合流
「この辺なら、さすがに大丈夫かしら」
上空を浮遊する白馬の背には、自ら放った魔法「プラズマ・ウィップ」のよくしなる細い電流の鞭で、自分ごと白馬に巻き付けて固定した状態のフェリシアがいた。
「白馬さん、あなたにも少し電流の痛みを与えることになってしまって、ごめんなさいね」
フェリシアが白馬の首筋をそっと撫でると、それに応えるように、白馬はブルルルッと小さく鼻を鳴らした。
ヴェノム・ファングの死骸の近くにいると、他の魔物が誘引されてしまうかもしれない。
そこで、自力で移動をしようとしたのだが、どう頑張っても震える足と身体で安全な場所を探して回り続けるには無理があった。
そこで考え付いたのが、先ほどの方法であった。
(こんな姿をお母様が見たら、卒倒してしまうわね)
フェリシアはクスッと笑ってから、渓谷の岩壁の中腹付近に見付けた、天然の洞穴の方へと白馬を誘導する。
──ドサッ
電撃の魔法を解いた途端、フェリシアの身体は白馬の背から洞穴の地面へと転がり落ちる。
「いったぁー⋯⋯」
フェリシアは、身体をしたたかに打ち付けたが、痛みをこらえながら洞穴の中へと、四つん這いで入っていく。
──ブルルルッ
フェリシアが洞穴へ入るのを見届けた白馬は、入口付近に座り込み、前脚の上へと頭を乗せてリラックスしているようだった。
「今日は、ここで寝るしかなさそうね」
洞穴の足元は、ネズミ返しのように反り返っており、頭上には一枚岩が迫り出す形で、ちょうど天井のようになっているため、外部からの侵入も容易ではない形状をしている。
「とりあえず⋯⋯ここからなら、周りをよく見渡せるし。地上からも上空からも見えにくいと思うから、なかなか安全な場所だわ」
洞穴から見える岩柱群の影は、先程よりも濃く長くなってはいるが、空はまだ黄昏色をしていた。
(今夜は、私が発する匂いより、ヴェノム・ファングの屍臭の方が強いはず。)
一息ついたフェリシアは、ポケットから小さなトランクを取り出し、ボタンを押して元のサイズへと戻す。今のうちに少し何か口にしておこうと思い、保存食を取り出したところで、ハッと手を止めた。
「⋯⋯ルカは、大丈夫だったのかしら」
ポツリと呟いてから、今までの出来事が頭の中で鮮明に思い出される。
オズワルドの店の前で動かなくなったルカの姿、ディルムントの街から聞こえた爆発音、突然現れたシリルからの攻撃──そして、ヴェノム・ファングとの遭遇。
自分の身を守ることで精一杯だったフェリシアは、保存食を手に取った今、やっとルカのことを思い出したのだった。
(ルカが買ってくれたのに、私だけ食べるのも気が引けるわ。)
申し訳なく感じたフェリシアは、おまけでもらった紅茶クッキーの包みを開封する。口に入れながら顔を上げると、じっとこちらを見つめるつぶらな瞳と目が合った。
「──食べる?」
フェリシアは白馬の口元へと、紅茶クッキーを差し出してみたが、プイッと顔を背けられてしまった。
「あなたも、どこかでご飯を食べてきても良いわよ?私は、ここにいるから」
フェリシアの言葉を聞いた白馬は、その意味を理解した様子でスッと立ち上がると、踊るように空へと駆け上がりあっという間に姿が見えなくなった。
白馬を見送ったあと、フェリシアはのんびりとした気持ちで紅茶クッキーを運ぶ。
──サクッ サクッ
絶妙な焼き加減のクッキーは、口の中でホロホロと解けていく。甘さ控えめだが、疲れた身体を癒やすには十分だった。
(あの日、本当はお兄様とお茶をする予定だったのよね。いつまで経っても来ないばかりか、「死んだ」なんて報告されて。でも、お兄様は生きている⋯⋯早く会いたいわ。)
答えの出ない過去の事象を考え続けることに疲れたフェリシアは、着ているポンチョを脱ぐと、枕の代わりに閉じたトランクの上へと置く。そして、その上へ自らの頭を乗せて洞穴内に身体を横たえた。
「森の樹の上とはまた違った寝心地ね。でも、風に吹かれても揺れないのは良いわね⋯⋯」
城を出てから酷使していた頭も体も神経も、さすがに限界が来ていたのだろう。フェリシアが目を閉じると、次の瞬間には意識を手放していた。
その頃、ガイア・ブレイカーでポルト村を目指すルカは、赤茶けた荒野を爆走していた。凄まじく速度が速いため、認識阻害のフードは彼の後ろでバサバサと音を立てて靡くだけだった。
(エドガー様は、きっとあの赤髪の少女への対応に追われるだろうから、今のうちにフェリシア様と合流しなければ⋯⋯!)
ポルト村に行くことは分かっているが、フェリシアが乗っていた羽駆馬は空を駆けるため、一切の痕跡が残らない。
それが、ポルト村まで一気に行くべきか、周辺を探すべきか判断に悩む要因だった。
(敵がフェリシア様の痕跡を辿れないのは良いことだが、味方である私もその後を追えないことになるとは⋯⋯)
ルカは苦虫を噛み潰したような表情で、黒馬を走らせ続けた。
干からびて赤茶けた地面がひび割れた大地から、少しずつ石や岩が多い地域へと入ってきたが、黒馬は障害物を避けることなく、その強靭な蹄で粉砕し蹴散らすように進んで行く。
しかし、黒馬の背に乗っているルカにはほとんど、その衝撃は伝わってこない。むしろ普通の馬で駆けるよりも滑らかな走りに、ルカは疲労など微塵も感じていない様子だった。
(乗馬訓練の時の馬より、圧倒的に乗りやすいのがせめてもの救いだな。これなら、夜通しでも駆けられそうだ)
太陽はまだ、目の前で橙色に輝きを放ち、空を黄昏色に染めながら、黒馬とルカを見守っている。そんな太陽を背にして、こちらへと向かってくる黒い影に気が付いた。
──ヒヒーーーーン!
黒馬も何かの接近に気が付いたようで、徐々に駆ける速さを緩め、やがて完全に足を止めた。
ルカは黒い影の正体を掴もうと、手をかざし太陽の光を遮りながら目を凝らすが、まだ距離があるようではっきりとは分からなかった。
「⋯⋯左右に揺れながら踊るように、移動しているのか?」
いつでも逃げられるように、黒馬のたてがみをしっかりと握ったまま、ルカは様子を窺う。
──キラッ
向かってくる影が、太陽光を受けてほんの一瞬キラリと光ったのをルカは見逃さなかった。
「──羽駆馬か!?」
(こんな場所で出会う羽駆馬といったら、フェリシア様の乗っていた個体以外に有り得ないはず!)
期待を込めて、白馬との距離を詰めるよう黒馬へ指示を出した。二頭の馬は、まるで引かれ合うように一直線に駆けていく。そして、あっという間に至近距離へと近付いた。
「フェリシア様!!」
ルカは、白馬を視認してすぐフェリシアの名前を呼ぶが、返事はなかった。そればかりか、白馬の背には誰も乗っていなかった。
(まさか⋯⋯違う個体なのか?)
ルカが戸惑っていると、羽駆馬はルカの周りをグルグルと駆け回り始めた。
しばらく駆け回ったあとは、今、来た道を引き返すように踵を返し、少し進んだところで立ち止まると、こちらを振り返りブルルルッと、短く鼻を鳴らした。
──ブルルルッ!
白馬が鼻を鳴らすのに反応して、黒馬も鼻を鳴らす。そして、困惑する主人を無視した黒馬は、白馬の後を追うように駆け始めた。
(私の黒馬が親しげに後を追うということは、やはり、この羽駆馬はフェリシア様の?)
ルカは、まだ心に疑念が残る中それでも、この二頭の魔物を信じてみることにする。
「もう、すっかり夜になってしまったな⋯⋯」
しばらく岩石地帯を走った二頭は、月夜に照らされる渓谷へと差し掛かっていた。大小様々な岩柱が乱立し、至る所に不気味な黒い影を伸ばしている。
そんな渓谷に続く垂直の崖を、黒馬はいとも簡単に駆け下りていく。そして、白馬はその少し前をひらりと舞うように駆けていた。
渓谷の底へと到着しても、二頭は足を止めることなく駆け続ける。途中、大きな魔物の死骸があったがその横を一瞬で通り過ぎて行った。
(この白馬がフェリシア様の馬だったとして、一頭で私の元へやってくる意味は⋯⋯何かトラブルに遭って動けないのかもしれない!)
凶悪な姿の魔物の死骸を目の当たりにしたルカは、心臓が冷えるのを感じた。
「フェリシア様⋯⋯どうかご無事でいてください!!」
ルカが祈るように言葉を口にした時、二頭の馬が駆ける方向が少し変わる。崖を登るように駆けていく先に、天然の洞穴があるのが見えた。
どうやら二頭は、そこを目指しているようだった。
──ブルルルッ!
二頭が立ち止まった目の前には、鋭利な造形ばかりの渓谷の中で、ぽっかりと丸く口を開けた洞穴があった。
そして、その中には、月夜に照らされた白銀の髪を、キラキラと輝かせながら小さく丸まっている少女の姿があった。
「⋯⋯フェリシア様⋯⋯」
隠されていた至高の宝物を見付けたような、不思議な高揚感に囚われたルカだが、急いで黒馬の背から飛び降りる。そして、洞穴に恐る恐る踏み入ると、そっとフェリシアへと近付いた。
──スー スー
近付いたことで、フェリシアの穏やかな寝息が耳に入り、ルカはやっと安堵してその横へと腰を下ろした。
フェリシアの長いまつ毛が、その透き通るような白磁の肌に細く長い影を落としている。
呼吸をする度に、胸元へと落ちている白銀の髪が僅かに上下していた。
ここまでの移動の過酷さを物語るように、きっちりと編まれていたはずの髪は、少しほぐれてフェリシアの頰へとかかり、美しい顔を隠していた。
「⋯⋯⋯⋯」
ルカは胸に溢れる熱い想いのまま、そっとフェリシアの頰へと手を伸ばし、愛おしい壊れ物に触れるような手付きで、顔に掛かる髪を掬い上げる。
──チュッ
そして、その白銀の髪へと敬愛の口付けを落とす。そのままフェリシアの髪を自らの額へと当て、誓いの言葉を告げた。
「私は、もう二度と貴女様を一人にしないと誓います」
月夜が照らす洞穴の中、白銀の王女に静かに誓う黒髪のルカの姿は、闇の帝王が夜の妖精へ愛を囁いているかのように幻想的な光景だった。




