制圧
突如として出現した一人と一匹を振り返った、シリルとタイロンは、僅かな焦りを感じていた。
(おいおい。メティスリアの精霊使いは、行方知れずになったんじゃなかったのかよ!)
タイロンは、心の中で舌打ちをしながらもフェリシアを組み敷く力を弱めようとはしない。
そればかりか、レナを上から下までまじまじと見つめてから不気味に顔を歪め、舌舐めずりをする。
そんな外道などには目もくれず、シリルだけを見ているレナは静かな声で問い掛ける。
「シリル様。メティスリアとしては穏便に済ませたいですが?」
「申し訳ございません。私にも、もう後がないのです」
「そうですか。フェリシア様をこちらへ渡す気はないということで、よろしいですか?」
感情を表に出さず、お互いに言葉を重ねていくレナとシリルの態度に業を煮やしたのか、タイロンがレナに向けて声を張り上げる。
「こっちは、いつだって相手してやるぜ!早く楽しもうぜ──」
──ドシャッ!と、音がしたかと思うと、タイロンの目線の先に一本の腕が落ちてきた。
彼は、その鍛え抜かれた逞しい腕に見覚えがあった。
「⋯⋯へ?」
タイロンが情けない声を上げ、自分の身体へと視線を戻す。そこには驚愕の表情で自分を見上げる少女と、いつの間にそこへ移動したのか、少女のすぐ傍らには黒豹がいた──が、少女を拘束していたはずの自分の腕が無かった。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
タイロンは、フェリシアの上から転がり落ちると、自分の右腕の切り口を押さえたまま、砂の上をのたうち回る。彼が右へ左へのと暴れ回るたびに、砂の上へと鮮血が飛び散り、羽のような模様が出来上がっていく。
「はっ!姫さんはな、お前のような外道が気安く触れて良いお方ではないんだよ!」
ネロが吐き捨てるように言うと、自らの鋭い爪に付いたタイロンの血を、汚いものを一刻も早く取り去りたいといったような不快な表情のまま、振り落とす。
背後からは、砂の上をのたうち回っているタイロンの音が聞こえてくるが、シリルは目の前へと落ちてきたタイロンの腕を見つめたまま固まってしまう。
「⋯⋯⋯⋯」
シリルの、その様子を静観しながら、レナはもう一度問い掛ける。
「──シリル様?もう一度お伺いいたします。フェリシア様を、こちらへと渡していただけますか?」
シリルがレナへと視線を戻すが、シリルの目の前でほんの僅かな隙さえも見せず、純白のマントの女騎士は静かに立っているだけだった。
(前も後ろも塞がれている。この状況では、逃げることすらできないでしょう)
シリルは、背後にいる黒豹から発せられる、とんでもない殺気に冷や汗が止まらなかった。
「分かりました。どうぞ、フェリシア様をお連れください」
シリルは観念したように、目を閉じて答える。
そして、ガクリと砂の上に膝を付き座り込んだ。
「ご協力、感謝いたします。ネロ、フェリシア様をお願いします」
「言われなくても、もうやってるよ。ほら、姫さん。俺に掴まって立ち上がれるか?」
レナがシリルの横を通り過ぎて、フェリシアの元へと向かって行く。
シリルがタイロンへと目をやると、彼は砂の上にうずくまったまま、未だに身体をぶるぶると震わせていた。
(──あぁ、また失敗してしまった。ロイズ様に報告をしなければ。)
──カシャリ
シリルが胸ポケットから懐中時計を取り出し、唇を寄せる。そして、息を軽く吸い込んだ瞬間──懐中時計が不穏な気配を発し始めた。
(一体、何が──)
──カチンッ!!
シリルが不穏な気配を感じるのと同時に、懐中時計を握る手に衝撃が走る。かと思うと、空高く弾き飛ばされていく懐中時計が目に入った。
「──シリル様!!あなたは一体、何をしようとしているのですか!?」
レナが、自身のレイピアをシリルの首元へとピタリと当てて、険しい顔で問い詰める。
(あぁ、彼女がレイピアで懐中時計を弾き飛ばしたのですね。)
シリルは無表情のままレナを見つめると、自分がしようとしたことを伝える。
「私は、フェリシア様をガルヴァスへとお連れすることに失敗してしまったので、それをロイズ様に報告しようとしただけです」
──ちっ!!
レナはシリルの話を聞くと激しく舌打ちをしながら、咄嗟に弾き飛ばした頭上の懐中時計を見上げる。
そして、レイピアを鋭く振り抜き、懐中時計へと斬撃を飛ばす。
──パンッ!
斬撃が直撃したはずの懐中時計は、無傷のままさらに上空へと打ち上げられただけだった。
「レナ!こいつは、まずいかもしれないぜ!」
「分かっています!ネロ、フェリシア様たちを避難させられますか!?」
「俺がまとめて避難させるより、こいつらを回復させて、自分で逃げてもらった方が速そうだ!」
「私は、治癒魔法は習得していませんよ!」
レナが苛立った様子でネロへと言葉を返す。
しかし、その視線は懐中時計から逸らされてはいなかった。──知ってるよ!と言ったネロは、フェリシアの左手へと鼻先を寄せる。
「姫さん、その指輪の力を解放してくれ!」
「わ、分かったわ!」
フェリシアが両手を祈りの形に組み、指輪へと魔力を込める。フェリシアの魔力に呼応するように、指輪の中に込められたルカの治癒魔法が発動する。
──キィィィィィン
フェリシアを中心に優しい緑の風が吹き抜けていく。その緑の風が触れた場所は、あっという間に傷口が消え、切断されたはずの腕も元通りになっていく。
(あの懐中時計は、アンナ様がフェリシア様へと渡した物のはず。あんなに禍々しい危険な物だったなんて……!)
周りが優しい空気に包まれていくのとは逆に、レナは上空に禍々しい空気が集まっていくのを感じていた。
その中心にある懐中時計は、重力に逆らうようにして上空でピタリと静止していた。
──ブルルルッ
「うぅ……私は、一体……」
ルカたちの意識が戻り、それぞれがゆっくりと立ち上がる。まだハッキリとしない意識のまま、前を向いたルカの目に、フェリシアの姿が飛び込んできた。
「──フェリシア様!!」
ルカは、まだふらつく足を砂に取られながらも、無我夢中でフェリシアへと駆け寄る。それに気が付いたフェリシアもまた、瞳に涙を浮かべて両手を広げている。
──ガバッ!
「ルカ!死んでしまうかと思ったわ……!」
「フェリシア様……申し訳ございません!私の力が及ばないばかりに──!」
二人はお互いの生存を確かめるように、強く抱きしめ合う。そこへ、二頭の馬の魔物がやってきて、鼻先をそれぞれの主の肩へと乗せる。
「あなた達も元気になって良かった!」
──ヒヒーーーーン
抱擁を終えたルカが、フェリシアから身体を離した時、フェリシアの首筋の薄い傷を見つける。
そして、悲しい表情をしながらそっと指先で触れる。
「ブリーズ・ヒール」
一瞬でフェリシアの傷を消し去ったルカは、ホッとしたような表情を浮かべる。ルカの表情の移り変わりを見ていたフェリシアは、思わず笑ってしまう。
「ルカ、あなたの表情がコロコロ変わって……何を考えているかが手に取るように分かるわ!」
「えぇ!!」
ルカは顔を真っ赤にして、慌ててフェリシアへと背を向ける──と、ネロからの緊迫した指示が飛んできた。
「感動の再会は、後でやってくれ!今は、ここを離れることに専念しろ!」
──ブシューーーー!
ネロが叫んだのとほぼ同時に、懐中時計から勢いよく煙が放出され始める。その煙は、何とも言えない不快な臭いをしていた。
「この臭い……どこかで──」
フェリシアが、鼻と口を押さえながらどこで嗅いだ臭いなのか記憶を辿っていると、タイロンが苦々しい声でポツリと呟くのが聞こえた。
「これは、魔物誘引剤だ──!!」




