執務服
ガルヴァスへと到着した翌日の朝、ルカはロイズの側近に与えられる個室の中にいた。壁に立て掛けられた鏡を覗くと橙色の瞳の自分がいた。
──コンコン
軽い音を立てて叩かれた扉に、視線を向けたルカは静かに返事をする。
「はい。どうぞ」
ルカの声に、静かに扉を開けて入ってきたのは、きっちりと編み込んだ黒髪を高い位置で一纏めにした、美しいピンクの瞳を持つ女性だった。彼女はルカを見た途端、その魅惑的な瞳を潤ませてルカを抱きしめる。
「ルカ……!!どうして、戻ってきたの!?貴方のお母様、ベアトリスお姉様はどうしているの!?」
「アリシア叔母様……折角、逃がしてくれたのにすみません。事情があって、戻ってきました。母様は今、エバンス領で過ごしています」
ルカに震える肩を優しく撫でられたアリシアは、抱きしめた腕を解いてルカの顔を覗き込む。
「──その瞳の色、薬を飲んだのね。でも、その方がいいわ。絶対にあなたが陛下の子どもだと、赤い瞳だということを、グレゴールに知られてはいけないわ」
「グレゴール様は、何を企んでいるのですか?」
「……ロイズを排除して、ガルヴァスを自分の物にしようとしているわ。貴方は幼い頃から、赤い瞳を隠されて過ごしてきていたから、正体がバレることはないと思うけれど──でも、くれぐれも気を付けて」
「……分かりました。ご忠告ありがとうございます──」
アリシアが、もう一度ルカを抱きしめていると、部屋の扉が強くノックされた。
「──アリシア様?この部屋へ入っていくのをお見掛けしたのですが、使用人の部屋に何の用事があるのです?」
アリシアは、その声を聞いて恐怖で目を見開いた。ちらりとルカを見ると、彼女は短く息を吐き扉へと歩み寄る。
──ガチャッ
「グレゴール様、おはようございます。昨夜、新しいロイズ付きの子が入ったと聞いたから、どんな子か見に来たのです。──グレゴール様は、いつまでこの城に滞在なさるご予定なんです?」
「滞在なさる──か。アリシア様、私は歓迎されていないようですね。でも、ロイズの事業がうまくいくかどうか、そろそろ本格的に見極めなくては……と思っているので、しばらく滞在しますよ」
グレゴールは、扉から少し顔を覗かせてルカを見ると、貼り付けたような笑顔でニコリと笑い、アリシアをルカの部屋から引っ張り出す。そして、あっという間に扉を閉めた。不穏な気配を感じたルカは静かに扉へと近付くと、耳を押し付けて外の音に神経を集中させる。
「──グレゴール様!離してください!」
「アリシア様……兄上もいなくなったことですし、そろそろ私のことを受け入れてくださっても良いのではないですか?」
「──な、何を言うのですか!?」
「貴女は現時点でまだ王妃だ。ロイズを王にして、あのアンナとかいう小娘を王妃にするくらいなら、貴女と私が婚姻を結んだ方が民も納得すると思いますよ?」
ルカは、扉の外から聞こえるグレゴールの熱を孕んだ声と、そのあり得ない内容に身震いする。
(グレゴール様は……この国と共にアリシア様が欲しいのか──!!)
──ガチャ
ルカは必死に怒りを押し殺し扉を開けると、アリシアへと声をかける。
「アリシア様、大変申し訳ございません。私は、まだ執務服をいただいていないのですが……どこに行けばもらえますか?」
「……そうだったのですね。では、案内します」
アリシアは、グレゴールに掴まれたままの手首を振り解き彼を睨み付けると、ルカについてくるよう促した。
グレゴールは、わざとルカに身体をぶつけながら歩くとアリシアの前に立つ。そして、アリシアの顔のギリギリまで自らの顔を寄せた。
「──私は、貴女さえ手に入ればロイズのことは放っておいても良いと思っているんですよ?」
それだけ言うと、グレゴールは不敵な笑みを浮かべ歩き去って行った。その場で動けなくなっているアリシアの背中に手を添えたルカは、彼女を気遣うようにして歩き出した。
針子部屋まで何も言わずに歩いてきたルカとアリシアは、扉を開けて中へ入る。中には、質の良い生地や、色とりどりの糸が所狭しと積み上げられていた。その中に机を囲んで作業をする3〜4人の若いお針子と、誰よりも素早く精密な動きでせっせと手を動かして服を縫っている老婦人が一人いた。
「おはよう、みんな。昨日、新しく入った子なのだけれど、この子に執務服を作ってほしいの」
アリシアの言葉に振り返ったお針子たちは、ルカを見て色めき立ち、何やらこそこそと話をしては、頬を赤らめている。そんな様子に溜め息をついた老婦人がルカへと歩み寄って来た。
「寸法を測るよ。ほら、しゃんと背筋を伸ばして立つんだよ」
「あ……はい!すみません!」
「ヒルダ?服が完成するまでの間でも問題なく着用できる、ちょうど良さそうな服は余っていないかしら?」
アリシアがあちこちの寸法を測られるルカを見ながら、思い付出したように声を上げた。
ヒルダと呼ばれた老婦人は、お針子の一人に指示を出し洋服がたくさん入っている棚の中から、黒の執務服を取り出させる。
「これは、この子たちが縫った執務服だよ。まだまだ練習中だから、細かい部分の出来は悪いが普通に使える」
「──あの、どうぞ!」
おどおどとしたお針子から差し出された執務服を受け取り、ルカはにこやかにお礼を言う。
お針子たちは、ルカの笑顔に──きゃあ!、と短く悲鳴に似た歓声を上げる。が、ヒルダにジロリと睨まれるとそそくさと仕事に戻って行った。
寸法を測り終えたヒルダも、自分の仕事へと戻っていく。キビキビと手を動かしながら、背後に立つルカへと声を掛ける。
「お前さん、5年前にいた使用人だろ?5年の間に随分と大きくなったね。……まぁ、この城で働く人間の体格から骨格まで覚えている私にかかれば、すぐ分かっちまうよ。新しい執務服が出来上がったら、お前の部屋に届けさせる。さぁ、アリシア様もご自分の仕事に戻ってくだされ」
アリシアとルカが驚愕の表情を浮かべている気配を感じたヒルダは、少しだけ二人を振り返って言葉を付け足した。
「……誰に言うこともないよ。安心して、自分の責任を果たしなさい」
「──ありがとうございます!よろしくお願いします!」
ルカはヒルダに深くお辞儀をすると、アリシアと共に針子部屋を後にした。
針子部屋から中庭に沿って回廊を歩いていると、正面から並んで歩いてくる人影が目に入る。それは、フェリシアを連れ立って歩くロイズだった。
「母上、おはようございます。アレクシスは、執務服を受け取ったのか?」
「……はい。後日、新しい私専用の執務服もいただく予定です」
ルカの返答を聞いたロイズは「そうか」とだけ言うと、アリシアの前へと一歩踏み出す。そして、フェリシアをエスコートしていた腕をそっと離すと、彼女の腰に手を回し直す。その行為に、わずかに眉をひそめたアリシアが厳しい口調でロイズを問いただす。
「ロイズ。あなた、アンナちゃんという婚約者がいながら、フェリシア様に身体を密着させすぎだわ。──フェリシア様、ごめんなさいね……」
アリシアがフェリシアに謝罪をしようと瞳を向けた瞬間、その瞳に怒りの炎が燃え上がった。そうかと思うと、その怒りの眼差しのままロイズの肩を強く掴み、激しく揺さぶり始めた。
「あなた!!フェリシア様に、魅了魔法を使ったわね!!??なんでそんなことをしたの!!??」
声を潜めながら、しかし怒気を含んだアリシアの声にルカも驚いてフェリシアに近付き声をかける。
「フェリシア様??私のことが分かりますか?」
「……」
「フェリシア様!?私の名を呼んでください!」
「……」
ルカは、何の反応も示さないフェリシアを見て一瞬だけ呆然としたが、アリシアを押し退けるとロイズへと掴みかかる。
「兄上!!何故、フェリシア様に魅了魔法を使用したんですか!?」
「……僕が玉座に座るためには、こうするしかないんだ。大丈夫、命に関わるような無茶はさせない」
「無茶とかの問題ではなく、フェリシア様の意思を伴わないやり方は、あまりにも非道な行いではないですか!?これでは、小鳥だったときと何も変わらないですよ!!」
「──非道な行いをしなければならないほど、この国の状況が逼迫しているんだ。小鳥の時では出来なかったことが、今ならできる。ルカ、理解してくれなくていい、ただ僕を信じてくれ」
ロイズは自分の服を握り締めているルカの手に、自らの手を添えると、そっと服から外す。そして、フェリシアに「行くぞ」と声を掛け、二人は寄り添いながら研究室の方へと歩き去った。
それを呆然として見送ったアリシアは、震える声でルカに縋り付く。
「……ロイズが使った魅了魔法は、術者にしか解けないの。あの子が解こうとしなかったら、フェリシア様の限界を超えるまで魔力を使ってしまうかもしれない……!!」




