魔導都市ディルムント
「⋯⋯ザザッ⋯⋯セレーネ、古代語で⋯⋯ザザザザッ⋯⋯アレクシ⋯⋯ザザッ⋯⋯これからも、私を守っ⋯⋯ザザ⋯⋯」
白い光を放つ手元の板から聞こえてくる音声に、じっと耳を傾けているのは、ピンクの瞳を妖しく光らせたロイズだった。
メティスリア王国よりも遥か北に位置するガルヴァス国へと到着しても、その板を肌身離さず持ち歩き、常に監視を続けるその姿は歪んだ執着そのものだった。
「⋯⋯アンナ、このルカという男について知っていることを教えてくれないか」
アンナに与えた貴賓室のソファーへと身を預けているロイズは、何か引っ掛かることがあるのか、ふいに顔を上げる。
窓の外に見える岩山の景色の中に、見たことのない魔物を発見して興奮気味に観察をしていたアンナが、上気した頬のまま振り返った。
「⋯⋯その方なら、一週間ほど前に王城内に配属された新米衛兵です!ルカ・エバンスという名前だったかな⋯⋯黒髪に赤い瞳で、中性的な顔でした。その方のことを、お姉様が気に入って最近はよく連れ歩いていました!」
「黒髪に赤い瞳⋯⋯ルカ・エバンス⋯⋯」
ピンクの瞳を揺らしながら少し考えたロイズは、部屋の壁沿いに直立不動で待機していた側近を呼ぶ。
「シリル。ルカ・エバンスという男が気になる。情報を集めてくれ」
「かしこまりました」
眉一つ動かさず了承すると、シリルは貴賓室の扉を素早く開き、何の迷いもなく廊下の右へと一歩踏み出す。
「シリル、階下へ行く階段は左手にあるからな」
「⋯⋯ありがとうございます」
ロイズの言葉にピタリと動きを止めたシリルは、表情一つ変えずに身体を反転させ、感謝を述べると足早に去っていった。
「⋯⋯さて、フェリシア様たちは、そろそろディルムントへ到着する。私からの贈り物を手にしてくれる時が待ち遠しいよ」
「お姉様への贈り物って、何をご用意したのですか?」
とても楽しそうな表情を浮かべるロイズの隣へ座ったアンナは、興味津々で尋ねた。
「叔父上からもらった変化の薬に、僕なりのちょっとした仕掛けを付けたものを⋯⋯ね」
「変化の薬、私も使ってみたいです!!ロイズ様は、我々には考えつかないような仕掛けや仕組みを、ご自分で作り上げてしまうから、本当にすごいですっ!!」
アンナは黄色い歓声を上げて、小さく拍手をする。その反応に気を良くしたロイズは、アンナを自らの胸へと抱き寄せた。
「アンナも、フェリシア様の部屋の絶妙な位置へと、あの額縁を設置してくれたこと、感謝するよ」
優しく頭を撫でられたアンナは、子猫のようにロイズの胸へと頬を擦り寄せ、嬉しそうに目を細めた。
「⋯⋯あぁ、あと謁見の間に飾ってあったジョナサン殿下の肖像画の額縁を、仕掛け付きの物へとすり替えてくれたのも、アンナだったな。働き者の婚約者がいて、私は本当に幸せだよ」
「あの時は、すぐにエドガー様が仕掛けに気が付いて、狂ったように破壊してしまいましたけど⋯⋯」
申し訳なさそうな表情のアンナへ、ロイズが蕩けるような甘い笑顔を向けた。その笑顔に萎縮した気持ちを溶かされたアンナは、小さな身体でロイズに抱き着きその喜びを全身で表現した。
「お姉様の真の価値に気が付かない無能な奴等の手から、お姉様を救い出すためならアンナは何だって出来ますっ!!」
「そうか。なんて頼もしい言葉だろう。フェリシア様をこの国へお連れするその時まで、よろしく頼むよ」
ロイズとアンナは、しばらくそのままの形で抱きしめ合うのだった。しかし、ロイズの冷たい視線は、アンナの頭越しに彼の手元の板へと注がれている。
ピンクの瞳が、全く目の前の少女へと向けられていないことに、アンナは気が付いていなかった。
──ヒヒーンッ!!
馬のいななきと共に、少しの衝撃があってから馬車が完全に停止した。荷台に乗っているフェリシアとルカは、注意深く周りの音を聞き、気配を探る。
「お二人さん、ディルムントへ到着したよ。ここは私の店なんだが、中でゆっくり休んで行ったらどうかい?」
後ろの幕がそっと開き、気の良さそうな丸顔が覗く。幕の向こう側では、たくさんの人たちが行き来しているのが見えた。
「ありがとうございます!そうさせていただきます!」
そう答えて外へ飛び出そうとするフェリシアを、慌ててルカが制止した。
「セレーネ、危ないから私が先に降りるよ。君は後ろからおいで」
ヒラリと荷台から地面へと降り立ったルカが、素早く周りに視線を走らせる。食べ物、洋服、宝飾品、食器類など、色々な露店が通りに沿って並んでいる。馬車は露店が途切れた角に停められており、目の前には「魔道具店」と書かれた看板が掲げられた、立派な建物があった。
(すぐ側に、エドガー様がいるということはなさそうだな)
「セレーネ、こちらへ」
ルカは、荷台のフェリシアへ両手を差し出す。フェリシアがそっと近寄ると、グイッと抱き締められる形で馬車から降ろされた。
「ありがとう」
フェリシアが、柔らかく微笑む。それを見たルカは嬉しそうに笑った。
「仲睦まじいんだな。さぁ、中へお入り」
魔道具店の中は、所狭しと商品が陳列されていた。
大きい物から小さい物、高価な物から安価な物とありとあらゆる種類の魔道具があった。
お客さんも何人かいたが、他の人を気にする様子はなく、真剣な眼差しで商品を手に取っている。
店舗の奥は商談スペース、上階が居住スペースとなっているようで、フェリシアとルカは商談スペースへと案内された。
──コトッ コトッ
軽い音を立てて、フェリシアとルカの前にカップが置かれる。カップの中からは甘い匂いが立ち昇っている。
「あの森で一晩中過ごしたんだろう?疲れている時には私の店で人気の、このロベリートスの実の紅茶が一番だよ。さぁ、どうぞ」
ロベリートスは小振りの真っ赤な果実で、その実は柔らかく、噛むとジュワッと甘い汁が口いっぱいに広がる。最近は、品種改良が進められており、白い実のロベリートスも出回っているようだが、どちらも魔力回復効果が高いことが知られていた。
「お気遣い、ありがとうございます!私、喉がカラカラだったんです。早速、いただきます!」
ルカが、カップを持ち上げて少しだけ紅茶を口に含む。ゆっくりと口の中でその甘さを堪能した後、ゴクリと飲み込む。
「──美味しい!!セレーネ、美味しいから君も飲んでごらん!」
ルカに何の異常も起きないことを確認したフェリシアは、流れるような所作でカップを口へと運ぶ。
──ゴクッ
「わぁ!本当に美味しい!ほんのり香るロベリートスの甘い匂いも良いわね!今までこんなに美味しい紅茶があるなんて、知らずに生きてきたことが悔やまれるくらいだわ!」
フェリシアの発言に、店主はとても気を良くしたようで、はっはっはっ、と声を上げて笑った。
ひとしきり笑った後で、店主が口を開く。
「ところで、君たちはこの街へは何をしに来たんだい?見たところ⋯⋯平民ではないだろう?」
店主の言葉に、二人はピタリと動きを止める。
(まさか、身分がバレてしまったのか!?)
ルカは、いつでも抜刀できるように、そっと工具袋へと偽装している布の紐に手を伸ばす。その僅かな動きにも気が付いた店主が、ルカに優しい瞳を向けて言葉をかける。
「警戒しなくて大丈夫だ。この街には、色んな訳アリの人がやってくるからな。わしが想像するに⋯⋯どこかの貴族のお嬢様が、駆け落ちかなんかしたってところだろう?」
全部お見通しだ、とでも言うような店主の全てを包み込む笑顔の頷きに、二人はポカーンと口を開けるしかなかった。




