消えた命
「……お兄様が、毒殺されたですって?」
その声を発した少女——第一王女フェリシアの美貌は、まさにメティスリア王国の至宝そのものだった。透けるような白磁の肌と、月光を溶かしたような艶やかな銀髪は、王族としての気品を纏っている。
そして何より、見る者を惹きつけて離さないのは、その両眸だ。
最高純度の魔力を秘めた、深く澄んだ紫水晶の瞳。普段はいたずらっぽく輝くその美しい瞳が、今は驚愕と恐怖に大きく見開かれ、小刻みに揺れていた。
「アンナ、一体あなたは何を言っているの?」
豪華絢爛な装飾が施された王城の一室。
バルコニーでは、穏やかな春の陽光を浴びながら、優雅なティータイムを過ごしているはずだった。
しかし、突然部屋に飛び込んできた妹アンナの発言によって、その場の空気は一気に凍りついていた。
「私も、まだはっきりとは聞かされていないのだけれど……さっき、執事たちがそんなことを言って慌てているのを見たの……っ!」
完璧な美を体現したような姉のフェリシアには及ばないものの、アンナもまた、誰もが振り返るほどの美少女だった。
少し淡い紫水晶の瞳に、庇護欲をそそる小柄な体躯。
行動派で活発な姉とは対照的に、彼女は触れれば折れてしまいそうな、可憐な愛らしさに満ちている。
アンナはまるで恐怖に怯える子猫のように、涙目でフェリシアの腕にしがみついていた。
「アンナ、落ち着いて。お兄様が殺されたなんて、そんなの嘘だわ。この国のどこにも、お兄様を殺す理由がないじゃない。私たち姉妹だって、自ら他家へ嫁ぐことを決めたばかりなのよ?」
——また、あなたの早とちりじゃないの?と言うために開いた唇は、アンナの青い顔を見て閉じられる。
(⋯アンナがこんな表情をするなんて、まさか本当にお兄様が?—嘘でしょ?)
白いレースのテーブルクロスが掛けられたティーテーブルの上、兄ジョナサンがこの世からいなくなったという現実を拒絶するように、固く握りしめられたフェリシアの拳が小刻みに震えていた。
フェリシアが、真実を確かめる為に今すぐにでも行動を起こしたい衝動を必死に抑え込んでいると、部屋の扉が勢いよく開いた。
「フェリシア!!⋯アンナ様も、こちらにいらっしゃいましたか」
慌てて入ってきたのは、兄ジョナサン直属の近衛騎士団長のエドガーだった。
「⋯⋯ジョナサン殿下が亡くなりました。現在、死因を調査中です。詳しいことが判明するまで、お二方を含め、王と王妃の警備も強化いたします」
サラリとした金色の前髪の隙間から、深い海のような青い瞳で姉妹を捉える。
落ち着いて告げられた言葉とは裏腹に、その端正な顔には焦りの表情が浮かんでいる。瞳はわずかに揺れ動いて、押し殺すような怒りの色が混じっていた。
「フェリシア様もアンナ様も、この件の調査が完了するまでは、なるべくお一人でお過ごしください。犯人が誰なのか、首謀者すら判明していない現状での不特定多数との接触は⋯⋯例え血縁者同士でも危険ですのでお控えくださると助かります。もし、誰かと接触する場合は、騎士団員を必ず同行させてください。」
姉妹は一言も発せず、エドガーの言葉にただ耳を傾けていた。
——エドガーの言い方だと、まるで血縁者の中に疑わしい人物がいるみたいじゃない!
フェリシアは、その反発したい気持ちを強く宿した瞳をエドガーに向けた。
しかし、そんなフェリシアの視線に気付かないようにしているのか、彼は淡々と言葉を重ねていく。
「フェリシア様、私は部下に護衛配置を指示してまいります。私が戻るまでは、扉の外に兵士を置いていきますのでご安心を。⋯アンナ様も、どうぞ自室へお戻りください。」
エドガーが姉妹に一礼して踵を返すほんの一瞬、フェリシアを気遣うような心配に満ちた青い瞳と目が合った。しかし、フェリシアが何かを問いかける前に彼はすぐに視線を逸らし、足早に部屋を後にしていった。
その後ろ姿が見えなくなった扉を、フェリシアはただ、呆然と眺めていた。
(──お兄様は、本当に死んでしまったんだ。)
近衛騎士団長であり、フェリシアの婚約者でもあるエドガーからの冷酷な報告。
それは、今しがた実の妹から聞かされた恐ろしい内容が、紛れもない現実であると認めざるを得ないものだった。
なぜ、どうして、と疑問ばかりが頭をかけ巡るフェリシアの耳に、アンナの鈴を転がすような声が聞こえてきた。
「……お姉様、驚かないで聞いてね?」
アンナは王家の証である美しい紫水晶の瞳に涙を湛え、縋るような上目遣いでフェリシアを見つめた。
そして、周囲の壁に耳があることを恐れるように、ぐっと声を潜める。
「実は……エドガー様が犯人じゃないかって、みんな噂しているわ。お姉様と婚約した彼なら、ジョナサン殿下がいなくなれば、この国を自分のものにできるって……ここまで来る間にも使用人たちが囁いているのを何度も聞いたわ。」
「え——」
頭を鈍器で殴られたような激しい衝撃が、フェリシアを襲った。思考が真っ白に染まり、目の前がぐにゃりと歪む。
――エドガーが、お兄様を?
――そんなはずはない。絶対に、あり得ない。
激しく否定したいのに、喉が完全に張り付いて声が出ない。フェリシアはただ、小さく形の良い唇を、金魚のようにハクハクと動かすことしかできなかった。
そんなフェリシアの動揺を見つめながら、アンナはそっと、諭すように言葉を続けた。
「お姉様……何か、思い当たることはない?」
(——思い当たること? ⋯⋯そんなこと、あるわけ……。)
アンナの言葉に弾かれるようにして、フェリシアは頭の中で必死に記憶の糸を辿る。
絶対にあり得ない。エドガーがお兄様を殺す動機なんて、どこを探しても見つかるはずが——。
(……あ)
その時。フェリシアの脳裏に、ある一つの狂気的な光景が鮮烈に蘇った。
それは数日前の夜、誰もいないはずの玉座の間を通りかかった時のことだ。
半開きになった扉の隙間から見えたのは、月明かりに照らされたエドガーの背中だった。いつも冷静沈着な彼が、その時はひどく荒い息を吐き出していた。
その視線の先にあるのは、次期国王である兄ジョナサンの巨大な肖像画だった。エドガーはギラリと鈍く光る白刃を抜き放つと、あろうことか、兄の顔めがけて容赦なく剣を突き立てたのだ。
一度ではない。何度も、何度も、執拗なまでに。
美しい金の額縁がメリメリと音を立てて砕け、キャンバスがズタズタに引き裂かれていく。エドガーは自身の金髪が乱れるのも構わず一心不乱に剣を振り下ろす。激しく揺れる彼の髪と、飛び散る小さな金の破片が月明かりに照らされ、キラキラと眩い輝きを放つ。
フェリシアはその幻想的で異常な光景を、ただ金縛りにあったように見つめるしかできなかった。
その時のエドガーの横顔は、お兄様への激しい憎悪を剥き出しにしているかのように、恐ろしく冷徹に見えた。
ガタンッ!
ズタズタに破壊された額縁が、ついに壁から落ちた。その大きな音でハッと金縛りから解けたフェリシアが、恐怖のあまり慌ててその場から逃げ出した。
——あの夜の記憶。
(あれは、お兄様への呪詛か、それとも——王位への歪んだ執着だったの……!?)
一抹の不安が、胸を埋め尽くさんばかりの勢いで溢れてくる。フェリシアはそれを必死に抑え込もうと、震える唇を開いた。
「アンナ……た、たとえエドガーがお兄様を殺したとしても、王位継承権は私に移行するのよ。私の婚約者だからといって、エドガーが王になれるわけではないわ!」
震える声で、あの夜の恐ろしい記憶を脳裏から必死に振り払うように捲し立てる。
違う、あのエドガーがそんなことをするはずがない。そう自分に言い聞かせるように、言葉を続けた。
「それに、私たちは幼い頃からお兄様を王として支えていこうって誓い合って……エドガーだって、その誓いを守るために近衛騎士団の団長にまで登り詰めたのよ!? なのに、そんな彼が裏切るなんて、絶対にあり得ないわ!」
半分泣き出しそうな顔で、フェリシアは必死に胸の中の迷いを払拭しようとした。エドガーへの信頼と、偶然目撃してしまった狂気の光景。二つの感情が胸の中で激しくぶつかり合い、息がうまく吸えなくなっていた。
そんな姉の必死な訴えを静かに聞きながら、アンナはさらに強い力でフェリシアの腕をきつく握りしめた。
その小さな手は、恐怖で小刻みに震えている。
「お姉様、お願いだから目を覚まして……っ! あの男は、私たちが思っているような高潔な騎士なんかじゃないわ!」
アンナの瞳から、ボロボロと大粒の涙が溢れ出た。
それは心からの恐怖と、大切な姉まで失いたくないという必死の訴えだった。
「エドガー様はお姉様を生かしておく気なんてないのよ……! お姉様は正義感の強い人だから、お兄様を殺した犯人が自分だと知れば絶対に許さないって、あの男も分かっているはずよ。だから、お兄様と一緒に、お姉様の命まで……っ」
「……っ、そんな……」
「本当よ! 私、見たの……いえ、この身で体験したのよ!」
アンナは自分の肩を抱きしめるようにして、激しく身震いした。
「数日前の夕暮れ、庭園の東屋で……私、エドガー様に待ち伏せされたの。あの方は私の腕を乱暴に掴んで、壁に押し付けながら、耳元でこう囁いたわ。『アンナ様⋯あなたは何を知っているのですか? 怪しい動きをするなら⋯例え第二王女だとしても、あなたのことも⋯⋯!』って。逃げようとしたら、今すぐにでも殺されそうなほど恐ろしい顔で睨まれて……っ」
アンナの声が、その時の恐怖を思い出して引き震える。
「あの方は、お兄様とお姉様を殺した後、私のことも殺して、この国を奪うつもりなのよ……! お姉様、お願いだから信じて。このままじゃ、お兄様だけじゃなく、私たち二人ともあの男に殺されちゃう……!」
妹の偽りのない、本物の恐怖に満ちた叫びが、陽だまりのバルコニーに虚しく響き渡る。
フェリシアの頭の中で、ジョナサンの肖像画をズタズタに切り裂いていたエドガーの残忍な姿と、怯える妹の姿が、最悪の形で結びついてしまった。
「⋯⋯アンナ、ひとりになりたいわ」
それはフェリシアらしくない、とても、とても弱々しい声色だった。
それを聞いたアンナは、静かに立ち上がる。
「⋯お姉様、また明日、お話をしに来ても良い? これからのことも相談したいの」
その問い掛けに、フェリシアは瞳を伏せたままコクリと頷いた。姉を気遣うアンナの温かい手がフェリシアの肩にそっと触れ、それ以上は何も言わず、扉から立ち去る足音だけが遠ざかっていった。
「⋯⋯⋯っ!!」
ひとり残された部屋で、フェリシアは握り締めた拳をティーテーブルへ叩き付けた。
ガシャッ!
綺麗にセットされていた、二人分のカップやお茶菓子が一斉に跳ね上がり、白いレースのテーブルクロスへと転がっていく。
その衝撃の瞬間、フェリシアの左手薬指で、大粒のタンザナイトが鈍く光った。エドガーの青い瞳と、フェリシアの紫の瞳が溶け合ったような、神秘的な輝きを放つ婚約指輪。
かつて「生涯をかけてあなたを守る」と、彼が愛おしげに嵌めてくれた約束の証。拳を突き立てた衝撃で、その美しい銀の台座が薬指の皮膚にきつく食い込み、鋭い痛みを走らせる。
ひっくり返ったカップから溢れ、白いレースにジワジワと広がっていく紅茶の染み。それは、まるで自身の心に広がっていくエドガーへの不信そのもののようだった。
飛び散った紅茶の雫に濡れたタンザナイトは、月光に照らされたエドガーを盗み見てしまったあの夜の暗闇のように、今はただ冷たく澱んだ色に変色して見えた。
エドガーのことを少しでも信じられる何かを必死に探そうとしたが、フェリシアの胸のどこを探しても、今は見付けられそうになかった。
ここまで読んでくれて、どうもありがとうございます!
書きたいことが、いーーーっぱいあるのですが、うまく伝わるかドキドキしながら執筆しております。
『お兄様が毒殺』なんて、とんでもない不穏なセリフから始まったこの物語ですが、一応『恋愛小説』として執筆しているのです。(まだ甘々要素はゼロですが、これから⋯⋯)
フェリシアとエドガーの甘々タイムを応援してくれる方がいたら、是非とも評価とブックマーク登録をお願いいたします!
投稿前に自分でもチェックはしていますが誤字脱字や、分かりにくい表現だったよー、なども教えていただけると、助かります。




