月夜
シリルが身に着けている髪飾りの宝石は、闇夜の中でもボウッと浮かび上がるように淡いピンクの光を放っている。黒髪に黒い瞳のシリルは、闇夜に溶けるように渓谷の上空で浮遊していた。
そして、彼女は小さな羅針盤を無言でしばらく見つめていたが、ついに首を傾げる。
「この辺りにいるはずなのですが⋯⋯」
羅針盤の上で、フェリシアの居場所を知らせている白い光は、シリルの真下を指し示しているはずだった。しかし、そこにいるのは白と黒の馬の魔物で、仲良さそうに寄り添い休んでいるようだ。
シリルは、馬の周辺を目を凝らして観察する。反り返って迫り出した地面と、その上にある一枚岩。この組み合わせは洞穴を伴うことが非常に多いはずだ。そして、──あぁ、そういうことですか。と、シリルは納得したように頷く。
「ガイア・ブレイカーの力で、地形を変化させたのですね」
そして、音もなく馬の魔物へと下降して近付いていく。もう少しで馬たちへと手が届く距離へ来た時、黒馬がパッと首を上げた。それに続き白馬も首を上げて、シリルを見つめる。
「⋯⋯この奥に、フェリシア様がいますよね?」
シリルの問い掛けにピクリと耳を回した白馬と黒馬は、静かに立ち上がると何事もなかったように、その場から立ち去っていく。
その後ろ姿を見送り、シリルは今さっきまで魔物たちが寝ていた場所へと降り立つ。
そして、黒馬が形成したであろう岩壁へと声を掛ける。
「⋯⋯フェリシア様、少し後ろへ下がっていてください。今から壁を破壊しますので」
「⋯⋯⋯⋯」
中からの反応を待ってみたが、特に返事がなかったため──失礼します、と伝えたシリルは、岩壁に向かって黒い鋭利な刃の魔法を打ち付けた。
──ガラガラガラッ!!
粉塵と騒音を立てて岩壁が崩れ落ちていく。そして、洞穴がぽっかりと口を開けた。
月光が粉塵に反射して、キラキラと光る向こう側の暗闇の中から、僅かな音が聞こえてくる。
──カチ カチ カチ カチ
暗闇の中へと歩を進めたシリルは、そこに落ちている懐中時計を拾い上げる。そして、懐中時計へと口を寄せた。
「⋯⋯ロイズ様。聞こえておりますか?フェリシア様が懐中時計の仕掛けに気が付いたのか、西の渓谷の洞穴内に捨て置かれていました。⋯⋯私はこのまま、ポルト村へ向かってみます」
シリルはそう告げると、そのまま懐中時計を自らの胸ポケットへとしまう。
そして、ポルト村を目指して西の空へと高く上昇していった。
一方、アンナと二人でバルコニーから夜空の星を眺めていたロイズは、シリルからの報告を今まさに受け取ったところだった。
しかし、彼は焦るでも驚愕の表情を浮かべるでもなく、不敵な笑みを浮かべていた。その表情とは対照的に、アンナは不安そうな瞳でロイズの手元で光る板を見つめている。
「ロイズ様⋯⋯?もしかしてお姉様は、エドガー様に、先に捕まってしまうのではないでしょうか?」
「大丈夫さ、アンナ。エドガーは、メルドラの身柄をメティスリア城へ移送しなければならないはずだからね。その間に、フェリシア様には、こちらへ来ていただけるはずだよ」
「もしかして、その為にわざと⋯⋯メルドラさんとエドガー様が戦うように仕組んだのですか?」
(仲間を犠牲にしてまで、お姉様をこちらへ引き入れたいのね⋯⋯)
アンナは、少し怪訝な瞳でロイズの横顔を見たが、ピンクの瞳と視線が合うことはなかった。アンナの視線に気が付かないロイズは、楽しそうに微笑んでいる。
「⋯⋯それにしても、フェリシア様と衛兵の男⋯⋯就寝したふりをして、懐中時計を置いて逃げ出すとは。何も音が聞こえなくても、全く疑わなかったぞ」
ロイズは、頭上に白く輝く月を見つめてうっとりとした表情を浮かべる。そして、アンナの肩を自分の方へと抱き寄せると、高揚した気持ちのまま、その額へと口付けを落とす。
「アンナのお姉様は、なかなかに面白いことを考えるんだな。私の元へと来てくれる時が、もうすぐそこまで来ている──!!あぁ⋯⋯楽しみで仕方がないよ」
そう呟いたロイズは、アンナをギュウッと抱き締める。ロイズの腕の中で静かに息をするアンナは、ロイズの言葉に少しだけ違和感を抱いていた。
(⋯⋯私の元へ⋯⋯?私たちの元へ、の言い間違いよね?)
時を同じくして、フェリシアとルカは洞穴の更に奥、行き止まりだった壁の向こう側の空間で息を潜めていた。
ロイズの息のかかった何者かが、懐中時計を持ち去って行くのを、一枚の岩壁に隔てられた暗闇の中でじっと待っていたのだった。
一体どれくらいの時間、そうしていたのか分からないが、やがて蹄が地面を打つ音が聞こえてくる。
その音は、グングン近付いてきたかと思うと、洞穴のすぐ近くで立ち止まった──かと思うと間髪入れずに、嘶きが聞こえる。
──ヒヒーーーーンッ!
馬の嘶きに呼応するように、洞穴の奥の壁が一瞬で崩れ落ちた。
外から新鮮な涼しい外気が、一気に流れ込んでくる。そして、崩れた壁の向こうから、二頭の馬の魔物が顔を覗かせていた。
「フェリシア様、馬たちが戻ってきたので外は安全なようですね」
「そのようね」
フェリシアは、のそのそと洞穴から這い出ると、頭を擦り寄せてくる白馬に支えられながら、立ち上がる。辺りはまだ夜の帷に包まれており、柔らかな月明かりが降り注いでいた。
そして、思い切り背伸びをすると胸いっぱいに夜の澄んだ空気を吸い込んでから、ルカの方を振り返る。
「ルカの思った通り、懐中時計が私たちの居場所をロイズ様へと伝えていたのね。レナの魔力探知にも引っ掛からない道具を作り出せるなんて、ガルヴァスは恐ろしい技術力を持っているみたいね」
フェリシアの後を追うように洞穴から出てきたルカも、隣で身体を伸ばすように簡単なストレッチを始める。
「ここへ来た者が誰かは分かりませんが、その人物がポルト村へ向かうと言っていたのは事実なので⋯⋯私たちは、どうしますか?」
「そうよね⋯⋯」
フェリシアは悩んだように視線を落とした後、すぐに何か思い付いたようにパッと顔を上げる。
「今夜はここでゆっくり寝ましょう!あと、ご飯も食べましょう!」
言うが早いかポケットから、小さくなったトランクを取り出しボタンを押す。元のサイズへと戻ったトランクから保存食を取り出す。
「ルカと一緒に食べたかったの!さぁ、食べましょう!」
ルカは、フェリシアから差し出されたパウンドケーキを一切れ受け取る。そして、嬉しそうに食べ始めたフェリシアを見てから、自らの口へと運ぶ。
「──美味しい!!このケーキ、すごくしっとりしていて、果物の甘酸っぱさも絶妙だし⋯⋯ロベリートスの紅茶と一緒にいただきたくなるわね!」
紫水晶の瞳をキラキラさせながら、食べすすめるフェリシアを見てルカがフッと微笑む。
「フェリシア様、手元に水がないのですから、ゆっくり召し上がってください」
「大丈夫よ!水なんていらないほど、しっとりしているじゃない!」
「⋯⋯焼き上げているケーキなのですから、そんなに水分があったら生焼けってことになってしまうのでは?」
「⋯⋯ルカ。一国の王女の揚げ足を取ると不敬になるわよ?」
ニヤリといたずらに笑うフェリシアに、ルカは楽しそうに笑いながら答える。
「以後、気を付けたいと思います」
一先ず、追っ手の脅威から逃れた安堵から、二人は久々にリラックスした時間を過ごす。そして、軽食を食べ終えた後、ルカはフェリシアへ洞穴の奥へと入るよう促した。
「フェリシア様は、奥でお休みください。私は入口に近いこちらにおりますので」
「ルカも眠らないとダメよ?」
「この入口を全て塞いでしまうと、中の酸素が足りなくなってしまうので、少し空けておく必要があります。そうなると、安全性が確保できなくなるので、私は起きています」
フェリシアは、むむむ、と悩んだ表情で考え始めたかと思うと、黒馬へと近付いていく。そして、その鼻先を優しく撫でながらお願いをする。
「空気の通り道を残しながら、岩の壁を作ることは出来るかしら?」
黒馬は、小さく鼻を鳴らすと赤いたてがみを光らせる。
──ガガガッ
洞穴の入口の右半分だけに出現したのは、先程と変わらない一枚岩の壁だった。しかし、よく見ると上部の方には大小様々な岩が使われているようだ。
「あなたって天才なの!?」
フェリシアは黒馬の鼻先へと抱き着き、称賛を贈る。
──ブルルルッ!
黒馬は、得意げに鼻を鳴らす。フェリシアの言葉を理解した上で入口の強度も保ちつつ、空気が通れる壁を構築したのだった。
「これで、ルカも一緒に眠れるわね!さぁ、疲れを取るために早速眠りましょう!」
フェリシアは、ルカの腕を掴むと洞穴内へと引っ張っていった。
「フェリシア様⋯⋯!貴女様は奥で⋯⋯」
「良いのよ!ルカも奥で眠るの!」
「──ですから、先ほども申し上げましたように⋯⋯!!」
「⋯⋯私に口答えする気?」
「⋯⋯⋯⋯」
押し問答の末、フェリシアの威圧に負けたルカは諦めて洞穴の奥へと腰を下ろす。
「黒馬さん、左半分もお願いね!」
フェリシアの言葉をきっかけに、黒馬は左半分にも空気の通り道を残した岩壁を構築した。
そして、洞穴の外で座り込んだ黒馬の側へと白馬も腰を下ろす。白馬は黒馬の身体の上へ自らの頭を乗せると、そっと瞳を閉じた。
洞穴内では、あっという間に眠りについたフェリシアのすぐ横で、身体を硬直させたルカが横たわっている。
(うぅ⋯⋯このような夜を過ごすのは、今日で最後にしなければ⋯⋯。)
黒馬と白馬と同じように、ルカの身体へとすり寄るようにしてフェリシアが眠りについたことは、二人だけの秘密となるのだった。




