契約①
翌朝、オズワルドの店で馬呼びの笛を購入したフェリシアたちは、羽駆馬を手懐けるためにディルムントの近くの草原へとやって来ていた。
太陽の光で照らされた草花が、穏やかな風に揺られてサワサワと音を立てている。遮る物は何もない広い草原だが、今のところ魔物どころか人の気配すらしない。
──ピィィィィィッ!
フェリシアは、細長い銀色の筒へと息を吹き込む。
甲高い音が、草原を走る風に乗りどこまでも響いていく。
──ヒヒーーン
どこからか、馬の嘶く声が聞こえてきた。フェリシアとルカが辺りを見渡すが、どこにも姿は見えない。フェリシアが、もう一度笛を吹こうと口元へ添えた時、二人の頭上をサッと黒い影が通り過ぎる。
「──来てくれたのね」
頭上へと視線を向けたフェリシアは、優しく微笑んだ。そっと手を伸ばすと、アイオライトの指輪が陽の光を受けてキラリと光る。一頭の白馬が空中に浮いたまま、その指輪を不思議そうに見ながらフェリシアの手へと鼻先を近付ける。
「私と一緒に来てくれる?」
フェリシアが、白馬の鼻先を撫でながら問い掛けると、白馬は小さく嘶くとフェリシアのフードの端を咥えて脱がせようとしてくる。
(本当の姿を見せろってことね⋯⋯?)
フェリシアが抵抗せずにいると、白馬によってサラリとフードが払われる。それと同時に、輝く白銀の髪と紫水晶の瞳があらわになった。白馬は、それを確認すると自らの顔をグリグリとフェリシアの頭へと擦り付けてくる。
「私のことを認めてくれたの?ありがとう!」
白馬とフェリシアが戯れる姿は、白昼夢のように幻想的な光景だった。
「──ルカも私と一緒にこの子に乗る?」
美しい光景に目を奪われていたルカは、フェリシアから声を掛けられてハッと我に返る。
馬呼びの笛では一頭しか馬が来ておらず、二人で一頭に乗るしかないようだった。
「私も乗せてくれるかい?」
フェリシアが撫でている白馬へとルカが近寄ると、白馬はプイッとそっぽを向いてしまった。
「⋯⋯もしかしなくても、フェリシア様しか乗せる気はなさそうですね」
「そのようね⋯⋯さすがに私も、魔物を手懐けるなんて初めてだから、知らなかったわ」
フェリシアは、銀色の細長い笛をルカへと手渡す。
「かなり息を吹き込まないと音が鳴らないから、頑張って!」
「⋯⋯はい」
フェリシアから手渡された馬呼びの笛を、じっと見つめるルカ。何故か、頰が少し上気している。
(⋯⋯これ、間接キスだよな⋯⋯エドガー様にだけは、バレてはいけない。)
ルカは邪念を振り払うように頭を振ると、躊躇わず自らの唇へと笛を運び、思い切り息を吹き込んだ。
──ビィィィィィィッ!
フェリシアとは違う、少し濁った高音が辺りに響き渡る。
「⋯⋯なんか、音が違いましたよね?」
吹き切ってから音の違和感に気が付いたルカが、不安そうにフェリシアを見る。
「なんか⋯⋯濁った音だったわね」
フェリシアが苦笑いを浮かべると同時に、白馬がフェリシアの下へと頭を潜り込ませる。フェリシアが、どうしたの?、と問い掛ける間もなく彼女の身体は白馬の背へと乗せられてしまう。
「──ちょっと、どこへ行くの!?」
フェリシアが慌てて、白馬の輝く白いたてがみにしがみつくと、そのままフワリと空中へ飛び上がる。
「フェリシア様!」
ルカが白馬の後を追うと、サッと身を翻す白馬は、何故かルカから一定の距離を保ち続ける。
(この白馬は、一体何がしたいんだ?)
ルカはグッと腕まくりをして、白馬に狙いを定める。地面を軽く蹴ったはずのルカは、先ほどまでとは比べ物にならない速さで、あっという間に白馬のお尻へと飛び付く。
「捕まえました!」
「──馬に後ろから飛び付くのは危ないわ!」
フェリシアが言い切るよりも速く、白馬の後ろ足が動く──が、白馬の後脚から繰り出された蹴りは、ルカには当たらなかった。
ルカは、白馬の後脚の蹄と自分の靴底を合わせ、その脚力を利用して後ろへ、くるくると回転しながら器用に地面へと着地したのだった。
「──危なかったー……!それにしても、会ったばかりなのに、そんなに嫌われるなんて……」
ルカの頭が疑問でいっぱいになる頃、遠くから地響きのような音が近付いてくるのに気が付く。
音のする方へと視線を向けると、黒煙を上げながら一頭の黒馬がこちらへ向かって一直線に走ってくるのが見えた。
「ルカ!ガイア・ブレイカーが、こっちへ向かって来ているわ!──さっきの馬笛の音に呼ばれて来たのかもしれない!」
頭上から聞こえてくるフェリシアの声には、焦りの色が混じっている。ガイア・ブレイカーは羽駆馬よりも、少しがっしりとした体躯を持ち、その蹄やたてがみは結晶や鉱石のように硬くきらめいている。しかし気性が荒く、人に懐くことは殆どない魔物であった。
「呼ばれた……としても、人にほぼ懐かない馬だと、かなりまずい状況ですよね⋯⋯」
ルカも緊張で顔を強張らせているが、素早く背中の剣を抜き、体の前で構える。
──ドゴッドゴッドゴッ
強固な蹄が地面を蹴る度に、物凄い音を立てながら地面が掘り返されていく。掘り返された土が舞い上がった黒煙の中から、勢い良く大きな黒馬が飛び出してきた。
(あの大きさで、このスピードとは⋯⋯!)
ルカの額を冷や汗が伝って落ちていく。一度ルカを通り過ぎた黒馬は、勢いを保ったまま再び彼を目がけて反転し戻ってくる。
「──ヴェント・ソウラム!」
ルカは空気の足場を作り、空中へと駆け上がる。ふと振り返ると、衝撃の光景が目に入った。
(⋯⋯なんて、賢い馬だ!!)
黒馬は、ルカの後を追うように空気の足場を使って、こちらへと駆け登ってきていた。しかも、足場へと強固な蹄が振り下ろされる度に、バリンッと音を立てて空気の塊は粉々に砕け散っている。
さらに足場を作って空中へと逃げ惑うルカを追いながら、黒馬は結晶でできた硬いたてがみに魔力を込め始める。黒い結晶が妖しく光り、その輝きが最高潮に達した時、無数の岩石が弾丸のように放たれた。




