執務室
グレゴールが去った後の執務室で、ロイズはぼーっと小鳥を眺めていた。
小鳥の執務机の上をピョンピョン、ちょこちょこと歩き回り、羽ペンや羊皮紙を突いたり、時折、ロイズを見上げて首を傾げる仕草が、なんとも言えず可愛らしい。
「……いつまで見ても飽きないな。小鳥とは、こんなにも愛くるしい生き物だったか?」
ロイズがそっと人差し指を向けると、小鳥は興味津々に近寄ってきた。もう少しで、小鳥のフワフワの頬に触れる──と思った瞬間
──ツンツンツンッ!!
触らないで!、とでも言うように、激しく攻撃をしてくる小鳥に驚きながらも、ロイズは思わず笑ってしまう。
「はははっ!お前、さっきは僕の頬にすり寄って来たくせに。……本当に僕の心を掻き乱すのがうまいな」
ロイズが指先を引っ込めると、小鳥はまた机の上を歩き回り始める。ロイズが背後にある窓を振り返ると、月の光が差し込んでいた。
今は、ロイズが背中で遮っているが、ふいに小鳥が月の光に輝く姿を見たくなり、ロイズは小鳥を驚かせないように静かに席を立つ。
──キラキラキラッ
ロイズがいなくなったことで、執務机には月光が降り注ぐ。そこにいた小鳥は、月光を浴びて全身を輝かせながら、舞い踊るように自分の影と遊んでいる。
「──綺麗だ」
ロイズは自分が予想以上に優しい声色で呟いたことに焦り、僅かに頬を染める。
(今は小鳥だ。僕の言葉は理解できるはずがない)
──バサバサッ
ロイズの囁きを聞いたからか、気紛れかは分からないが、小鳥は光の粒を振りまくように輝きながら、ロイズの目の前の椅子の背もたれに飛んで来る。
──ピロロロロ ピューイ ピューイ
愛らしく鳴いた銀色の小鳥は、そこで羽繕いをするとやがてウトウトし始める。その小鳥の眠そうな仕草にふっ、と短く笑うとロイズは扉へと歩き出す。
「おやすみ」
ロイズは月光を浴びたまま、眠り始めた小鳥には聞こえないような小さな囁きを残して、執務室を後にした。
「うぅ……寒い……」
フェリシアが寒さで目を覚ました時、窓から見える景色は日が高く昇っていた。寒さで身体を縮こまらせると、自らの素肌に触れて驚く。
「……服はどこよっ!?」
フェリシアは困惑しながら室内を見渡す。
質素な色合いの内装に、古い型の家具が並んでおり、扉のすぐ近くには深緑のソファとよく手入れのされたテーブルが置いてある。
「え……どこ?誰かの執務室?」
何か着られる物を探して、目の前の机の引き出しをガタガタと開けていくが、羊皮紙や革張りの手帳が入っているばかりだった。最後に一番下の引き出しを開けると、中には一枚の写真が入っていた。
家族写真のようで、黒髪に赤い瞳の父親に、黒髪にピンクの瞳の母親が並んで立っている。その前には二人の男の子がいて、それぞれが父と母の瞳の色を受け継いでいた。
「幸せそうな家族ね」
ポツリと呟いた時、扉の外から足音が聞こえてくる。フェリシアは慌てて、目の前の机の陰に身を隠す。
──ガチャ バタン コツコツコツ
「……小鳥はどこにいった?」
部屋の中を何かを探すように歩き回る足音が響く。慌てたような足取りが、徐々にフェリシアが隠れている机へと近づく。
「──ちょっと、待って!!それ以上、こっちに来ないで!!お願い!!」
フェリシアは、ついに耐えられなくなり叫び声を上げる。その瞬間、足音がピタリと止まった。そして、緊張を含んだ、こちらを伺うような声が静かに響く。
「──そこに誰かいるのか?」
「えっと……メティスリア王国第一王女フェリシアです!ごめんなさい、気が付いたらここにいて──あ!こっちには、来ないでください!私、何故だか分からないのですが……ふ、服を着ていないのです」
「……人間に戻ったということか」
「──え?何ですって?……人間に戻る──あ、そうだわ!私、変化の薬を飲んだんだった」
「小鳥になっている間の記憶はあるのでしょうか?」
「えぇ!?私、小鳥になったの!?──あの変化の薬、役に立たないじゃないの!!私は、ドラゴンになりたいって思いながら飲んだのに!!あなたも酷いと思わない!?」
フェリシアは、怒りのあまり机の陰からひょっこり顔を出してしまう。机を挟んだ向こう側に立っていたロイズのピンクの瞳と、バッチリ目が合ってしまう。
「──ふぇっ……フェリシア様──!!」
ピンクの瞳を限界まで見開き、みるみる頬を染めていくロイズは、慌てて後ろを向く。それを見たフェリシアも、また慌てて身を隠した。
「あの……ロイズ様──何か着る物を貸していただけないかしら?私、何故か服を着ていなくて」
「……あ、あぁ。少しの間、お待ちいただけますか。今、シリルに持ってこさせます」
「ありがとうございます!」
ロイズが急いで机から離れ、扉へ近付いていく足音が聞こえる。
「……シリル、そこにいるか?……フェリシア様が、着られる服を持ってきてくれ。──ち、違う!お前は何を考えているんだ!変な想像はしないで、早く行け!」
──コホンッ
ロイズは咳払いしてから、フェリシアに話しかける。
「ここは、ガルヴァス城の僕の執務室です。昨日、ポルト村で変化の薬によって小鳥になったフェリシア様を保護させていただきました。そして、ルカと共にガルヴァスまでお連れいたしました」
(──ここはガルヴァス城ですって!?ポルト村には、エドガーやレナもいたはず……何故ルカと共にガルヴァスに──?)
フェリシアが考えを巡らせていると、ロイズが切実そうな声色で問いかけてくる。
「……フェリシア様には、手伝っていただきたいことがあります。これは、フェリシア様にしかできないことなのです。是非、協力をしていただきたい」
「協力できることなら、したいですが……内容にもよります。それに……」
ロイズの背後にいるフェリシアが、一切の物音を立てなくなり、不思議に思ったロイズがそっと振り返る。ロイズの目線の先には、机からひょっこり顔を出してロイズを見つめるフェリシアがいた。
机から見え隠れする白い肩に、美しい銀髪が垂れているフェリシアの姿は、生まれたての美の女神のように見える。
「それに──服がない状態では、対等な交渉ができないと思います」
「あ──そうですね。大変、失礼しました。改めて、話をする機会を設けます」
ロイズがまた顔を真っ赤にして、執務室から出ようとした時、控えめなノックの音が聞こえた。ロイズがすぐに扉を開けると、シリルが抱えきれないほどの服を持って立っていた。
「服をお持ちしました──が、ロイズ様のご趣味がわからなかったので、とりあえずロイズ様のお好きな色の物を持ってきました」
「僕の趣味はどうでもいい!早くフェリシア様の着替えを手伝ってあげなさい!」
ロイズはシリルにいつもより強めに言い放つと、足早に執務室を後にした。
フェリシアは、上質な生地で仕立てられた黒のマーメイドドレスを着用する。フェリシアの見事な身体の線を際立たせるドレスは、宝石などの過度な装飾はなく胸元だけに、フェリシアの髪を使用したかのような銀糸の繊細な刺繍が施されていた。
そのドレスを、まるで自分の持ち物だったかのように着こなしたフェリシアは、深緑のフカフカのソファへとフワリと腰掛ける。
「フェリシア様。食欲はおありでしょうか?何か、軽食をお持ちすることもできますが」
シリルが、フェリシアの髪に丁寧にブラシをかけながら、問いかける。
「そうね。少しだけ、食べる物をいただけると、助かるわ」
「承知しました。この後、ご用意いたします」
シリルは、ブラシのピンの間を抵抗なくサラサラと通り抜けていく銀髪を扱いながら、ふいに自分の肩にかかる黒髪に目線を移す。指先で黒髪を触っていると、フェリシアが振り返る気配を感じる。
「……」
じっと見上げてくる、フェリシアの澄んだ紫水晶の瞳を見ていたシリルは、脳裏にあの愛らしいふわふわの小鳥の姿が浮かんでくる──と、思った刹那、シリルの身体が勝手に動いていた。
──ぷにぷに
フェリシアの頬を無意識に撫でてしまったシリルは、慌てて手を離す。驚いたように自分を見ているフェリシアの前に、ガバッと跪くと謝罪の言葉を並べる。
「大変、申し訳ございません。小鳥だった頃のフェリシア様を思い出したら、その美しく愛らしいお顔に触れたくなってしまいました」
「あはははは!小鳥だった頃の私は、そんなに可愛らしかったのね!」
楽しそうに笑うフェリシアの声を聞いてもなお、シリルは謝罪の姿勢を取り続ける。その様子を見たフェリシアは、そっとシリルを立たせると彼女の手を取り、自分の頬へと触れさせる。
シリルがビクリと身体を強張らせ慌てて手を引こうとするが、フェリシアは楽しそうにしている。
「私にお姉様がいたら、きっとこんな風に可愛がってくれたのかもしれないわね!貴女の触れ方は、とても優しかった──きっと、小鳥の私を大切に扱ってくれていたのでしょう?」
「いえ──そんな……申し訳ございません」
「謝らなくていいのよ!小鳥の私を大切にしてくれて、ありがとう。とても、嬉しいわ!」
シリルは、胸に温かいものが広がっていくのを感じた。しばらく、フェリシアの頬の感触を堪能したシリルは、満足そうな様子で、着用しなかった洋服をまとめると執務室を後にした。
ロイズはアンナを伴い、フェリシアのいる執務室へと向かう途中、いつもは無表情のシリルが、にこにこと笑いながら服を運んでいる場面に遭遇した。
ロイズは、その幸せそうな表情に思わず声をかける。
「──シリル!何かあったのか?」
「いえ、特におかしなことはありませんでした。フェリシア様は着替えを終え、執務室でお待ちです」
「──いや、そうではなくてだな……何か、嬉しいことでもあったのだろうか?」
シリルは、はっ!としたかと思うと、瞬時にいつもの無表情に戻る。そして、ただの報告です、とでも言うようにとんでもない言葉を残していった。
「はい。フェリシア様の頬に触れさせていただき、その感触をしばらく堪能させていただきました」




