6.平民街
投資に失敗し精神棟の視察に行かされた俺は、精神的に限界を迎えていた。とてもじゃないが、こんな世界で生きていけない。
貴族街を抜けて平民街へと歩き出す。
いつでも逃げ出せるように、この世界についてもっと知っておかないといけない。運が良ければ元の世界へに戻る手がかりも手にできるかも。
一歩離れてキリアがついてくるが無視した。いざとなったら振り切ってやる。
貴族街から離れるほど、人や建物ががらりと様相を変えていく。
すれ違う人々は継ぎはぎの服に、ボサッとした頭、かさついた肌、痩せた体をしている。
建物は木で組み立てた簡易の小屋のような家が目立つ。落書きや、道端のゲロ、折れた看板もそのままだ。
そのせいか無数の虫が飛んでいる。手で払いながら歩を進める必要があった。
でも変だな。俺にはこっちの方が落ち着く。もうあの屋敷には戻りたくない。
「返せっ! クソガキがっ」
「うっせーよ。ばーか」
十歳くらいの子どもが小さな麻袋を持って、俺の前を通り過ぎた。その後ろを商売人風の男が追う。どうやら少年は店の金を盗んで逃げているらしい。
すばしっこいが所詮は子どもの歩幅だ。男に首根っこを掴まれ、持ち上げられてしまった。
「はなせっ。やめろ」
「人の金盗んでんじゃねーよ。ゴミが」
あっさりとお金を取り上げられ、男が少年の腹を蹴る。
ウェッと声を上げ、少年が腹を押さえた。
男が尚も少年に殴りかかろうとするところへ、俺は思わず止めに入った。
「やめろ」
「何だよ、邪魔すんな……」
振り返った男が俺の身なりを見て青ざめた。縮こまって、何度も頭を下げる。
平民たちが、遠巻きに俺たちを観察しているのが目に入った。
「も、申し訳ございません」
「いや、いいんだ。それよりもう許してやってくれないか。彼も反省している」
男が少年を横目で目に入れ忌々しそうな顔をしたが、すぐに顔を引きつらせ俺の方に向き直った。
「はい。あなた様がそう仰るなら」
「悪いな。これは詫びだ」
俺はポケットから銀貨を取りだし、数枚渡した。途端に男の目が輝く。
「ありがとうございます」
男はそそくさと店に戻って行った。
俺はすぐに少年の手を取り、起こしてやる。継ぎはぎの服は、膝が破れて埃塗れだ。
「大丈夫か?」
「ごめんなさい。許して」
少年が泣きそうになりながら自分の服の裾を握った。細い腕だ。髪が背まで伸びている。
「別にいい。痛かっただろう。これをやるから今日のところは帰りなさい」
俺は少年にも銀貨を渡した。数日は生きていける額だ。
少年はやっと俺を見た。
「ありがとうございます」
お金を受け取った少年が、俺に抱きついた。こんなに小さな子を蹴るなんてどうかしている。
「気をつけて」
「うん。ありがとう。お貴族様」
俺が手を振ると同時に、少年が脱兎のごとく走り出した。
キリアが俺を通り越し、少年を追いかける。
何だ?
俺が見ている前でキリアが少年の腕を後ろにして、その体を地面に抑え付けた。
「キリア! 何してるんだ」
「出せ」
キリアが凄むと、少年はチッと舌打ちして金貨を数枚放り投げた。いつの間にか掏られていたのだ。
「放せよっ」
「ライト様。処分はどうされますか? 本来ならば貴族から金を盗めば処刑ですが」
「放せっ、放せって」
キリアが体重を乗せて、暴れる少年の動きを封じる。
幾ら盗みをしたといっても相手はまだ少年だ。下手をすれば中学生にもなっていない年齢だぞ。それなのに処刑なんて。
「ライト様。処分を」
「いや、もういい。放してやれ」
キリアは渋々、少年を解放した。途端に少年が逃げ出す。
それを見た子どもたちが集まってきて、俺を取り囲もうとする。
「お金欲しい」「ちょうだい」「お金」
濁った眼でゾンビのように手を伸ばしてくる。
大人たちは止めるでもなく、さらに遠巻きに見守る。子どもに金を取りに行かせているのだ。
危険を察知したキリアが叫んだ。
「ライト様、こちらへ」
キリアに手を引かれ、群衆の少ない方へと駆け出した。
誰もいない裏道で息を整える。酸素が足りない。
「何なんだよ」
「彼らは甘い蜜をくれる人間に寄ってきます。あなたが少年を処刑しない優しい人間だと判断して、たかり始めたのです。彼らの嗅覚は犬並みですから」
「できるわけないだろ。まだ子どもだぞ」
「この世界では十分大人ですよ。自分で盗みができるのですから」
この世界の厳しさに目が眩む。平民街の方が向いているなんて、俺の考えは甘すぎた。
疲れた。
俺は急に屋敷が恋しくなった。
「止めてって言っているでしょ!」
女性の声がして、俺とキリアは目を合わせて静かに近づいた。声は通りを曲がった先の方からする。
そっと壁越しに覗くと、継ぎはぎのフードを被った女性が二人、三人の男たちに腕を掴まれている。人通りがなく、助けは望めそうにない。
男の一人が力をアピールすように声を張り上げた。
「お前らが俺たちの仕事の邪魔したんだ。責任は取ってもらうぜ」
「アンタたちが不当に子どもから搾取しているからじゃないの」
「それが仕事なんだよ。お前らも売り飛ばしてやる」
「ふざけんな、このタコ」
「なんだとっ」
この世界の平民は逞しすぎる。女性は怯む様子もなく勇ましいが、余計に刺激してしまっている。
さすがに女性二人では男たちに勝てないだろう。
俺は近くに落ちていた木の棒を拾い上げた。
ナイフを持ったキリアとともに、男たちに飛び掛かった。まず一人目を首元を閉めて気絶させ、二人目に回し蹴りを見舞う。
もう一人はキリアがナイフの柄をみぞおちに叩き込み、地面に沈めた。
木の棒などなくとも、騎士団で鍛えた体はすぐに男たちを制圧した。もちろん俺は喧嘩なんかしたことがないので、ライトの能力だ。
フードでよく顔が見えないが、唖然としている様子の女性二人を振り返る。
「大丈夫?」
「え、ええ」
「家はどこ。送るよ」
「ううん。こんなの慣れているから平気。いざとなれば剣で殺そうと思ってたの」
女性はマントを捲って足に挿した短剣を俺に見せた。どうやら余計なお世話だったらしい。
人通りのある場所まで移動し、女性二人と別れた。
初めて目にする平民街の人々は不潔で、狡猾で、生きる力が漲っていた。
子どもも女性もあんなに強く生きているのに、俺は……。
親友たちに裏切られ、投資に失敗し、両親に罵られ、平民にも見くびられる。次に失敗すれば、間違いなく精神棟行きだ。
豪華な食事も、広い屋敷も、大金もあるのに、この世界で生きる気力が全く湧いてこなかった。




