決意
――どうしてこんな事になってしまったんだろう。あんなにも楽しくて幸せな日々を過ごしていたはずなのに。
「フェリシア⋯こんな所にいた。お母様が探しているよ?」
記憶の中のジョナサンは、まだあどけなさが残るがフェリシアとよく似た美しい顔をしていた。温和な性格といつも笑顔を絶やさない姿が相まって、使用人たちからは天使と呼ばれていた。
「いやよ!私は戻らない!私は、ダンスや勉強より、お兄様と同じ剣や魔法が習いたいの!」
庭の一番端にあるオリーブの木の根元に裸足のまま足を投げ出して座り込み、プイッとそっぽを向いているのは幼いフェリシア。横には、まだ比較的新しいダンスシューズが転がっている。
風が吹く度に柔らかく揺れる美しい銀髪は、まだ肩までしか伸びていないが、それでも太陽の光を淡く反射していた。
何度呼びかけても、腕を組んだままジョナサンの方をチラリとも見ようともしない。
「フェリシアは、この国の人たちのことは好きかい?」
「⋯なんで、そんな事を聞くのよ。嫌いなわけないじゃない」
『王族とは常に民のこと愛し 守り 慈しむもの』と小さい頃から耳にタコができるほど、繰り返し教え込まれている。フェリシアはその教えを義務感から大切にしているわけではない。民があってこそ自分たちの生活がある事も、民のために自分たちにしか出来ないことがある事も理解している。
「僕は戦争になれば、剣を取り魔法を使って民を守らなければならない。なにせ長男だからね、この国を守るには戦うしかないんだ」
ジョナサンはそう言いながら、青い空の向こう側を見ているような遠い目を浮かべた。
フェリシアの方から、ため息交じりの声が聞こえてくる。
「⋯⋯私だって、戦えるわ。それに、私の方がお兄様より強いもの」
「あははっ。それは言わないでよ」
ジョナサンが朗らかに笑う。『なかなか酷いことを言うね』と、ひとしきり笑ってからフェリシアの横に腰を下ろす。
「フェリシアやアンナは、戦わなくても国を平和に導く方法が使えるんだよ」
ジョナサンの落ち着いた声の合間に、オリーブの葉が風に揺れてサワサワと心地良い音がする。
「君たちが他国の王子と婚姻を結べば、国同士が結びつくことになるだろう?誰も傷つかずに、国や民を守ることに繋がるんだ」
「⋯⋯好きでもない人と結婚したくない。それに、結婚するだけならダンスも勉強も必要ないわ」
ジョナサンの方を勢いよく振り返ったフェリシアの意志の強い紫水晶の瞳がキラリと光る。へそを曲げる妹に、ジョナサンは困ったように、けれど愛おしそうに微笑んだ。
「違うよ、フェリシア。婚姻を結んだ後、君は一人で他国の宮廷へと向かうことになる。そこは、剣も魔法も使えないもう一つの戦場なんだ。ダンスは、敵の油断を誘い、味方を見極めるためのステップ。教養は、他国の冷酷な貴族たちや貶めようとしてくる人物から自分の身を守る為にも必要な見えない鎧なんだよ。だからこそ、僕たちは学ばなければならないんだ」
「⋯⋯ダンスと勉強をすれば、子どもは産まなくていいの?」
「⋯⋯え?」
「お母様がいつも言っているわ。『結婚したら子どもを産みなさい。』って。お母様はダンスと勉強が苦手だから子どもを3人も産んだの?」
ダンスや勉強の時間には見せたことのないような真剣なフェリシアの表情とその問い掛けに、ジョナサンは苦笑いを浮かべた。
「⋯⋯フェリシアの質問は、いつも僕の想像の斜め上をいくから驚かされるよ。国を繋げていくためにはね、後継者が必要なんだ。だから、子どもはいた方がいいと思うよ」
ジョナサンは落ちていた小枝を手に取ると、地面に図を描きながらゆっくりと説明を始めた。
「二つの国の間に産まれた子どもが、国同士の結び付きを強くするんだ。そして、その子ども達が大きくなったら、また別の国との縁を結んでいく。そうやって、結び付きを繰り返して、いつか全部の国が一つの家族になれたら素敵でしょ?」
――あと、お母様は要領が悪いところがあるけど、努力は惜しまない人だよ、とジョナサンは微笑みながら付け加える。
「⋯⋯なんとなく、分かったわ」
フェリシアは、地面に描かれた図をまじまじと見つめ納得したように頷く。
「⋯⋯フェリシアは、剣や魔法で戦って民を守りたいの?」
「絶対に戦いたいってわけではないの。ただお兄様だけ、いつも剣や魔法の練習をして怪我をしているじゃない?⋯お兄様が頑張ることは、私も全部一緒に頑張りたいだけなのっ!」
またフンスッとそっぽを向いてしまうフェリシア。
よく見ると、その可愛い耳が真っ赤に染まっている。
「ふふ。フェリシアは優しいね。分かった。僕も一緒にお母様とお師匠様に頼んであげるよ。⋯なにせ、君は僕よりも剣や魔法の素質がありそうだからね」
ポンポンと頭を撫でられ、『弱々のお兄様なんか、あっという間に追い越してやるんだから』と、憎まれ口を叩くのは、フェリシアの照れ隠しだということが分かっているジョナサンは、愛おしそうに目を細めてその美しい銀髪をそっと撫でるのだった。
――確かこの後、お兄様と私の懇願に負けたお母様が、魔法の講師を雇って、当時の騎士団長だったエドガーのお父様に剣の指南をお願いしてくれたのだ。
フェリシアは懐かしい思い出に、バルコニーから見えるオリーブの木を見つめた。
「⋯⋯お兄様、私はあなたの敵を取りたい。あんなにも優しくて国を思っていたお兄様を奪った犯人が憎くて仕方がないの」
スッキリしない心のまま、空気が肌寒くなってきた事に気が付きフェリシアはティーテーブルから席を立つ。
――コンコン
規則正しい重めのノック音が聞こえた。
それに続き扉の前にいる兵士の声がする。
「フェリシア様、エドガー様がお見えになりました」
その名前に、全身の血がゾクリと粟立つのを感じる。
――兄を殺したかもしれない相手
――私を殺すかもしれない相手
――そして、愛しい私の婚約者
フェリシアは、テーブルの上で横倒しになっても、奇跡的に溢れずにカップの底に留まっていた一口の紅茶を流し込む。
ゴクリ、と切迫した音と一緒に、紅茶が喉を滑り落ちていく。
そして、覚悟を決めたように背筋を伸ばしてバルコニーから室内へ戻る。
――ほんの少しでもいいわ。この殺人を紐解く鍵が見つかるなら多少の危険は多目に見るわ!
「⋯⋯中へ通して」
凛としたフェリシアの声が静かに室内に響き渡った。




