塔を構築している魔晶石には、罪人が着けられている『制限の輪』に反応する強固な防御・妨害魔法が施されている。
その為、フェリシアにも負けないほどの膨大な魔力量を誇るメルドラでさえ、今は普通の人間と変わらない程度まで魔力を封じ込められていた。
(ここに来てから、拷問とか尋問とかされるかなーって思ってたんだけど……むしろ、ガルヴァスにいた時より豪華な生活してるような気がするよねー)
メルドラは、それなりに良い家具が備え付けられた室内をぐるりと見渡してから、鉄格子のはめられた窓辺にある、こじんまりとしたテーブルセットの椅子へと腰掛ける。
(まぁ、孤児院にいた時もガルヴァスにいた時も、捨て駒扱いで大事になんかされてなかったけど)
メルドラは心の中で毒づいた後、グイーッ、と全身を伸ばしてから気合を入れて姿勢を正す。
「よーし!今日もやってみるかー!」
そして、テーブルの上に置かれていた刺繍セットを手に取ると、真剣な表情でそれなりに上質な生地へ針を刺していく。
──コンコンッ
控えめなノックの音がしたが、メルドラは顔も上げずに──はーい、どうぞー、とだけ言うと、また一針一針、慎重に針を刺していく。
「こんにちは。メルドラちゃん、一緒にお茶をしようと思って……あら?刺繍、随分と頑張っているのね!」
ティーセットが乗ったトレイを持ったクレアが、メルドラの手元を覗き込みながら感心したように目を細めている。
「王妃様ー。あたしみたいな捕虜と、しょっちゅうお茶なんかしてていいの?」
「そうね……ゼノからも、同じことを言われてるのよ?……でも、私のお茶に付き合ってくれるのは、今は、メルドラちゃんだけだから」
クレアは、そう言うと刺繍糸の散らばるテーブルの隅にトレイを置く。そして、ベッドの横にあるサイドボードへと近付く。
──ガタンッ
「──いいよ、あたしが運ぶ」
メルドラは、慣れた手つきでサイドボードを持ち上げると窓際へ運び、その上へトレイを乗せる。そして、すぐに着席するとまた刺繍を開始した。
──プスッ サー プスッ サー
メルドラが集中して針を刺すのを楽しそうに眺めながら、クレアはテキパキと紅茶の用意をすすめる。茶葉が蒸れるまで、クレアはメルドラの向かい側の椅子へと着席し、静かに本を読んで待っている。
二人とも言葉は何も交わさないが、リラックスしたとても穏やかな時間が流れていた。
「──っできた!!」
メルドラの嬉しそうな声が響き、クレアも本から目を上げる。得意気に目の前へと掲げられた布には、何回もやり直した痕跡が見て取れる「クレア」の文字があった。
「これ、王妃様にあげる!ハンカチだったけど上手じゃないから、雑巾にでもして!……あ、王妃様は掃除なんてしないか。じゃあ、食器拭き!……もしないか」
本気で悩んでいる様子のメルドラの手を取り、クレアは──嬉しいわ、と美しく微笑む。メルドラは、心臓が小さく跳ねるのを感じ、慌ててクレアの手の中にハンカチだけを残して手を引き抜く。
メルドラの行動に、やはり優しくし微笑んだクレアはハンカチの刺繍を指先でなぞる。
「──私の宝物が増えたわ。大切に使うわね。メルドラちゃん、ありがとう!」
心の籠もった感謝の言葉にメルドラは、身体がムズムズしてくる。どうにも落ち着かなくなり、ティーポットへと手を伸ばす。
「こ……これ、そろそろ飲みましょーよ!」
メルドラが照れ隠しに椅子から立ち上がり、カチャカチャと音を立ててティーカップを並べるのを、クレアは椅子に座り嬉しそうに見守っている。
──コポコポ トトトト
メルドラは最後の一滴まで静かにカップへと注ぐと、クレアへグイッと押し付けるようにして渡す。
「途中までは王妃様が淹れてくれた紅茶だし、美味しいと思う!」
「ありがとう。いただくわね」
クレアが洗練された所作で音もなくカップを持ち上げ、唇へ寄せる。メルドラは、クレアの動きを見ながら自分もカップを持ち上げる。
──カチャ
(──やっぱり、普通は音が鳴るよねー。どんだけ練習したんだろう)
気が付くと、クレアはカップから手を離してメルドラを見て微笑んでいた。その笑顔がドキリとするほど美しくて、メルドラは視線を逸らす。
「メルドラちゃん。宮廷作法を習ってみない?」
「は?それは、貴族がやることでしょ?」
「でも、メルドラちゃんは素質があると思うの!」
「いやいや!素質とかじゃなくて、階級とか血筋とか──」
クレアは、メルドラの言葉を遮るように少女の手を取る。
「習いたいなら、習えば良いのよ!」
「──だから、あたしは別に……」
「あなたくらいの年齢の子は、もっと甘えて良いのです。もっとワガママを言って良いのです」
メルドラは、驚いて本当に理解が出来ないという顔をしてクレアを見てから、口を開いた。
「ガルヴァスに帰りたいって……ここから出してって言ったらどうするの?どうせ、叶えてもくれないんでしょ?──大人はいつも口先だけで何もしてくれない」
メルドラは、ひどく落ち着いた口調で言ったが、机の上に置かれた彼女の拳はきつく握り締められている。魔力は抑え込まれているはずだが、メルドラの炎の魔力が高まっているせいか、クレアは少しだけ熱気を感じた。
「孤児をもらい受けに来た大人に『ここから連れて行って』とお願いした時もそう。ロイズ様だって、私の願いを叶えるために連れ出したわけじゃない。自分の願いを叶えるために私を連れて行っただけ。」
メルドラの諦めと悔しさの混じる瞳は、クレアを見定めているかの様に強い光を放つ。
「──王妃様だって、自分の子どもの願いを叶えなかったこと、あるでしょ?」
クレアは目を伏せ、一拍置いてから落ち着いた口調でメルドラに語り掛ける。
「あなたの周りにいた大人は、願いを叶えるだけの力と覚悟がないから、あなたの言葉を聞かなかったのね」
「どういう意味?」
「願うだけでは、叶わないのよ」
「は?」
「私はね、子どもが願いを叶えられるように、サポートしてあげるのが大人の役割だと思っているの。でもね?願いを叶えるためには、あなた自身もそれなりの努力や対価を支払わなければならない。……あながち、ロイズ様のやり方は間違っていないと思うわ。」
クレアは、メルドラの手に手を重ねると優しく撫でながら、諭すようにゆっくりと言葉を続ける。
「ただね、孤児院を出たいあなたと、力が欲しいロイズ様。これは、利害の一致といって本来は対等な関係でなければならないの。あなたは、ロイズ様の言いなりにならなくて良いのよ」
メルドラは一瞬だけ、はっ、とした表情をしたが、すぐに真剣な表情に戻り、クレアを見つめた。そして、今まで押し殺してきた願いを口にした。
「──私、本当はね?普通に生きたいの。魔力があるから一緒にいてくれる人じゃなくて、私だから一緒にいたいって思ってくれる人のために生きたい」
「分かったわ。そのためには、あなたという人物を色んな人に知ってもらう必要がある。もちろん、今のままでも十分に素敵なお嬢さんよ?でも、まずは自分の魅せ方を知るべきだわ」
「──魅せ方?」
「そう!メルドラちゃん自身が、自分の魅力をいつでも発揮できるように勉強するの。それが、さっきも言った『宮廷作法』のことよ」
クレアはすっと立ち上がると、ドレスを少し持ち上げて貴族の礼をしてみせた。少しだけ伏せられた瞼から覗く紫水晶の瞳、スラリと伸びる腕、ドレスを持ち上げたことで更に目立つ腰の細さ──それら、全てがクレアという人間を最大限美しく魅せるために計算されつくした角度だった。
「──どう?美しいでしょう?メルドラちゃんも、努力と対価を払ってみない?」
クレアがいたずらっぽく微笑み首を傾げる。その仕草もまた、チャーミングでありながら洗練された動きで、メルドラは心を奪われた。
「──王妃様。あたし、やってみたい!そんで、上手にできるようになったら、ロイズ様と対等に話がしてみたい!」
このメルドラの決意を聞いた、クレアはこの日の午後から、早速マナーの講師を黄昏の塔へと派遣したのだった。
──コンコンッ
メルドラがマナーの授業を終えたと連絡を受けたエドガーは、その足で彼女の部屋へ向かい扉を叩いていた。中からは「はーい。どうぞー」と、明るい返事が返ってくる。その許可を聞いてから、ゆっくりと扉を開いたエドガーは室内へと入る。
「あ。執着男だ」
メルドラは、窓際の椅子へと腰掛けたままエドガーを見るなり毒づくが、その表情はどこか嬉しそうに見えた。以前、ディルムントで対峙した時より穏やかで柔らかい空気を纏うようになった少女に、エドガーも警戒を緩めて話しかける。
「ここでの生活に不自由していないか?」
「この生活で不自由だなんて言ったら、王妃様をガッカリさせちゃうでしょ!あ……。捕虜である私に高待遇な生活を送らせていただき、国王陛下ならびに王妃殿下には大変感謝しております」
メルドラはそう言うと、ペコリとお辞儀をした。今日からマナーの授業が始まったばかりだというのに、目覚ましい成長だった。
(メルドラも、本当の自分を取り戻すために進み始めたんだな。今の彼女になら、これから話すことも受け止められるだろう)
エドガーは、お辞儀をした後に照れたようにそっぽを向いたメルドラへ深い青の瞳を向ける。
「ここメティスリア王国は、お前の祖国であるガルヴァス王国と戦争をすることになるだろう。現状、いつ戦争が始まってもおかしくない状況だ──私はこれから『ただのエドガー・クレイ』として、ガルヴァスへ向かう。お前の耳にも入れておく必要があると思って伝えに来た」
エドガーの心地よい声が静かに室内に響くのを、メルドラはテーブルの上にある、新しく縫い始めたばかりの刺繍布の「エ」の文字を握り締めながら、聞くのだった。




