魔力暴走の記憶③
「タイタン・ベヒモスだと⋯⋯!!あの魔獣は、この国には生息していないはずだ⋯⋯」
タイタン・ベヒモスは大岩に足が生えて動いているかのような、とてつもなく大きな巨体と岩盤のように頑丈な身体を持つ超巨獣だ。本来は山岳地帯を中心に生息しており、スライム・イーターのような中級の魔物を捕食すると言われているが、餌を求めて大移動をするという習性はないはずだった。
——この王城は森林地帯と平地の狭間にある、しかも一番近い山岳地帯は隣国との国境付近だ。
——そこから、ここまで移動してきているはずなのに、何の目撃情報も報告も届いていない⋯⋯おかしすぎる。
ゼノがその巨大な魔物の出現に愕然としていると、漆黒の森の奥から1人の兵士が飛び出してきた。
「⋯ゼノ様!!城へお逃げください!!ジョナサン殿下と共に⋯⋯早く――!!」
そう叫んだ兵士は、不自然に動きを止めたかと思うと、正面を向いてこちらへ手を伸ばしたまま、まるで闇そのものに吸い込まれるように、一瞬で森の中へと消えていった。
突如現れたタイタン・ベヒモスも、激しい地響きを起こしながら森の中で暴れ回っている。
――これは、一体なにが起こっているんだ!!??
ゼノは激しく困惑したが、迷っている暇はなかった。
「ジョナサンを一刻も早く城内へ!!そして、城全体に魔法障壁を張れ!!私は、森の中にいる生存者を助けに行く!!」
周囲に指示を飛ばしながら、ゼノの軍馬は猛スピードで漆黒の森へと駆け出していった。
「お兄様!!」
フェリシアは、父の声で恐怖を振り払い、すくむ足を奮い立たせて立ち上がった。そして、フラフラと城門へ向かって歩いてくるジョナサンとエドガーをめがけて走り寄る。
「早くっ!こちらへっ!!」
エドガーと反対側から、ジョナサンの腕の下へ身体を潜り込ませ、肩に担ぐ形で歩行を助けようとする。
――ズルリッ。
フェリシアがジョナサンの腕を掴んだ瞬間、その触れた場所の皮膚が大きくズレた。驚いて手を離し、ジョナサンの腰に手を回してもう1度その身体を支えようと近付いた瞬間、彼の身体から漂う、むせ返るような血の匂いが鼻を突く。
服もズタズタに裂け、所々溶けたように服が消失していた。服の隙間から見える酷い傷からは鮮血がとめどなく溢れていた。
――っっ!!今すぐ治癒魔法をかけないとっ!!早く医務室へ⋯⋯!!
ジョナサンは、意識が朦朧としていて、その顔は青白く焦点の定まらない瞳で、ほとんど引き摺られるようにして歩いていた。出血が多過ぎてショック状態になりかけているのか、時折、身体がビクッと痙攣している。痛みすら感じていない様子だった。
「殿下をこちらへ!!」
やっとの思いで城門をくぐった所で、騎馬隊の騎士が力強くジョナサンを馬上へと引き上げた。
――フェリシア様も、こちらへ!!
と、叫ばれたがフェリシアは「私は走れるから、お兄様を早く中へ!!」と答え、2人を乗せた騎馬が城の奥へと駆けていくのを見送る。
「フェリシア様も、早く中へお戻りください!」
エドガーの声がして、フェリシアは振り返った。
先程まで眩しい金髪だったはずが、血で赤く染まりエドガーの美しい顔に張り付いていた。ジョナサンほどではないが、こちらも今すぐ手当てが必要な状態だということは明白だった。
「あなた……頭に怪我をしているの!?」
「……地響きがした時、飛んできた石がぶつかりました」
――飛んでくる石が見えていたのなら、避けられたのでは……と、思いかけてハッとした。
エドガーは、避けなかったのではない。
避けられなかったのだ。
なぜなら、お兄様を支えていたから。
自分が怪我をすることも厭わず、ジョナサンを生かすことを何よりも優先してくれていたのだった。
全てを理解したフェリシアは、エドガーの忠誠心に胸が熱くなり視界が滲むのを感じた。
「エドガー様、貴方の忠誠心に感謝します。さぁ、貴方も城の中へ……!!」
フェリシアが手を差し出すが、エドガーはその手を握ろうとはしなかった。深い青の瞳は、フェリシアから逸らされ、今しがた脱出してきたばかりの漆黒の森を捉えている。
「国王陛下も、私の父も、仲間たちもまだあの奥にいます。私は騎士を目指す者として、伯爵家の一員として、助けられる命を諦めることはしたくないのです……!」
エドガーがそう告げた時、城の鐘が重々しく打ち鳴らされた。それは魔法障壁が展開される合図だった。
魔法障壁が展開されている間は、すべての攻撃から城を守ることが可能になるが、何人たりとも出入りが出来ない仕様になっていた。
「フェリシア様、行ってください。戻れなくなってしまいます!」
「……でもっ!」
――ビシャァァン!!
漆黒の森の奥から、粘液の塊のような物が弾丸のように飛んでくる。エドガーは、素早く反応してその塊を剣で薙ぎ払った。その視界の端に城の中央塔の上から薄いカーテンが広がるように、地面に向かって薄紫色の光が降りてくるのが見えた。
――フェリシア様を説得している時間はない!
申し訳ありませんっ!と、エドガーが短く言ったかと思うと、その掌が緑に輝く。
「――エア・クッション!!」
次の瞬間には、フェリシアの身体は吹き飛ばされていた。エドガーが、一刻も早く確実に魔法障壁の範囲内へフェリシアを入れるために、風魔法を使ったようだった。
「きゃあっ!」
吹き飛ばされて尻もちをついたフェリシアが、必死に立ち上がる頃には魔法障壁は完成しており、城門の中と外をきっちりと分け隔てていた。
――ゴゴゴゴゴ⋯⋯ズガァァァァン!!
激しい地響きと共に、タイタン・ベヒモスの周囲の木々が吹き飛び、岩や石が木の葉のように舞い上がる。遮る樹木が消え去ったことで森の中心部の様子が、少し見えるようになった。
そこには、死に物狂いで目の前の魔物に向けて剣を振るい続けている、無数の人影があった。
「……お父様ぁぁ!ガレス様ぁぁ!」
彼らは、生き残った兵士や騎士と共に無我夢中で剣を振るい、それぞれが皆の命を守ろうとしている。
しかし、やはり彼らが戦っている相手はスライムではなかった。
――スライム・イーターがこんなに……!
フェリシアは、目の前の光景に驚愕して立ち尽くす。
スライム・イーターは、スライムを捕食する大型の魔物。カエルに似ているが消化器官は背中にあり、中に取り込まれたスライムの赤い核がいくつも透けて見えている。
カエルの特徴そのままに長い舌とその脚力から生み出される高速な一撃。さらに身体を包む毒の粘液や酸性の強い消化液での遠隔攻撃も非常に厄介な魔物だった。
「城から見えた無数の赤い光は、こいつらが食べたスライムの核の色だったのね⋯⋯」
フェリシアが納得しながら状況を見守っている間にも、スライム・イーターの足元には未だに大量のスライムが溢れ返っている。いくら攻撃を加えても即座にスライムを捕食して、その傷を回復してしまうのだ。
森が少し拓けたことで、中にいる大量のスライムの一部が、捕食者から逃げるように森の入り口を目指して移動を開始した。必然的に、スライムイーターも餌を追って動き出す。
あっという間にエドガーの周りにもスライムが溢れていく。
「エドガー様!!逃げてください!!」
フェリシアが必死に叫ぶが、エドガーは振り返らず
険しい表情で森から出てくるスライムイーターを見ている。剣を握る手は、恐怖からか体力の限界か分からないが震えているようだった。
だが、少年の闘志はまだ消えていなかった。
――ギィギギィィィ!!
スライム・イーターが、スライムに囲まれているエドガーを目がけて、弾丸のようなスピードで一直線に突進してくる。
「――エア・クッション!!」
エドガーは、風魔法でスライム・イーターが突っ込んで来る軌道を少しだけ逸らし、その横腹に鋭く斬り込んだ。だが、毒の粘液が虚しく飛散しただけで、大したダメージは入っていないようだった。
代わりに飛び散った毒の粘液を浴びた、周囲のスライムたちが苦しげにのたうち回り、さらに暴れ回る。
逃げ場を求めた何匹ものスライムが魔法障壁にぶつかっては、バチンッ!と、凄まじい音を立てて弾き返されていた。
「スライムが邪魔だな……足元が不安定になる!」
――スウィープ・スラッシュ!!
エドガーが低い姿勢から放った一閃が、足元の土砂を巻き込みながら彼を中心に円を描くように拡がっていく。群がっていたスライムたちが肉飛沫をあげてまとめて弾き飛ばされたが、彼の体力の消耗は激しく、その呼吸はさらに荒くなっていった。
――グゲェェェェエ!!
スライム・イーターは咆哮すると、長い舌をエドガー目掛けて伸ばす。それを辛うじて飛び退いて回避すると、素早く剣を握り直す。そして、伸ばした舌が戻ってくるのを待ち受けて開いたままになっている魔物の大きな口に向け、すかさず剣技を叩き込む。
「エア・エッジ!!」
鋭い叫びとともにエドガーが剣を一閃させると、刃の先から放たれた真空のかまいたちが、無防備に開かれた魔物の口内へと真っ直ぐに吸い込まれていった。風の刃は、毒の粘液に守られていない口の奥を内側からざっくりと深く切り裂く。
――ギィィィィィィイイ!!!
凄まじい雄叫びと肉煙をあげ、スライム・イーターの巨体がドサリと地面に崩れ落ちた。だが、致命傷を与えたはずの魔物の目の前には、未だに大量のスライムが溢れ返っている。苦しみながらも、周囲のスライムを貪り喰らうことで、その傷を瞬時に回復し始めようとしていた。
「させるかっ!!エア・クッション!!」
エドガーは、地面に向かって風魔法を展開し、その爆風の反動で高く跳躍する。スライム・イーターの真上へと到達した瞬間、握っていた剣を魔物へ向けて思い切り投げつける。
――エア・クッション!!
その剣に向けて、さらに風魔法を展開。
爆発的な推進力を発生させる。
スライム・イーターがまさに周囲を捕食するために大きく開いた口の真上から、その牙城を貫くように突き刺さった剣は、狂暴な両顎をまるごと縫い閉じるように、スライム・イーターを地面へと深く縫い付けたのだった。
――バタンッ バタンッ
スライム・イーターは口を地面へと深く縫い付けられている為、手足を激しくバタつかせて暴れるが、その執拗な抵抗のたびに、突き刺さった剣の隙間から青い血がとめどなく流れていく。
スライムを捕食して回復できないまま、カエルの魔物はしばらく激しくのたうち回ったのち、ガクリと動かなくなった。
「⋯⋯はぁ、はぁ⋯⋯」
エドガーは、動かなくなった魔物を見下ろしながら荒い呼吸を繰り返していた。
(良かった⋯⋯エドガー様がご無事で⋯⋯。)
フェリシアは、目の前で繰り広げられたエドガーとスライム・イーターの凄絶な死闘を、息もさせぬほどの極限の緊張状態で見守っていた。
そのため、魔物が完全に動かなくなった瞬間、張りつめていた糸が切れたように強烈な脱力感に襲われ、地面へとガクリと膝を突く。
しかし、漆黒の森の奥からは、未だに鳴り止まない剣のぶつかる鈍い音、魔法の炸裂音と短い閃光、そして人間か魔物か、どちらが発しているのかも分からない雄叫びや咆哮が、絶え間なく響き続けていた。
──お父様とガレス様は……!?
フェリシアは、ハッと顔を上げ、不穏な音の嵐に導かれるように、再び森の中へと必死に視線を巡らせた。




