隣国の皇太子
「⋯⋯お姉様、先ほどは急に倒れられて本当に驚きましたわ。もう、大丈夫なのですか?」
休憩室へとやってきたアンナは、黒いベールの付いた帽子を脱ぎ、胸の前で抱き締めるようにして持っている。口ではフェリシアを心配している言葉を並べるが、落ち着きがなく帽子を持つ指先がモジモジとせわしなくベールをいじっていた。
そんなアンナを「こちらへ座って」と、ソファーへ招き、向かい合う形で話を始める。
「⋯⋯どうやら、魅了魔法をかけられそうになったみたい。アンナは大丈夫だった?」
「魅了魔法と言うと⋯⋯術者の瞳を一定時間、見続けるとかかってしまう魔法ですよねっ!?⋯⋯でも、私たちのような王族を直視できるなんて、限られた人しかいないはずですよね?」
「アンナ、その通りよ。だから、私はあなたが心配だったの。」
——え?何がですか?と、本当に理解できないという表情をしているアンナをじっと見つめて、フェリシアは続けた。
「王族の目を直視し続ける事ができるのは『同等の立場かそれ以上の立場の人物』若しくは『家族や婚約者などの特別な関係の人物』よ」
「私が倒れた時、私の目を見つめることができる位置にいたのは⋯⋯誰だと思う?」
⋯⋯アンナは、こめかみに人差し指を当てて「えっ—と⋯」と考えてから、目を見開いてパッとフェリシアの方へ顔を向けた。
「ロイズ様しか⋯⋯いないです」
「正解。弔問の列の最前列にいたロイズ様しか有り得ないの。でも⋯⋯彼が何故、私に魅了魔法をかけようとしたのか、アンナは知っている?」
アンナはすぐに首をブンブンと横に振って否定する。嘘を付いているのではなく、本当に知らない様子だった。
「ロイズ様からは、『君たち姉妹の身の安全を守りたいから、家族を説得しておいてくれないか』としか言われていません!⋯⋯お姉様の身を案じて、無理矢理にでも連れて行こうと、なさったのかもしれません」
悪びれもせず、むしろ救い主を称えるようにそう告げた妹を見つめ、フェリシアは内心で冷ややかな戦慄を覚えていた。
——なんて不気味な発言なのかしら。「婚約者の姉を無理矢理にでも連れて行く」だなんて、心配しているにしては、行き過ぎた発言だわ。
「⋯⋯そう。ロイズ様は、そんなに私の身を案じてくれているのね。可愛い妹が、とてもお優しい方の元へ嫁ぐのだから、私は安心だわ。」
(ロイズ様は、薄気味悪い男なのね……)
フェリシアは内心でそう毒づきつつも、顔には最上級の笑顔を張り付けて見せた。
そのフェリシアの言葉に、アンナの白い頬がポッと朱に染まる。完全に恋する乙女の表情だった。
2人のやり取りを少し離れた場所から見ていた衛兵のルカは、不意のフェリシアの美しい笑顔に見惚れていたが、ハッと我に返って必死に無表情を取り繕う。
「私はこの弔問の挨拶が終わり次第、城を出ます。アンナは予定通りロイズ様に保護してもらいなさい。私は⋯⋯お父様たちには、エドガーと行くと言ったけれど、彼は置いていくわ」
アンナの瞳が、一瞬、驚きで見開かれる。しかし、すぐにホッとしたような安堵の色を浮かべた。
「⋯⋯エドガー様と一緒ではない方が、絶対に安全だと思いますっ!!お父様たちとの話し合いの時も、本当は『あの人は危険です』って伝えたかったんです!」
——でも、扉の外で待機しているエドガー様に聞かれたら、もっと危険な状態になると思って言えませんでした⋯⋯!
と、アンナは悔しそうに、黒いベールごと帽子を握り締める。
ふっと、その指先の力が抜けたかと思うと、思い出したように帽子を横へ置き、自分のドレスのサイドを手で探り始めた。
「この懐中時計なんですけど⋯⋯」
アンナは自らのドレスのポケットから、白銀の小さな懐中時計を差し出した。カチカチ、と小さな機械音が聞こえてくる。
「ロイズ様が、お姉様に⋯と、先ほどくださいました。何処にいても正確に時を刻み続ける時計だそうです!」
——失礼します。
フェリシアがその時計に触れるより早く、傍らに控えていたもう一人の侍女、レナが素早く動いた。
彼女は自身の指先から微かな光を放ち、魔力探知の魔法で怪しい付与効果──呪いや追跡の仕掛けがないかを厳重にチェックする。
「⋯⋯魔法は使用されていないようです。」
「そう。レナ、ありがとう」
カシャリと懐中時計の鎖が音を立てながら、レナの手からフェリシアの手へと受け渡された。
「アンナ、ロイズ様に素敵な贈り物をありがとう、と伝えて。この逃避行から無事に帰ったら、その時は直接お礼をさせていただきます」
フェリシアは自分のドレスのポケットへ懐中時計をしまい、黒いベールの帽子を付け直しソファーからゆっくりと立ち上がる。
「さぁ、アンナ、お兄様のために足を運んでくださった方々へ挨拶をしに戻りましょう」
「⋯⋯はい!お姉様!」
アンナもベール付きの帽子を慌てて被り直し、フェリシアの後へ続く。そして、ルカを先頭に休憩室から大聖堂へと移動を始めた。
姉妹が挨拶に戻った時には、弔問の列はかなり短くなっていた。それでも、ジョナサンがいかに慕われていたかが分かるのは、棺の前に設置された献花台の上——彼の死を悼む人の数だけ捧げられた白い花の数。
それはもはや、献花台の向こう側にある銀の棺の輪郭すら見えなくなるほど、うず高く積み重ねられていた。
(──お兄様、あなたはこんなにも民から慕われておいでです。次期国王に相応しいのは、あなただけだわ)
フェリシアが静かに献花台を眺め、悲しみに暮れる母クレアの横に立つ瞬間、背後に強烈な視線の熱を感じた。振り返らずとも分かる。
大剣を携えて控える近衛騎士団長、エドガー・クレイだ。
彼は何か言いたげな、焦燥を孕んだ瞳でフェリシアの背中を凝視している。
(今夜、奪いにいく──)
昼間の彼の囁きが、フェリシアの耳裏で不気味に蘇る。しかし、彼女の決意は決して揺らがなかった。静かに目を伏せて正面を向き、弔問の列が完全に途切れた後もエドガーの視線を冷徹に無視し続けたのだった。




