特別な呼び方
「明るい時間とはいえ、やはり森の中に長居はできないわね。ディルムントへ行きましょう。」
フェリシアは、目の前に転がる甲虫の魔物から目を逸らした。フードを深く被り直し、森の出口へと歩き始める。
「あ、フェリシア様!待ってください!」
ルカはフェリシアを追いかけながら、今しがた使用した剣に布を巻き付けて工具袋に偽装してから──よっ!という掛け声と共に背中へ背負う。
「それにしても、ルカは魔物との戦いに、随分と慣れているみたいで驚いたわ」
フードからこちらを覗く紫水晶の瞳が、好奇心で輝いている。ルカは照れ笑いをしながら、自分もキャスケット帽を深く被り直した。
「私の実家の周りは、人と出会うよりも魔物と出会う確率の方が高い場所でしたから。幼い頃より、戦闘術は叩き込まれてきました」
「貴方のお師匠様はどんな人なの!?」
「⋯⋯父です。とても強い人でしたが、家の方針に従えない兄によって殺されてしまいました」
ルカは努めて淡々とした声で語ったが、その横顔には隠しきれない悔しさが滲んでいる。
「兄が家督を継いだ今、腹違いの私と母は、逃げるように母の故郷へと移り住みました」
ルカの衝撃の告白に──そうだったのね。とフェリシアは言葉を失い、自身の境遇を重ねるように俯く。
「だから私は、いつか兄から家督を奪い返し、父の遺志を継ぎたいのです!まぁ、いつになるかは分かりませんが⋯。」
少し寂し気に笑ってみせるルカと共に、森を抜けたフェリシアは平地を進む。
人の往来が激しいからか、森の出口からディルムントまで、くっきりと轍が刻まれた街道が伸びてていた。隠れながら進めるような場所もないので、そのまま轍に沿ってディルムントを目指すことにした。
「もし、ディルムントでエドガー様とバッタリ出会ったら、どうしますか?」
「⋯⋯今は、まだ会いたくないから、逃げるわ」
「では、バッタリと会わないように細心の注意を払わないとダメですね。エドガー様は、フェリシア様のお顔はもちろんのこと、きっと私の顔も覚えていると思いますので」
(なんなら、フェリシア様の動きの癖とか、匂いまでも覚えていそうな気さえするけど⋯。)
──ガラガラガラッ
背後の森の中から馬車の音が近付いてくることに気が付く。どうやら行商人の馬車のようで、荷台からは積み荷が揺れて軽くぶつかる音が聞こえてくる。
二人は道の端へ避けて、馬車が通り過ぎるのを待つ──が、その馬車は二人の前まで来ると、ゆっくり止まる。馬車の側面には、隣国ガルヴァスの紋章が大きく描かれていた。
(そういえば、ガルヴァスとディルムントは、魔晶石の取り引きが活発だったわね。)
フェリシアがそんな事を思いながら、紋章を眺めていると、御者台にいる恰幅のいい中年の男が二人に声を掛けた。
「そこの森でラグバドンが死んでいたんだ!もしかしたら、あの死体を食べに、他の魔物が集まるかもしれない。お前さんたちもディルムントへ急いだ方がいいぞ!」
そのセリフから察するに、人の良い商人のようだ。ルカとフェリシアは顔を見合わせて、頷き合う。
──次の瞬間、フェリシアが突然その場でフラリと地面へ倒れ込んだ。
一瞬だけ見えたフードの奥の瞳に『合わせなさい』と書かれているのを察したルカは、慌ててその身体を気遣うように駆け寄る。
「大丈夫かい!?一晩、あの森で息を殺して過ごしたから、疲れてしまったんだね?」
「⋯⋯いいえ、大丈夫よ。あと一時間も歩けば、ディルムントへ辿り着けるから、頑張るわ」
「いや!か弱い君にそんな事はさせられないよ!さぁ、私の背中へ乗って!」
まさかこの二人が大芝居を打っているとは、微塵も思わない商人の男は、二人のやり取りを純朴な心で見ていた。そして、悲痛な表情を浮かべながら声を掛けてきた。
「荷台は荷物でいっぱいだが⋯⋯それでも、二人なら乗れるだろう。乗っていくかい?」
「お言葉に甘えさせていただきます!!」
フェリシアが食い気味に答える。そして、言うが早いか、フェリシアとルカはさっさと馬車の荷台へと乗り込み、幕を閉じた。
「⋯⋯よほど早く休みたかったんだな」
あまりにも素早い二人の行動に、商人は唖然としながらも、──私もモタモタしていたら魔物の餌になってしまう、と呟きながら慌てて馬車を出発させた。
──ガタガタッ ガタンッ
馬車の荷台の中は、想像以上に木箱や麻袋で溢れていた。それらを少しずつ移動させて出来た僅かなスペースに、フェリシアとルカは肩を擦り合わせて座っていた。
「ねぇ、ルカ。これからは、私のことを『シア』と呼んでくれない?」
「王族の方を⋯⋯今は一介の衛兵にすぎない私が、愛称で呼ぶのは、ふ⋯⋯不敬罪に当たります!!」
ルカは目を丸くしたかと思うと、顔を青ざめながら激しく首を横に振る。何が何でもフェリシアを愛称で呼ぶことを避けたいようだった。
(そんな呼び方をしたことが、エドガー様にバレたら⋯⋯嫉妬で八つ裂きにされてしまう!!)
それもそのはず。「シア」という愛称は、とても親密な相手にのみ許される特別な呼び方だった。
「でも、フェリシアと呼んでいたら、身元がバレてしまう可能性が高くなるし⋯⋯じゃあ、私に新しい名前を付けて?それなら、不敬でも何でもないでしょう!?」
天才的な閃きだわ!と、自画自賛するフェリシアはさらに言葉を続けた。
「ルカにも、新しい名前を考えるわね!」
そう言ったフェリシアは、すぐに思案顔になりブツブツと名前を考え始めた。彼女が上を向いたり、下を向いたりする度に、三つ編みの銀髪がサラリと揺れる。
その様子をじっと見つめていたルカが、ポツリと呟いた。
「⋯⋯セレーネ。古代語で月の女神という意味です」
そう言ってしまってから、ルカは自分がフェリシアに対して特別な気持ちを抱き始めていることに気が付く。そして、その気持ちが伝わってしまいそうな緊張から、慌ててフェリシアから視線を逸らした。
「月の女神!すごく素敵ね!気に入ったわ!」
フェリシアの嬉しそうな表情に、ホッと胸を撫で下ろすルカ。そして、間髪入れずにフェリシアがルカの偽名を提案した。
「アレクシスにしましょう!古代語で守る者、という意味よ!これからも、私をしっかり守ってね!」
「はい!この命に代えても、必ずお守りすることを誓います!」
フェリシアから授けられた新たな名前は、ルカの胸をほんのり温かくした。それと同時に、二人だけの秘密が出来たという事実に、ルカは胸の辺りがむず痒くなるのを感じた。




