魔力暴走の記憶①
客間のベッドで眠るフェリシアをベッドサイドで心配そうに見つめているアンナは、ふと窓の外へと視線を動かした。
窓の向こうは深い暗闇。淡い月の光が、城の周りの森にある木々の輪郭をぼんやりと照らし出していた。
――お姉様が、初めて魔力暴走を起こしたのもこんな夜だったわね。あれは、本格的に魔法を習い始めて一年が経過した夏。私が6歳でお姉様が10歳の頃だった。
王城のすぐ裏の森に魔物の群れが生息してしまったため、臨時の討伐隊が組まれた。
その討伐隊に当時14歳のジョナサンお兄様と、その剣の師匠であり近衛騎士団長のガレス、そしてガレスの息子のエドガー様も加わっていたのだ。
討伐対象が、魔物の中でも最弱のスライムだった事もあり、正午過ぎに出発しても夕刻には討伐が完了する予定となっていた。難易度は低いが、魔物討伐なのでお兄様とエドガーの初陣も兼ねて良いだろう、ということになっていた。
「弱々のお兄様より、私が行った方が絶対に良いのに!!⋯あっという間に魔物を蹴散らして帰ってきてくださいね!」
フェリシアは、初陣式を終え城塞外郭の広場で出発の合図を待つ兄の元へ、激励をしにやってきていた。
憎まれ口を叩きながらも、頭一つ分背の高い兄の肩に掴まり、背伸びをしてその頬に無事と勝利を願うキスを送る。
「ふふふ。フェリシアは、厳しいなぁ。精一杯、頑張ってくるよ」
本格的に武術を習い始めてから一年だったが、フェリシアはジョナサンよりも確実に魔法の腕を上げていた。まだ実戦で使えるような魔法は習っていないが、特に雷魔法の扱いにおいて驚異的な才能を覗かせていた。
「フェリシア様、ジョナサン殿下は魔法では貴女様に負けるかもしれませんが、剣の腕はとても素晴らしいですよ!」
熊のように大きな体を折り曲げ、フェリシアに目線を合わせるようにして優しく話し掛けるのは、騎士団長ガレスだ。剣より斧を持たせた方が似合うのではないかというほど、大きく逞しい身体をしている。
「ガレス様!討伐から戻ったら、すぐに剣の稽古をしてくださいね!」
フェリシアは瞳を輝かせて言った後、偉大な師匠であるガレスへも祈願のキスを送る。幼い王女からの可愛らしい聖なるキスに、熊のように屈強なガレスでさえも顔面をだらしなく、とろけるような笑顔を見せていた。
「ありがとうございます。そうだ、私の息子も今日が初陣なんです。お二人とも、まだ直接顔を合わせたことはないですよね?」
――エドガー!殿下たちにご挨拶をしに、こちらへ来なさい!と、よく響く大声で、少し向こうの騎士や兵士達が集まっている場所へ声を掛ける。
「⋯父上、もっと伯爵らしい振る舞いをしてください。そんな姿をおじい様が見たら、また大変なことになりますよ」
ため息をつき、父をたしなめながら現れたのは、陽の光を吸い込むような金髪が眩しい端正な顔立ちの少年だった。ガレスの横に並ぶといささか細身に見えてしまうが、ジョナサンより背は高く、その身体には無駄なくしっかりと筋肉もついているようだった。
「相変わらず、お前は真面目だな!もう少し気楽に生きてもバチは当たらないぞ!」
ガレスは、ガハハハッ!と豪快に笑い、隣にいる息子の背中をバシンと叩いた。
叩かれた勢いで、エドガーはフェリシアの目の前へと一歩、歩み出る形になってしまった。
サラリと流れたエドガーの金の前髪の間から、深い海のような青い瞳と目が合った。
「⋯あなた、とても綺麗な顔ね」
フェリシアが興味津々な様子で、自分より背の高いエドガーの顔を下から覗き込むようにして顔を寄せる。彼女の美しい銀髪が音もなく肩から流れた瞬間、エドガーの鼻腔をフワリと花のような甘い香りが掠めた。
「――っっ!」
エドガーは緊張で身体が硬直して動けない。
そんな初々しい様子を見ていたジョナサンが見兼ねて助け舟を出す。
「ダメだよ、フェリシア。初対面の相手の顔を、そんなに間近で、まじまじと見つめてはいけないよ」
―あら、そうだったわ。ごめんなさい!とイタズラっぽく微笑み、少し距離を取るフェリシア。
「――クレイ伯爵家長男、エドガーです。お初にお目にかかれて光栄です」
気を取り直したエドガーは、背筋をスッと伸ばし非の打ち所がない礼を捧げた。
その少年の完璧な所作に、ジョナサンは満足そうに微笑み、まずは王族の代表として言葉を返す。
「丁寧な挨拶をありがとう、エドガー。僕は第一王子のジョナサン・ノアだ。今日は、お互いに初陣だね。最後まで気を抜かず、頑張ろう」
兄の言葉が途切れてすぐ、フェリシアは自信満々に兄の前へ進み出た。そして、ドレスのスカートを優雅に持ち上げて礼をする。
「私は第一王女のフェリシア・ルナよ。あなたも初陣なのね」
――あ、そうだ。
フェリシアが思い出したようにエドガーに歩み寄る。
「エドガー様、あなたにも祈願のキスを送るわ。頑張ってくださいね!」
──チュッ。
小さくてほんのり温かいフェリシアの唇が、エドガーの頬へとそっと触れて、すぐに離れていった。
――ではお兄様、私はそろそろ戻りますね。アンナと無事を祈っていますから!と、ドレスの裾を揺らしながら、小走りに城へと走り出すフェリシア。
その後ろ姿を呆然と見つめていたエドガーだったが、柔らかいフェリシアの唇が触れた頬から、ゾクゾクと全身に心地良い痺れが走っていくのを感じていた。
フェリシアの姿が完全に見えなくなる前にハッとしたエドガーは思い切り叫んだ。
「フェリシア様!!精一杯、頑張ってまいります!」
――王女様から直接、このような激励をされるなんて⋯初陣でこれ以上、光栄なことなんてきっとないだろう、とエドガーは耳まで真っ赤に染めながら喜びを噛み締めた。
――バァァァン!
それから間もなくして、城内にある子ども部屋の重厚な扉が、勢いよく内側へと開け放たれた。
「あ、お姉様!おかえりなさぁい!お兄様に、アンナの分までちゃんとお祈りのキスできました?」
歩く度にサラサラと揺れ動く美しい銀髪をなびかせながら、フェリシアが城内の子ども部屋へ戻ってきた。室内には、女の子が好むぬいぐるみや玩具がたくさん置いてあり、どれも触り心地が良く一級品だと分かる。
「アンナ、私は立派なレディーだから、もちろんしっかりとキスを贈ってきたわ!しかも、お兄様だけじゃなく三人にね!」
エッヘン!と、胸を張り得意げな様子のフェリシア。
「わぁー!三人にキスを贈るなんて、お姉様は本当に優しくて素敵です!!アンナも早く、立派なキスを贈れるようになりたいです!」
姉妹でキャッキャと楽しそうに笑い合っていると、ついに討伐隊の出発の合図が重々しく鳴り響いた。
二人が急いで窓に駆け寄ると、城塞外郭の広場に整列していた隊列がゆっくりと門の外へ進み始めているところだった。
「お姉様、ガレス様の横にいるのが、お兄様でしょうか!?⋯でも、いつもより髪の輝きが眩しいような気もします⋯」
この国の軍旗を掲げた騎馬の隣に、よく目立つ大柄のガレスが見える。そのすぐ横には、陽の光に燃えるように輝く金髪があった。
「アンナ、あの方はガレス様のご子息でエドガー様よ。さっき、私が祈願のキスをしたから、彼の髪の毛まで張り切っているみたいね!」
――あ、あちらにお兄様がいるわ!――お兄様―ー頑張ってー―!!皆さんも――お気を付けてー!
フェリシアは勢いよく部屋の窓を開けると、バルコニーへ飛び出し、大声で声援を送った。
アンナもフェリシアの後を追ってバルコニーへ出ると、控え目に手を振り、皆の無事を祈願する。
兄は、妹の声に振り返り、優しく微笑みながら大きく手を振り返している。他の兵士や騎士たちも王女たちからの声援に、手を振ったり感謝の言葉を返している。
ただ、その中で一人だけ、ガレスの横を歩く金髪の少年だけが、振り返ったまま手も振らず、ニコリともせずにフェリシアを見つめ続けていた。
(あの方⋯振り返ったのに手も振らずニコリともしないでお姉様を見つめるだけなんて、変わった方なのかしら)
アンナは不思議そうに首を傾げたが、すぐに興味をなくしフェリシアと共に兵士や騎士たちが森の奥へ姿を消すまで、無邪気に声援を送り続けた。




