思惑
フェリシアとルカが城を後にしてから、30分も経たないうちに、ゼノへの報告を終えたレナが、フェリシアの部屋へ戻ってきた。
──コンコンッ
「フェリシア様、陛下へのご報告をして参りました」
「⋯⋯⋯⋯」
フェリシアの部屋からは何の応答もない。耳を済ませると、微かに風が通る音が聞こえた。
「⋯⋯失礼いたします!フェリシア様!?」
勢いよく扉を開けた先には、無造作に鎧が脱ぎ捨てられていた。フェリシアに用意したトランクもなくなっている。
(フェリシア様が、ルカ様と一緒に逃亡した!?)
レナは慌ててバルコニーへ走り込む。夕日はまだ庭全体を赤く染めている。あちこちに長い黒い影が伸びているが、その隅々まで視線を走らせた。
(庭にはいない⋯⋯魔法の痕跡は⋯⋯!?)
続けてバルコニーの手摺へと自らの手を乗せたレナは、そっと瞳を閉じる。庭全体の魔力使用の残滓を探ったが、痕跡はどこにも見付けられなかった。
(短時間でこの広い王城から外へ脱出するなんて、一体どんな方法を⋯⋯!?)
レナは、フェリシアがいなくなったことを急ぎ王へと伝えるため、部屋を飛び出す。
「──も、申し訳ございません!お怪我はございませんか!?」
今しがた、ぶつかりそうになった相手へと謝罪を述べる。
「いえ、大丈夫です」
長い黒髪を後ろの低い位置で一本にまとめ、手足がスラリと伸びた華奢な体躯だが、一切の隙のない佇まいの女性がこちらを見ていた。
その髪と同じ黒い瞳からはその感情を読み取ることはできない。
(──シリル様は、ロイズ様の側近⋯⋯ロイズ様がいる部屋を離れてどこへ向かうのだろう⋯。)
レナが不審に思っていることを感じ取ったのか、シリルは自ら口を開く。
「ロイズ様が、ガルヴァスへお戻りになられます。アンナ様も共にお連れいたしますので、その準備のため馬車の手配をしにいくところです」
「そうでしたか。行く手を遮ってしまい、大変申し訳ございませんでした。⋯⋯出発の時刻はお決まりでしょうか?私は今から陛下の元へ参るので、お伝えすることも出来ますが⋯?それと、こちらにはフェリシア様のお部屋しかありませんので、階下へ行くには反対側の階段をお使いください」
シリルはレナからの問い掛けに表情を変えず、無言のままその場で立ち尽くしている。
「⋯⋯⋯シリル様?」
レナが微動だにしない相手を探るような瞳を向けた時、シリルの口がやっと動き始める。
「⋯⋯初めての場所なので、少々迷ってしまったようです。教えてくださり、ありがとうございます。出発時刻の連絡については、私も聞かされていないので、今ここでお答えすることはできません」
そう言って、ペコリと頭を下げ謝るシリル。
「いえ、分かり次第、城の者へ伝えていただければ大丈夫ですので。では、失礼します。」
そう伝えると、レナは早足で王の元へと向かって行った。
「⋯⋯馬車の手配をしたら、出発時刻の件をロイズ様に確認しなくては」
何の感情もない声色で呟き、シリルも自分の向かうべき場所へと進み始めた。
アンナの部屋では、侍女たちが忙しなく第二王女が隣国へ向かうための準備をしている。フェリシアとは正反対に、ドレスや宝飾品などが大量のトランクの中へとしまい込まれていく。
「アンナ様が、我が城で不自由なく過ごせるようにしたい。お気に入りのドレスや装飾品は、全て持っていけるよう準備をしてくれ」
侍女たちにそう告げたロイズは、慌ただしい室内からバルコニーへと出ていく。右側を見ると城の一番端の部屋のバルコニーが見えた。明かりは点いているようだが、レースのカーテンがユラユラと揺らめくだけで、部屋の中に人の気配はしない。
フェリシアの部屋とアンナの部屋は、姉妹の更衣室兼・宝飾品保管庫と、私的な図書室の二部屋を挟んだ場所に位置している。
(フェリシア様の部屋へ行くとしたら、今しかないか)
「──ヴェント・ソウラム」
二人の部屋バルコニーの間にある、距離にして10メートルほどの空中に、飛び石のように空気の塊が出現する。ロイズは、躊躇うことなくそこへ足を踏み出し、フェリシアの部屋へと向かった。
(アンナの部屋より、随分と奇抜な雰囲気だな)
バルコニーの側にある天蓋付きベッドの横を通り、棚に飾られている木彫りの土偶の前を通り過ぎる。そして、部屋全体を見渡せる位置の壁にかけてある、家族写真の前へと立った。
金の額縁は様々な宝石が散りばめられており、見事な彫刻も施されている。そんな豪華な額縁で縁取られた写真の中には、微笑む国王夫妻とその子どもである無邪気な笑顔のフェリシアたち3人がいた。
(アンナ、素晴らしい場所へとこの額縁を設置してくれたな。後でたっぷり誉めるとするか)
ロイズは額縁にはめられている宝石のうち、妖しく光る紫の宝石に触れる。その瞬間、ロイズの脳裏へと映像が流れ込んできた。
しばらく瞳を閉じてその映像を見た後、瞳を開いて険しい表情を浮かべた。
(⋯⋯ルカという衛兵、映像だけだと顔はよく見えなかったが黒髪だったな。葬儀の時の男と同一人物か……?それにしても、我が国の特徴を持つ者が、何故この国の、しかも王城内にいるんだ?)
──バタバタバタッ
ロイズの耳に廊下を慌ただしく走る足音が聞こえてくる。その足音は、どうやらこの部屋を目指しているようだった。
(この魔晶石の存在がバレたら厄介だが、時間がないな)
ロイズは、素早くバルコニーへ駆け出し、消え掛かっている空気の塊の上を飛ぶように移動した。そして、あっという間にアンナの部屋のバルコニーへと舞い降りた。
──バァァァン!!
それと同時に、フェリシアの部屋の扉が乱暴に開かれる音が響いてくる。複数人の慌てた足音と、第一王女の名前を呼ぶ声も漏れ聞こえてきた。
その喧騒を聞きながら、ニヤリと笑いながらアンナの部屋の中へ戻っていった。
「フェリシア!!」
エドガーが物凄い勢いで扉を押し開いたため、扉の蝶番がガチンッと不気味な音を立てて外れてしまう。しかし、そんな事はお構い無しで殺気を孕んだ足取りで室内を歩き回る。
バスルーム、扉で繋がっている隣の図書室、ベッドの下、バルコニーや大きいクローゼットの中と、人が入れそうな⋯⋯否、フェリシアが入りそうな場所を手当たり次第に狂ったように探していく。
しかし、この部屋のどこにも、エドガーが愛してやまない白銀の婚約者の姿を、見付ける事はできなかった。
レナの急報を受け、共にフェリシアの部屋へやってきたゼノやクレアも、床に散らばった衛兵用の鎧や衣服を見て愕然とする。
「⋯⋯フェリシアは、婚約者ではない男と⋯⋯それも、衛兵と城を抜け出したというのか!?」
ゼノは怒りに震えながら、足元の鎧を力の限り踏み付けた。
──ベコォォンッ!!
それなりの強度があるはずの鎧が、いとも簡単に薄く押し潰された。その足元からは、陽炎のような白い湯気が立ち昇っている。無意識のうちに自らの足へ、炎の付与効果魔法をかけてしまうほど、ゼノは怒りと混乱に支配されているようだった。
「ゼノ⋯⋯まさか、フェリシアは、その衛兵に誘拐されたということはないですよね?」
クレアは不安そうに淡い紫水晶の瞳を揺らし、ゼノの腕へとすがるように身を寄せる。そんな国王夫妻を前に、誰よりも激しい怒りと独占欲に身を焦がしたエドガーが、地を這うような、低い声で口を開いた。
「誘拐なら、ここで鎧を脱ぐ必要がありません。これは、計画的な城からの脱出だ⋯⋯!!」
──フェリシア⋯何故、俺から逃げた!!??まさか、あの燃え盛る矢印の先にいる想い人が、あの新兵だったというのか!!??
主の生存を示すあの光を、別の男への恋慕だと誤認した黄金の騎士の胸中で、漆黒の嫉妬がドロドロと燃え盛る。
部屋の中の全員が、それぞれの感情に揺さぶられていると、開け放たれた廊下の向こうから冷徹で静かな声が聞こえてきた。
「お取り込み中のところ、申し訳ございません。ロイズ様とアンナ様を、ガルヴァス国へとお連れする準備が整いました」
そこに立っていたのは、ロイズの側近であるシリルだった。道に迷った果てにこの部屋へ辿り着いたのか、あるいはすべてを計算した上での現れか、その黒い瞳からは相変わらず何も読み取れない。
ゼノは踏み潰した鎧から足を離すと、深く冷たい息を吐き出し、威厳に満ちた仮面を被り直した。
「⋯⋯いや、こちらのことは気にしないで大丈夫だ。我々もお見送りに出るとしよう」
国王陛下の一言で、その場の全員はロイズたちの大車列を見送るため、城塞外郭へと向かった。




